女の子が辛かった女の結婚観
女の子でいることがしんどい時期が5年くらいあった。
20歳になってわたしは、
やっと女の子であることに誇りを持てるようになった。かわいいわたしであることがうれしくて、自信を持った歩き方が自然にできるようになるなんて素晴らしい進歩だとは思わない??
年の離れた恋人から”正しい女の子扱い“をしてもらい、収まるところにおちついて、昔は幻想のようで毛嫌いしていた結婚をいつの日か意識できるようになって自分でも驚いているところ。
同世代では早い方かもしれない。でも恋人からすれば晩婚もいいところだから、誰にも心の内は言えないまま、ふつふつとわたしの結婚観は根を生やす。
人は、なんのために結婚をするのか。
母を経験した人が多い仕事に就いてから、色んな体験談を耳にすることになる。そんないいもんじゃない、とか、好きだけじゃやっていけないとか、そういうの。つまり未婚のわたしへの切実なアドバイスたち。
その中でも
私がとても心に残って今も大切にしているのは今月から2児のベイビーのため産休に入る先輩の言葉。ここで紹介しようと思う。
「自分の身を削っても毎日ごはん作ってあげたいなって思える人と結婚してね。年を重ねて見る目がつくと結婚なんてパッと出来ないから若いうちにしちゃいなさい!」
頭から離れない。
わたしを励ましてくれた言葉だった。
愛着障害みたいなじぶんを抱えてやっと出会えた大切な人。だけど年の差で一歩間違えたら親子くらいに近しくて、ちょっとヘンテコ。それでも穏やかでいられる相手との時間は、なんだか優しさで満たされる。
やっぱり偏見の目は止まらないし、わたしなんかよりもっとずっとそのことを気にしているのはパートナーの方だ。
長いこと社会で真っ当に生きてきた人からすれば、その尖り方は格好の的も同然。葛藤を抱えながら向き合おうとしてるのがわかるから、先にスタスタと歩いて行くのも許してしまうほどに寂しかった。
どうがんばっても私より先に死んでしまうパートナーを前にして、生まれた感情は
身体に良いご飯を食べて
健康に長生きしてほしい。
だからわたしが作る!!!
それまでめんどくさがりで先延ばしクセがあって、食器洗いは次の日の朝にまとめてするような私が
あのわたしが、栄養の考えられたご飯を作るために勉強を始めるのだから相当大好きなんだなと思う。
これからのお互いのことは正直まったくわからない。
結婚するかもわからないし、来年一緒にいるかもわからない。恋人のことを考えると、潔く身を引いた方が幸せになってもらえるんじゃないかと毎日のように思う。
それでも時間は刻一刻と過ぎて行く。
たとえ生涯を連れ添う間になっても
あと50年一緒に居られる保証はない。
それならわたしは自分の時間を何に使いたいか。
自分の時間を誰に、使いたいのか。
結婚ってなんだろうか。
この人との時間をたくさん重ねたいと思える相手と、一緒に居たいときに理由もなく側に寄り添える権利を得ることなんじゃないかなぁと思う。
こんな感情になったことがなくて、勢いでnoteを書いている。大切な人ができるってこんなに幸せで、怖いことなんだなって。
愛ってなんだろうか。
そんなのはやっぱりちょっともよくわからないけれど、
自分と同じくらい大切な人に向けるそれを今度こそ愛と呼ばせてほしい。
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