見出し画像

忘れないうちに -手根管症候群の手術-

 術後1週間が過ぎた。まだ、不自由ながら指先を使って作業することができるようになった。そこで、今回のことを忘れないうちに記録しておくことにする。

 7月5日、わたしは右手「手根幹症候群」の手術を受けた。

 手首から掌の付け根部分の中央に正中神経が通っていて、この神経は横手根靭帯に覆われ、そのトンネル部分が狭くなり、正中神経が圧迫されて神経障害(手指のしびれや母指球筋の筋萎縮による握力障害)が起こるのだそうだ。
 
 小指を除く4本の指にしびれが現れたのは今年の2月に入ってからだと思われる。2月7日の日記で初めて右手のしびれに触れてあった。
 1週間後には夜中にしびれで目が覚めるようになり、整形外科を受診。そこで「手根管症候群」と診断され、「薬の服用」「注射」「手術」の三つの治療法が示される。
 原因は、不明で、女性に圧倒的に多いらしい。骨折や、手を使う重労働者や透析でも発症すると聞く。私の場合は、多分、手の使いすぎだと思われる。
 趣味の着物リフォーム、刺し子、「中日春秋」の書き写し、草取り等々、手を使ってばかりだからだ。
 1週間分の飲み薬を処方される。この薬で多少楽になったような気がしたが、数日後には、日中も強いしびれを感じるようになる。1週間後の受診で、3錠だった薬が2錠に。しびれがひどくなり、ほぼ一日しびれを感じるようになる。
   3月7日 整形外科受診。薬を処方。
 
 書店で「10秒神経マッサージ」というローラーを買ったり『名医が教える1分体操』という本を買ったりして、なんとか自力でしびれを軽くしようと試みた。全く効果なし。
 
 4月12日  ついに二つ目の対処方法の注射。神経に直接注射するため強烈な痛み。この痛みに耐えたのに全くしびれは引かなかった。もうなおらないと諦めの気持ちになる。
 この間、手を休めたり、サポーターをはめたり、湿布したりと自分なりに手当てをしていた。
 
 しかし、我慢できずに6月27日に整形外科受診。以前とは別の薬を処方するというので、1回目のときの薬が効いたことを伝えると「糖尿病や高血圧など、別の病気を誘発するからあの薬は長く服用してはダメ」と言われ、手術を勧められる。手術は日帰りででき、30分程度のものと説明がある。
 一応別の薬を2週間服用し、その様子で判断することにして帰宅。
 夫から「どうせ手術をするなら早い方が早く楽になる」とアドバイス。一晩考えて手術することを決断。
 
 翌6月28日 再度受診し、手術をする覚悟ができたことを伝え、総合病院への紹介状を書いてもらう。そして、その足で総合病院へ。午前中の受け付けに間に合い受診できた。持ってきた資料と問診とで「手根管症候群」と診断。あっという間に、手術日とそれに伴う検査の説明がされる。その後、HIVを含む血液検査。その後、看護師から手術の概要と術後について詳しい説明を受けて終了。
 
 7月4日 手術前日、「誘発筋電図検査(別の病気が隠れていないかの検査)」と「PCR検査」

 7月5日 義母をショートステイに預け、今後のために、簡単に食べられる惣菜を何種類か作る。何かしていないと落ち着かない。夫が「そんなに気が小さいとはビックリだ。はじめて知った。」と笑う。

  14時までに処置室に入るよう言われていたので、夫の運転で病院へ。すぐに手術着に着替えカーテンで仕切られたベッドへ。暇なので持っていった文庫本を読んで待つ。
 2時半ころ左腕への点滴開始。
 3時半ころ地下の手術室へ点滴台を引きながら歩いて移動。途中で使い捨てのキャップを被る。
 10 番の手術室に入りすぐに手術台に上がる。左腕に血圧計、足先と胸に心電図の機械を取り付ける。次に、右腕の脇から肘まで止血のためのゴムバンドのようなものを巻き強度を決める。そして、腕から指先まで念入りに消毒し、全体に手術用のカバーのようなものを巻く。
 男性の看護師が常に声かけをしてくれ、それに返事をすることで多少気が楽になる。手術室には他にベテランの女性看護師と新米看護師、担当医が2名がいるらしい。右手と顔の間は遮断されているので右側は全く見えない。
 手術用の電灯が点され一段と明るくなる。
 男性看護師が記録を取り始める。「ドクターXのあの場面みたい」とその時はのんきなことを考えていた。
 いよいよ麻酔がかけられることに。そこで麻酔についてのやり取りがあり、「局麻でやる」と言う先生の声が聞こえる。
 
 先日の看護師の説明では、片腕全体にに麻酔が掛かるので帰りは三角巾で吊りますとのことだったが違うのか?

