![弘淵神社__2_](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14768287/rectangle_large_type_2_8733085af1458f231835c8d4b2254b01.jpeg?width=1200)
旅に生きる2019/09/11 ~地名から読み取る~ 補完記事その②なんでここにセオリツヒメ
※皆さまの投げ銭で旅をする記事の補完です。ちゃりんとすればわたしが国連で激怒訴えできるかもしれません(゚∀゚)グレタ
今回は写真ありません。クソ真面目まとめです。
旅の最後は続きがあるはずだった。
撤退決意したのはリアルタイムでも、また記事の中でも書きました。
タイトルに答えが出ているのだが『弘淵神社』は地味で小さく立地もひっそりしているが岩手の何かを解くカギになるかもしれない。
岩手県は日本で一番『瀬織津姫』が祀られている神社が多い県である。
これに対して霊的な話とかそういうのはスピリチュアルな人達に任せることにしてたびいき的『インフラと地形』からの解読をしてみたいと思う。
ここでおさらいだが瀬織津姫は『大祓詞』に出てくる神でみなさん大好き古事記や日本書紀には出てこない。伊弉諾尊が黄泉の国から戻り禊をした時に産まれた神の事ではないかと言われている。
どの神の事なのかは説があり、本居宣長が「瀬織津比売は八十禍津日神じゃねーかなホジホジ(´σ_` ) 」と当てはめていたりはするがもちろん正解はわかるわけがない。
役割としては『罪やケガレを川から海へ流す』役割を果たしてくれる。水に流す日本人のキャラ化のような神である。
よって水神として祀られる。清めてくれるし、旱魃や水害にも関わってくる。
ただ東北人として素直に思うのは日本神話も仏教も、そういうモノは関西・九州が中心であることだ。
考えなくても当時日本の中心は近畿であったし、海外との交流点は博多だった。
未熟な農業技術では天候に左右されるが、関東や東北はバクチ要素が高くなる。ところが関西は面積的に量は望めなくても安定供給が受けられる。
都も人も物資も近畿を中心に動く。物語や信仰ももちろんそれに付随して発展するからだ。交流点上にない文化はだいたい廃れるか残っても文章がない場合が多い。
アラハバキなど地域的民間信仰は関東や東北のほうがあるが文献や資料は絶対少ない。
東北の神社はもちろん全部ではないが
縁起の年代が古い神社は『都に近い神を引っ張ってくる事』が流行の最先端だった頃にどかんどかんと勧請したのではないか?と思っている。
みうらじゅん氏といとうせいこう氏の『見物記』の東北編で
「東北の仏像はパース狂ってる。下から見上げて都の仏像を覚えた人間が記憶を辿って掘ったから」
という推理をしていた。
そこまでして東北に仏が欲しかった時代がある。それと同じような事が神道でもあったと思う。
荒々しい作りの神社が多いのは地形、そして都で見たり聞いたり覚えてきた人間の再現だから。
大きいところはきちんと都から指導者や技術者が来て関わっていたと思う。だから別に違和感を感じない。
都から遠く野蛮に扱われた東北、その中でもなぜ今の岩手県にあたる範囲に瀬織津姫が多いのか?
本編でも触れたが岩手県は北上盆地ともにある。もちろん全てはないが、地形的にここで展開するしか術がない。これは現代でもそう。自治体から道路鉄道までやはり栄えているのは北上盆地上だ。
北上盆地はむろん北上川とともにある。
これは新しい知識でもないし目から鱗の話でもない。初心者に説くようなレベルでもない。当たり前、当たり前の話である。
その北上盆地と太平洋を隔てるのが『北上高地』ここの最高峰『早池峰山』は山岳信仰が盛んな山である。
この早池峰山と岩手山は姫神山を取り合って喧嘩した伝承がある。姫神山が名前の由来のアレといえばアレしかない
その他にも遠野物語をはじめいくつかの伝承や昔話が残っているがほぼ『姫』である。
山であるのになぜ瀬織律姫でなければならないのか?
北上川は暴れ川ではない。むしろ逆。緩やかすぎて洪水の時はむしろゆっくりと周りを飲みこんでいくじわりとした流れ。
ではいわゆる『スピリチュアルな人達』な理由なのか?
まつろわぬ民が中央と混じりあい狩猟や屠殺のケガレ認識しそれを払うため、早池峰と北上の流れに浄化を求めたのか?
これをたびいき視点で解くのはこの弘淵神社にある。
小さい神社であるが、元は仏教施設である。
地蔵祀って篤く信奉されたらしい。境内には
こういうモノもある。
元文4年に大旱魃(この年、四国などで旱魃があった記録はあるが岩手周辺で旱魃があったのかはわからない)に襲われた際、雨ごいをし成功、その時に地蔵を大明神にし『弘淵大明神』として祠を作った。
のちに瀬織津姫を合祀、廃仏毀釈によって瀬織津姫のみとなる。
この由来こそ答えなのではと。
旱魃は頻繁に発生しなかったろうが冷害は恒例行事、ところが川が緩やかすぎて奥まった(現在の中心部や道路沿いから見て)土地で小川がある耕作地以外、
つまり人口が集中するところではむしろ水が足りなかったのではないか?
流れが厳しいからこそ水路開削も楽になる。
ところが新渡戸稲造記念館で長いトンネルを作り水を導く工事の様子がジオラマで再現されていた。
岩手は『そのまま田んぼにさえすれば使える地形』だと書いた。
だがその地形にトンネルを掘っていたということは、必死に勾配を回避しないといけないぐらい水の勢いが弱く広い田畑に水が引けなかったのではないか?
荒々しい神によって水害を治めるのではなく、枯れることなく溢れることなくの現状維持を望んだのが日本一の瀬織津姫地帯の原因だと。
最近は『田舎暮らし』『エコ』な生き方でセミリタイアした人が農業をやる場合が多い。
だがそもそも人間の過ちはどこにあるのか?というと
海外なら『小麦』日本なら『米』を作ることにしてしまったことだ。
木の実を拾うよりも多く、狩猟よりも楽に食料が得られる。
これは画期的な事だ。食料を得ること自体が戦いであった人間には願ってもない話だ。
米は牙を剥かず走り回ることもなく安全である。大きい熊や鹿を命を落としてまで狩る必要はなくなった。
だが野山をはしりまわる必要がなくなったが、1年中田んぼから離れることはできず常に目を見張り手を加えなければいけなくなった。
自然との戦いをはっきり意識したのは同時だろう。
さらにたくさん収穫できた場合は良いが日照りや冷害、病気、天変地異でやられた場合は一気に生活レベルが落ちる。
一度覚えた贅沢は忘れられない。
食料のために働くことになる・・・・
社畜ではなく、『米畜』。これが日本人。
だからこそ土地にこだわり守り武士が興った歴史に繋がる。
それを忘れた現代がどうも歪なのは何の奴隷になるか?を間違っているからではないか?
米なら飯を食わせてくれるが外国の株主に隷属しても最悪の時に飯の保証はない。
国民で助け合うにも全員が外の奴隷なら余裕がないから誰も助けられない。
だが国家が『絆』『助け合い』と言い出したら末期だ。
おや・・・・まるで現代のような。
米でも肉でも『命を捧げた生き物』への感謝とともに作ってくれた『生産者』への感謝が足りないと国は崩れる。
その時に外へ食料を求めてもライフラインが駆け引きに使われてしまう。
それでいいのか
おわり
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