今、赤ちゃんを抱く全ての人へ
娘(23)への個人的な内容なのですが、言いたいことが日本に住む多くの人に関わる話なので note を借りてお伝えしたいと思います。よろしくお付き合い下さい。3分ほどで読み終わります。
80代、昭和の初め頃の日本の姿
【戦後の復興】と一言で片付けることができないほどの混乱時期。
その中で多くの人が悩んだものが食料不足
親の愛の形は食べ物となって現れ、子供に食べ物を与えることが立派な親と皆が思った。
食べ物を大事に思う世代である。
思春期や、物心つく時期に欠乏していたものが価値観の中心になっていることがわかる。
そのこと故にしっかり食べさせていれば子供は育つと思いこんでいた。
50代、高度成長期のなかの子供達
私もこの世代なのでよくわかるが、我が家は貧乏だったので友達が新しい自転車や望遠鏡、ラジコンなどを持っているのが羨ましかった。
学研の科学だけはとってもらったが母子家庭だったこともありそれ以上はとても言えなかった。
お金があることで幸せになれると思った
親の愛は良い物を与えることに移っていった。
そのために夫婦が共働きになり、鍵っ子と呼ばれる子供が増えた。
50代の価値観の中心はお金である。
食べさせていればいいと思っている親とあれこれほしいという子供がすれ違う世代だ。
20代、平成の若者(娘を含む)
結論から先に申し上げると
アイデンティティーが価値観の中心
自分は何者で、何ができて、どうしたいのか?
食べるもので困らない。お金もそこそこある。
では自分は何になりたいか?
何にむいているか?
そもそもなんのために生まれてきたのか?
アニメを見てもわがまま三昧の主人公がお母さんみたいな友達キャラにあるがままを受け入れてもらうという夢のような設定が登場した。
異世界転生で勇者になるなど、明らかに昭和の「善対悪」の構図はない。
誰かに「君が必要だ」そう言ってもらいたい。
この渇望こそ価値観の中心になっている。
この称賛は勝ち取るもので与えられるものではない。昭和の世代は肌でわかっている。
社長になるためにガツガツやってきた親と自分の居場所をみつけられない子供の世代だ。
不登校児に対してサボりぐせとしかわからない親が問題を大きくしている。昭和の初めには不登校児はいなかったからどう接してよいかわからないのは仕方ない。
因みに我が家ではこう教えています。
今、生まれた子供たちへ
さて、価値観をざっくりと見てきて気がついたでしょうか?
生きることの最低基準の食べることから物の中でも最高の価値を持つお金に移りアイデンティティーに変わって来ています。
つまり価値観がグレードアップしてきている。
この先価値観が本質的になっていく前提の場合。
本当の愛って何?
うちの家族は愛し合っているの?
ヨーロッパ等でキリスト教が布教される先で「愛ってなんだ?」と宣教師は聞かれたそうです。愛という言葉がなかったから何を指して愛なのかチンプンカンプンだったというのです。
今でもハッキリと「これが愛です」と言うのは勇気が必要です。
自分が何者かを一生かけて悩み続けていく平成の親に本当の愛を見せてくれという令和な世代がくると……私は思うのです。
その時、今の赤ちゃんにしっかり教えてあげられるように準備をしておかないといけません。
了
追伸 たつや君とケンカしとる場合じゃないぞ。パピーより