最後に僕が信じたのは_SAKANAQUARIUM 2024 "turn" Osaka DAY2 感想
"turn"ーきっと"変化"なのだろうと、そう考えていた。
雨音、雷鳴、そして『Ame(B)』から始まった復活の祭典は、それらの伏線を回収するかのような次曲の『陽炎』により早くも情動が沸点近くに。
続くは『アイデンティティ』『ルーキー』『Aoi』『プラトー』。
外から見たひとつのサカナクションらしさとも言える楽曲によって熱量が維持されつつも、対照的に彼ら、そして山口一郎が歩んだ2年(コロナ禍からとすれば4年)間の苦悩の存在を徐々に感じつつあった。
予想通りと言うべきか、『ユリイカ』『流線』『ナイロンの糸』『ネプトゥーヌス』という本来郷愁や悩みを思わせる楽曲群によって、ありありとそれを認識させられる。
そして見出した一筋の希望の光の方へ少しずつ進みはじめた様を『ボイル』『ホーリーダンス』で表現。
続くクラブミュージックと化した『『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』』『ネイティブダンサー』で、復活をこれでもかと印象付けるかの如く"サカナクション"を現出させる。
この流れを汲んだまま『ミュージック』『ショック!』『モス』『新宝島』と畳みかけ、本編最後は『忘れられないの』で締めくくられる。
この楽曲をこの位置に据えた意図を感じ取り一体になった会場を、愛おしそうに笑顔で見渡しながら歌う様は、苦悩への痛烈なアンチテーゼとなったことだろう。
少し間を置きアンコールへ突入する。「まだまだ踊れるよね?」というこれまたサカナクションらしい問いかけから、『夜の踊り子』へ。
公演の感想やこれまでとこれからについてのMCの後、それをなぞるかのように原点のひとつである『白波トップウォーター』を披露。
そして、「いつか5人で披露してみたかった」とどこか未来を思わせる楽曲『シャンディガフ』で当公演は終幕した。
あくまで個人的な心象にすぎないが、再始動しツアーを開催するにまで至った眼前のサカナクションを通じ、コロナ禍ないし休止中のサカナクションと復活した(していく)新生サカナクションを、あらゆる観衆へ優しく受容させる構成・演出だと感じた。
何よりも『シャンディガフ』。過去を振り返ることで今の彼らの儚さと愛がより引き立たっているように感じられるこの楽曲は、本ツアーでひとつ大きな役目を終えるように思う。
これから先披露される機会はそう多くない。そう直感し、ステージ上でたおやかに演奏するサカナクションを目に焼き付けた。
どこか充実感もある楽しげなあの表情は、まさしく"忘れられない"ものだろう。
壇上で彼が繰り返していたこのことばを反芻しながら、終演後に"turn"の意味を問うていた。
忘れられないこれまでや少しの愛と少しのだらしなさを内包し、自他にこう語りかけながら、山口一郎、そしてサカナクションは"新しく成って"いくだろう。
本公演でまざまざとその一端を見せつけられたわけだが、果たしてこれは"変化"なのだろうか。
"新しく成って"いくことと向き合い続けるこれからのサカナクション。
本ツアーはその始点であると同時に、立ち返る原点でもあり、もしかすると到達点でもあるかもしれない。
そうして寄せては返す波のように、これからのサカナクションは"turn"していくのだと、彼らは伝えたかったのではないか。
"turn"ーそれはきっと"変化"であり"変化"ではない。
答えのない旅路に、期待は高まるばかりだ。
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