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旅に生きる~撮り貯め放出編~ その⑥

有料ですが全部読めます。

※ちうい
いつもの記事と違って順不同、日時不明の写真を掲載していきます。
内容やテーマと一致しません。

その① その② その③ その④ その⑤


三渡神社(別な場所にも検索で出てくるので2か所あるはず)
田村市常葉町関本中宗

みなさんは宗教とか信仰とかどう考えていますか?
めちゃくちゃざっくりデカすぎる質問ですけど。

世界には様々な宗教がありますが一神教が主流というか信仰している人口が多いというか。
もちろんそれが正しさの担保ではないですね。

ただカルトではないけど『周りに迷惑をかけがちな宗教』って信者数や教祖の著書部数だったり、とかく『数が多い』ことを正当性や正しさの根拠にしているなって。


お話を広げすぎても着地点がないので『日本』に的を絞ってみませう。

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日本と言えば『仏教』です。
海外の人も昨今は非常に日本を深く知っていてヘタな日本人よりも日本に詳しかったりしますが『仏教』『神道』がごちゃ混ぜになっている場合も多いです。

もちろん日本人も知識としてごっちゃな場合があります。ところが廃仏毀釈を逃れた施設などではまさに混ざったままが残っているのでより区別がないし、厳密にわからなくても大丈夫ってことなのでしょうね。

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で、ここからはバカにしているとかそういう風に読めてしまう文章になりますが一切そういう意味がないことを先にお断りしておきます。

日本仏教はそもそもブッダがやっていたこと、目指していたこととは違う、まったくの別物です。
さらにブッダが死んで100年くらいで分裂して『上座部』『大衆部(これが伝播して各地の大乗仏教となる)』
中国に伝来した改変の改変をさらに各宗派で改変しているわけです。

もう信者数とか寺数とか経典とか所有する国宝の数だとか歴史とか何もかも正しさを保障しかつ強化するものではありませんね。だってブッダが今の日本仏教を見たら

「わしこんなこと一言も言ってない(´・ω・`)」って言いそう。

一神教はそもそも『宇宙造って人間作った』根本であり根源なので間違いがない。
それでも科学や発掘で事実が明らかになったり、説明が難しいことや理不尽には『神を試してはならない』で避ける。
神学や聖書解読の学者は『聖書や言い伝えと違う事実の発見により真実の神に近づく』って信仰心揺るがないみたいです。

まあ普通に考えれば古い経典も記録も『嘘』や『間違い』が記載されているのは当たり前です。
ネットも写真もなかったから正確ではなかったし。


つまり『信仰の否定』ではないけど『真実でもない』って単純な話です。
嘘を信じている!ってディスでもなく
長い歴史で信じられてきた習慣や道徳心や文化を形成する大切な根っこなので真実かどうかは一番どうでもいいんです。

妄信している人、そして宗教を強く否定する人はどちらも
『真実』にこだわりすぎて視野が狭い気がします。

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じゃあ神道は?
これこそ嘘っぽいですよね?

そもそもおかしいと思いません?
神様って『宇宙そのもの』だったり『宇宙を創った』りしてるはずでしょ?

ところがですね、日本は
『天地初発』の時に高天原あらわれるのが天之御中主神なんですね。
解釈としては
『宇宙の成り立ちの科学的な何かをまとめてひっくるめた』みたいな感じですけど

『天と地を司る』神であって『創造神』ではないわけです。
で、天津神・国津神八百万が生まれます。
生まれるんだけど、ちょこちょこ『出自不明』の神もいらっしゃる。
しかも突然絡んできて突然去るし(ΦωΦ)

わけがわからんし、生きる知恵もないし。
やっぱりダメだな日本!これからはやはり海外!・・・出羽守が喜びそうですけど

神道の『神』=『自然・地形・災害』の擬人化ですよね。

はい、山は嘘ですか?

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海は死にますか?

間違えた(´・ω・`)
海もあるし山もある。川もあるしお天道様もある。

『存在が確実で見ることが可能な神』を祀ってるわけですね。
まさか
「富士山は宇宙人が設置した巨大なエネルギー塔でUFOが飛来した時に駆動電池を充電している!」
「富士山は嘘、みんな存在しない山を信じている。本当の日本最高は天保山!」

って言う人はいないじゃないですか。

信濃川も利根川も石狩川も吉野川も四万十川も夢幻ではない。

神様はいるけど見れない(見えない=存在する証拠としたりしますが)
あの世も死んだ人が
「三途の渡し賃、値上がりしてるから六文じゃ足りないよ」
「こっちにもキャバクラがあって今はダツエちゃん推し」
とか教えてくれる人いないから確かめようがない。
嘘かどうかじゃなくてわからない。


神道は「オオヤマツミっておらんじゃろ?」
って言われても山を指させば間違いない。

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詐欺や嘘ではなく本当に神様がいるのが『神道』なのだと。
だから経典がないしちゃんとした教えの系統がなくても日本列島のそこらじゅうに神様がいるからただひたすら生きてりゃいいですよって。

わたしはそう理解しているのです。

ただ神道がなぜ仏教と融合したのか?
ここが神道の『弱点補強』でしょう。

まず先に書いた『宇宙の始まり』が神によるものではない(創造神ではないことによる神秘性や絶対的強制力の低さ←もともといらないんですが)
そして『死後の説明』がまったくなされていない。

さすがに不安だったわけですね。
日常ですら地獄なのに死んだ後の説明がないって怖かったんですよ。
だから仏教で補強した。
さらに仏教が神道ではだんだん効き目がなくなってきた(と思われていた)祈祷や呪詛の新しい方法を国家に提供したってのもありますでしょうし。

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結局、信仰は己がなんとか整えるもんです。
誰かに誘われてっていうのはどうかな?って感じ。
それと『自分で決めた』かのような誘導をされたりとか。

そんな時に『絶対100%身の回りに存在して見ることができる神』は一つの物差しになるかと。

その神様は地震洪水噴火で荒れ狂うけど天皇陛下がちゃんと祀ってくださっているので日本人は本当にただ生きていればいいよって。

あ、ところで写真の神社は木を伐採してこのようになっています。
マップやネットの記事では伐採前が出てきます。

次はめっちゃ平和な話題です。

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