 「麻酔の注射が痛いけれど頑張ってね。」と先生の声。針が刺さる。「痛い!」思わず声が出る。男性看護師が左手を握り「痛いねえ、もう少し頑張ってね」と言う。うなずきながらも「痛い!」と声が出る。
 先生が手に触れて「感じますか」と問う。「いいえ」と私。
 「メス」との声。いよいよだ。「少し痛い」と伝えると「2CC追加」と麻酔薬が増量される。
 最初のうちは大丈夫だったが、途中から時々飛び上がりそうに痛い。男性看護師が「ハサミを使っている裏側の神経に当たるから」と説明。「?、つまりメスで切開するところには麻酔がかかっているけれど。神経そのものは麻酔がかかってないの?
 先生たちが「狭いねえ。」と患部について話す声。やっぱりヘッドホンを着ければよかったかと手術前にヘッドホンを進められたのに断ったことを悔いる。
 後半は「痛い!」を連発。血圧もかなり上がっているようだ。

 そのうち生暖かい液体がかけられている感覚が。件の看護師が「傷口を洗っています。」と言う。やっと終わりに近づいているのだ。左手の圧迫していたゴム状のものが外される。右手をおおっていたものが全て外され、新米看護師が点滴を抜く。抜き方にすかさず指導が入る。心電図の器具も新米看護師が外す。少し余裕が出たわたしは「どんな社会でも、こうやって新米は育っていくんだなあ」などと思う。

 自力で起き上がる。先生が「指を動かしてみて」と言う。5本の指は思い通りに動く。ビックリ! このために痛い麻酔を打ったんだと理解する。
 
 手術台を降り、1階の処置室に戻る。時計は17時を回っていた。術前36度1分だった体温は37度に上がってる。傷の痛みが襲ってくる。
 痛み止めと抗生物質を処方され、その場で痛み止めの薬を飲んで帰路につく。薬はよく効き、夕食後、心配してくれた友人にラインして、そのあとはぐっすりと眠ることができた。
 
 翌日は、痛み止めを3回服用。手指が腫れ上がっている。
 
 7月7日 夫の運転で、術後はじめての受診。手首に近い所に管が挿入されていたことを知る。その管を抜き、大きなキズ絆のようなものを張って終わる。少し出血。診察後は痛くて動きたくない。駐車場までやっと歩く。
 
 左手での歯磨き、洗顔はまことに不自由。食事は、スプーンやフォークを使って右手で少しずつ口に運ぶ。 
 やれることがないので、文庫本を次々に読む 
 ショートステイから義母が帰宅。義母はますます訳が分からなくなっていて、手がかかる。夫が一人で奮闘。
 
 7月9日 自分でガーゼ交換。7針か8針縫ってある。出血はなし。腫れも引いている。
 ちょうど包丁を握るところに傷があるため、ものが切れない。ゆびは動かせても、包丁が使えない。
 
 7月10日 義母が終日家にいる日。あいにく夫は神社の祭典と地域のふれあい喫茶の日で留守。心配していたけれど、夫が途中で抜けて様子を見に来てくれたので助かる。義母の昼食は義母の好きな菓子パンを小さくちぎって持っていき部屋で食べさせる。義母の移動とトイレの世話はまだ私には無理だ。

 7月11日 今日で手術後1週間が経過。
 箸でゆっくりと食事ができるようになる。夫は安心して、自分でおにぎりを作ってアユ釣りに出掛けた。
 
 

読んでくださった方へ

 こんな記録は読んでも面白くありませんね。ごめんなさい。
でも、指のしびれがなくなった今、この1週間のことを忘れずにいたいと思い書きました。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?