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音楽のレシピ(その11) —存在と不在―
実はずっと倍音のことについて述べようとしていたのだが、どうも文で表すと胡散臭くなってしまい、結局、「実際に聴かな分からんやろ!」とあきらめてしまった(嘲笑)。
音楽学・音響学の立場から倍音というものを捉えると、基本の音にどんどん2倍3倍4倍…と、音が積み重なっているモノってイメージを描いてしまいがちなのだが、オレ自身は、倍音は元になる音を削り出すことで知覚できるモノ、だと実体験で理解している。
そう。既に世界は(倍)音で満ち溢れている。そして音響学的に倍音を定義するときの基本となる、全く倍音を含まない音-基音(純音)-は、自然界には存在しないらしい。(←ホントに?:笑)
音楽(作曲)を、掛け算足し算で考えるか、割り算引き算で考えるか。
ま、両方利用しつつも、オレは割り算引き算派です。
隣の部屋から聞こえてくる、TVが発するこもった音質の男声ナレーション。
台所での食器洗浄の際、水音にかき消されてメロディしか聞こえてこない、ラジオからのJ-POP。
貝殻が奏でる海の音。
冷蔵庫のうねるようなうなり音。
さあ街へ出よう。
(でもさ、ふと今思ったんだけど。
この "街の音(ノイズ)" って、今いる大宮からたとえばアンカレッジに瞬間移動できたとするなら、多分楽曲における転調のような驚きと快さをもって、異なる二つの音の進行として聴けるんじゃないのかな?((笑)) )
〈それに似たこと、ドナルド・フェイゲンもエッセイの中で言っていたね〉
(これからは、旅するごとにその土地の音をハイレゾ録音、だな。I.G.Y!!)
〈家に持ち帰ってリミックス、ってか? 取りあえず東京近郊をネタにしてやってみたら?〉
(続)