旅に生きる番外編田村市マイナー神社シリーズその③~2019/9/11~
※皆さまからの投げ銭で旅をする記事の番外編です。今回の水害で水没した工具なんとかしようぜ!的な記事なのでちゃりんちゃりん投げていただけると非常に助かります
神社から話を逸らします。
みなさまの自治体に『福祉センター』ってありますか?
介護センターじゃないですよ(ヾノ・∀・`)ナイナイ
だいたい老人向けのイベントの会場、入浴施設があって安い金額で風呂入れて休憩できるみたいな施設だと思われます。
田村市(旧船引町)は船引総合福祉センターつのがありまして。
昔住んでいた家から自転車で15分くらいでございまして遊びに行っていたこともあり目を瞑ってでも歩けるほど(嘘)知り尽くした場所でございます。
今回その福祉センターには入っておりません。それどころか近づいておりません。
どうでしょうか?
会議室なんて入ったこともありません。なんかやたら走り回って遊んだ記憶があります。入口にゴルフクラブ持った狸のはく製があったんですけどまだあるのかな?(´・ω・`)
子供のころは母方の祖母が船引駅と葛尾を繋ぐバスで月2回ほどやってきていました。
その時は国鉄バスが連絡してまして。
今は福島交通に民間移管されましたが、葛尾はバスでの到達は容易ですがバスのみでの移動がめちゃくちゃ困難(現在村内はオンデマンドバスが走っているらしいが実際に走行しているところを見たことがない)
で、脱線の脱線話をするとこのあたりの話をなぜか高崎産業大学の教授さんが研究していたりします。
高崎出身で福島県とは縁もゆかりもなさそうですが交通地理学・交通史・産業考古学となかなかおいしそうな専攻をしてらっしゃるようで、高崎のバスとはまた別で福島県の路線バスの研究を発表してまして(PDFで見れる)
葛尾に国鉄バスがあったことをほぼ唯一記録してくれている文章なものでして一度ネタにしたいと思っていたんですね。
はい、バスの話終わり。
そんで祖母は家でご飯作ったりして暇になった昼は福祉センターで風呂に入って食堂の月見うどんを食べるのを楽しみに船引に来ていたわけです。
その食堂は今休業しておりますが。
さてその福祉センターには児童館・就業改善センター・グラウンド・アスレチックなどが近接しています。
ちなみにこの画像は親の顔より見た景色なのですがこの就業改善センターがいったいなにをしているのか大人になったいまでもわかりません。
この階段を登ると
児童館があります。ここには死ぬほど世話になりました。
開いていましたが子供は誰もおらず。
トランポリンもできるし、ジャングルジムもあるし、おままごともボードゲームもなんでもある。
そして横山三国志も全巻あったのでわたしの初国志はここ(´ρ`)
本当に誰もいない・・・・
『タイヤ半分に埋めたやつ~』
____
/ .,-、 ,-、 ヽ.
/ , -i ・ii・ i- 、 l
| , 三 ー ●‐' 三ヽ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
l i 、_ | , l | <タイヤ半分に埋めたやつ~
ヽ.(_)‐┴― ' !/ \_______
/ ノ____ /'
ノ-(〒)―
正式名称なんていうんでしょうか?船引小学校にもありましたけど。
色は塗り直されていますが子供の時のまま( ;∀;)
『通 商 産 業 省 所 管』
なんだよ、ずいぶん古いな!って思うでしょ?今の『経産省』に名称変わったのって2001年なんですよ(´Д`)つい最近まで『通産省』だったわけです実は。
自分が遊んでいたアスレチックはお国のモノでした(゚∀゚)
昔のまんまよ
日本全国のガキをゲロの海に葬って来た危険遊具がお色直しを施されてまだ現役です
こちらが急斜面に設けられたアスレチック郡。
昔は上のほうにしかありませんで東屋以外はただの草。
ここに昔シェットランドシープドッグを飼っている時に毎日来ておりました。
だって普通の散歩できないんですもん(´;ω;`)
尋常じゃないスタミナとスピードの牧羊犬でお散歩でもそれを求めるんですわ。
ところが
「よしっ走っておいで!」ができません。
「え~一緒じゃないと(´・д・`)ヤダ」
人間もシェルティと同じ走りをする散歩をしておりました。
普通に首輪をつけて道路を散歩は不可能になり、
どうせ心臓破裂するくらい走るなら・・・・とここに早朝連れて来て猛ダッシュですよ(´;ω;`)
運動部ではなかった自分がのちに飛脚でわりと乗り切れたのはこの時の鍛えが助けてくれたように思います( ˘•ω•˘ )マジ死ぬ
これは色が変わってますが健在。ここをねミニ四駆で登らせてね・・・・(;´Д`)
ちなみに角度の割りに全然滑りが悪くて何か工夫をしないと滑れません。
謎遊具
福祉センターだよ(*´ω`)
誰もいねーやね
その福祉センターのすぐ下にグラウンドがあります。キャッチボールやテニスやって順番待ちの間はゲームボーイやってました。
が、ここはまああれです。もうグラウンドとして使う人もいないわけです。
グラウンドとしての設備は何にもありません。撤去されています。
それはここが仮設住宅でぎっちぎちだったからです。
東日本大震災で避難した住民がここで暮らしていたんですね。仮設は撤去されましたがグラウンドとして元に戻されることはありませんでした。
これは嫌味ですが、避難を受け入れてくれた自治体にすぐさまお礼に来た自治体の長、一言も挨拶しなかった自治体の長と、退去する時に仮設の場所をなるべく避難前に戻して返す自治体と荒れ果てたまま出ていった自治体がはっきりしました。
文句を言う人もいます。「助けてやったのに」
そも人助けに見返りを求めるのがなんだって話ではあるが立つ鳥跡を濁しまくるのもまたそれはどうかという話なのです。
田村市はどちらかというと利用された感じがします。
例えばみなさん『ふくしま復興応援隊』なんていたの知ってますか?
若い女子(男子もいたけど)とSNSで復興応援していたつもりらしいですよ。
このガキらが役に立ったことはねーと言い切りますが。
復興とかインフラは絶対に行政がやらないといかんことです。
だから「見返りのためのふるさと納税」はちゃんちゃらおかしいのです。
災害の応援の意味合いでもダメです。
だって自分の住んでいる町の公共サービスを使うんでしょ?って話です。
福島県もいくら国からもらった金とかでもガキにちゃらちゃらさせてれば復興だ!・・・・みたいな安易な発想でいくらこれに関わった職員に金使わせたんだって話です。
そういう複雑なモノが子供の頃に走り回ったところにあるのは残酷な気がします。
ダムに沈んでもう見れないくらい遠くなれば心の中にしまっておけるけど。
こうやって晒されていると辛い。
その④に続きます