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幼いころ母に話していたこと

俗にいう「胎内記憶」に近いと思うんだ

これは私の頭の中ではなく、母から聞いた当時のわたしのことば。それを大人になって聞いた時、突然に私が思い出したことの記録。




「ちーたんね!」

まだ公園のどんぐり集めが大冒険だったころ。私は「自分のこと」をそう呼んでいました。今でもどんぐりには心躍るけれど、そのときは自然が世界のすべてだったから。


「大きいとき、ねーたんとどうぶつえんに行った!」


小さな子どもが「自分が大きかったとき」というんだから母は、???で頭が埋め尽くされたそう。

でも実際にわたしには年の大きく離れた姉が居るし、当時のちーたんは空前の“どうぶつえん”ブームだったので、その違和感は特別ではなかったらしい。

今になって不思議なのが、その発言をした何年か後、、、小学校低学年くらいで姉と一緒に動物園に行くことになるからびっくりだ。


エアコンの上にしろいわんわんがいる

白い犬、サモエドかな??とにかく大きな白いわんちゃんがエアコンの上からこちらを見ていたのだそう。母の実家では昔に白い犬を飼っていたそうで、母はなんとなくその子かなぁと思ったらしい。

実はわたし今でも動物は大好きで、一緒に暮らしたいと思うことが多々ある。だけど犬も猫もアレルギーでそれは叶いづらいけれど、街で見かけると必ずキラキラの視線を向けてしまう。


ちーたんね
ここに来るまえはねまっくらで
ライトがついてるところにいた

母の記憶の限りでは、それはまるで廊下のような言い方をしていたのだそう。




ここからは、大人になった私がその話を聞いて
なんとなく感じたこと。


木材っぽい廊下が続いていて、
少し先に灯りがみえる。

蛍光灯みたいなオレンジっぽい光、それもささやかな明るさ。その周辺はハッキリと見えるけれど、光から少しズレると夜の空よりもっとずっと黒い色の暗さが包んでる。


ただ、イヤな感じも、怖い感じもしない。


廊下の片側…光の周辺の右側はなんにもないカベで、
反対の左には3つくらいとびらが見える。


きっとそのトビラの先には何かがあるんだろうけど、わたしは特に考えるわけでもなく光から外れて廊下の先に進んでいく。


すごく暗い。

けど、なんとなくコッチな気がする。

そう感じて進んでいくと
黒かった周りが段々と
藍色に変わっていく。
少しずつ青みが増していく。


そしたらとびらがあった。

廊下の先に1つだけ扉があった。

どう開けるかはわからなかった。

近づいたらそのトビラが開いた。

静かにふわんと開いて、

一歩踏み出した。


一歩進んだら、周りが青になった。

濃い青。とっても濃いけど青。

トビラは誰かわからないけれど
髪の長いお姉さんが開けてくれたみたいだった。

私は生まれてくる前、そこに居たらしい。

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