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2018/12/21旅に生きる~消えた煙草神社~

※有料ですが全部読めます。皆さまからの投げ銭を旅費にして旅に出る企画です

みなさんはタバコ吸いますか?

私は今は吸いません。もう辞めてから10年になりましたが以前は喫煙者でした。

ただ「辞めよう!」って思ったのではなく、

「あの当時の体調不良がタバコを吸えなくした」だけで、タバコが嫌いなわけでもありません。

再び吸わないのは線維筋痛症には良くないこと、値上がりで吸うメリットを感じなくなったからです。


で、『田村市』という自治体でまとめられるとあまり出てきませんが、

合併前は『船引町・常葉町・大越町・滝根町・都路村』という5つの自治体であって、船引町が経済農業物流の中心でありました。

田んぼの耕作面積も福島県での3%を占めるなど実はなかなかのもんです。ただし安い米なのでね(ブランドにならない)農家さんはさほど。

画像※トラベルとかナントカ【日本全市訪問様】よりlefthand.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-f9e7.html


で、ここでまたしも謝罪なのですがこの神社が今回の肝なのですが、

自前ではありません。

なぜなら過去に撮影したフォルダをひっくり返してみても出てこないんです(;´Д`)

おかしい・・・・。

とりあえずこの社がタイトルに出てきた『煙草神社』というものです。

子供の頃にはすでにボロボロで雨風に耐えてきた木肌でした。

まず小高くなっている敷地の裏へ。ここには自分が物心ついて『迷子になって遊ぶ』ようになったころから変わらずに保育所があります。子供さんが元気に遊んでいました。

で、奥の駐車場になっているスペースに『牛の体重計』があったんです。

デカい屋根とデカい牛用体重計。実際に牛がいたのを見たのは2回くらい。

その横にある、このいい錆び具合の倉庫。これも子供の頃からずっとここにある年上さん。

もうこの倉庫を使っていたお店も廃業したので使っていない。

では、入口としては後ろになるこの石段からアプローチ。なぜか?

子供の頃は必ずこっちからだったからです。

ここは遊び場でしたから。

石垣。この煙草神社というのは神社としてはマイナーなもので、

鹿児島県、冠岳が総本社と言われる、なんて資料もあるのだけれど、よくわからない。ただ冠岳の煙草神社はタバコが自生しているらしい。


で、タバコ耕作が盛んな地域にあるのまではご理解いただけるとは思うのだが、一番数がある(といっても8か所)のが福島県。

で、船引町というのは過去葉タバコの生産量が日本一だったことがあり、社会の授業の郷土資料でも誇らしげに書いてあったものです。

この景色は『ほぼ』変わっていない。ちょっと右側がすっきりしたくらい。

で、問題のお社。ないの(´;ω;`)

そう、解体されてしまったの。

もうないの。

きっと理由は単純。

老朽化だと思う。お金を出す氏子も少ないってこと。

子供の頃の遊び場だった、って書きましたが今の家に引っ越すまで、この付近に住んでいたので子供会やお祭りもここでした。

しかし、今この町内会はお祭りで神輿もやらないし子供会もない(らしい)。

昔は駅前以外では一番栄えていた区域なのにね。

昔はここで遊んでいると中学生とか高校生が煙草を吸ってたり、エロ本が捨ててあったり、それこそ学校帰りの恋人がこっそりチュッチュしていたり。

ブランコなどの遊具も全部撤去されてもう遊べそうな感じはない。

だがまだ終わりではないんです。

その解体された煙草神社の隣りには『安久津稲荷神社』があるです。地図などではこっちを『煙草神社』と表記しているのもありますが違います。隣同士だっただけです。

なので煙草神社はもう『ない』が正解になります。

一番後ろの鳥居は平成元年寄進。近くの食堂さんだ。

かつ丼がうまいよ('ω')ノ

で、ここには石段が残されていますが、社務所のような建物がありました。

お祭りの時に中に入ってました。

昭和8年の石碑。

そして朽ち果て忘れ去られているこの空間が都市計画竣工記念とかなんという皮肉。

どうしてもここが『忘れられている』感覚がしてしまう理由。

それはちょいと表に出れば廃業した跡のお店の数々、そして小さな社などでも鎮守からの御札や御幣が備えてあったりするのにここはちょっとそういう人気が少ない。そしてある建物が原因だと思われる。

現在は大町公民館。元はなんだったんだろう・・・・

とにかく古い。昭和初期なのは間違いない。

今も使っているのが流し台にペットボトルの洗ったものがあったので把握はできた。

なんか年がら年中開いてたような気がする。

祭りの時はここから神輿が出るからガーンと開け放ってね。

一回だけここで芋煮会があったような記憶もあります。

ここでドロドロになった足を洗ったような気がします。でも子供でバカだったから、洗って濡れた足でまた歩くから結局砂だらけなの。

お祭りもここでやってて。今考えるとよくここで盆踊ってたと思うわけですが、出店も出てたし紫色の夜に明るく提灯と大人が吹かす煙草の煙が浮かんでいたような気がする。


すぐ近くにあるふねひきパーク。今の形になる前にはゲーセンや玩具屋が入っていた。

今は規模こそ大きいけどワクワクはない。元はボーリング場で、ここは徒歩圏内。

まあ色々思うような年齢になったのだし、自分よりも先に消えていくモノが人と物と出てきて、追い越されて、取り残される人間が抱く思いが『手向け』なのだと。

歴史でも神でも忘却されればもうゼロだ。

忘れられなければずっとある。


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