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2019/06/27 旅に生きる ~地形考①~

※本来と違う写真とネタですが合体させます。

人類が誕生して何年ですか?400万年でいいの?最近は考古学はじめ歴史の教科書かわるじゃないですか?

とくに日本では大戦犯ゴッドハンドがね・・・・。福島県にいるってマジですかって感じですね。いや、こういう問題起こしちゃった人みんな面倒みたらあよ、福島県!ぶっささしたらよ!(;´Д`)

先史時代の事はまったくわかりかねます。もちろん地形変動や気象変化などを地下や地層などの調査である程度までわかることができても日常までは掴むことはできない。

人間が日常を記録しだしたのはいつからなのだろうか?

現存する人類最古の日記はみなさんご存じ「御堂関白記」(そんなご存じじゃないだろ)

ところが海外は15世紀くらいまでらしいですね。どうやら記録に使われる紙の原料が『古着などのぼろ』や『皮』などで大量生産ができず、新しい紙を作るために貴重な古文書を再生紙にしちゃったからだとか。

それと「海外は個人の感想や細かい記録に価値を見出さなかった」って見解もあるとは思うんですけど、例えば政権が交代するとか、王朝が倒された!みたいな時の資料や文書の焼き捨て(勝利者が焼く)も大きいと思う。

財宝とか建物じゃなければ無価値!・・・とみなしても仕方がないのが『伝統や歴史を打ち倒す』ということだし革命だし。

個人単位ではメモ魔は絶対いたと思うんですよ。


とりあえず『旅に生きる』は太平洋ではなく日本海に向かう法則(浅草の時にすでに破っている)に沿って49号線をひた走る(タイトルの日付当日)

49号線をががーって走ったら、どどーんって右に曲がって、さらにきゃーんて右に曲がると気持ちのいい道路で到着する。

あれだね、某NHKの火野正平みたいにお手紙読む流れになりそうなお天気ですね。

ここはなんですかって言われたら新潟県にある福島だよ。

まず、わたしは震災後とても日本海側への強いあこがれがあるのですね。

地震前と価値観はもちろん大きく変わったのですが、危険察知能力子供のころから強くて(霊感はないぞ)地震が来る30秒くらい前になぜかわかってしまう。

玄関開けて窓開けて泊りに来てれば、ばあちゃんに声をかけてバッチコイしてから家が揺れる。

犬猫を飼うようになってから

「へー犬も猫も地震前ってぴくっと反応するんだ(´・∀・`)」

って知るものの、猫より反応が早くて自分にびっくりした。

3.11の時も猫3匹と犬抱っこして外に出て車の陰に逃げたんですよ。犬も腰ぬかすのね(;´Д`)


ちなみにここまで書いておきまして前置きしますが、今回は非常に長くなります。

寄り道したりすごい思考がまとまらない可能性がありますのですが暖かい目で見守って投げ銭をちゃりんちゃりん( ・∇・)つ⑩


やってきた。

長かったけどまだ10時。

で、なぜ日本海側へ憧れるようになったのかって話ですね。

日本海へ近い場所と言ってもバカみたいに山の中へ籠ってなんだか無産だけど健康的なね、健全だけど社会的ではない生活を送っていた時にたくさんたくさん見つめました。

ただ山の中の田舎ってだけですけど。

だからみなさんに提供できるような山村の厳しくも暖かな暮らしも山の芳醇な恵みも一切書けない(笑)

でもそこから立ち去って趣味に戻る時間が多めになった。もっと正確に言うと本を読んだりインターネットを連続して閲覧することが厳しかったのでちょっと読んでは思考する・・・・を布団で、動けなくなった階段の途中で、ちょっと風に当たってたら気絶してた縁側で繰り返してたわけ。

それと月に1回必ず会津に通院をもう5年も続けているので、そりゃラジオ流しながら、ブルータルなメタル流しながらでも景色や地形で思考をする。


前世のブログや通常形態のSNSでは絶対にできなかった、どろっとした考えと地形と道路と人とモノの流れの連続が『旅に生きる』なのだ。


会津に通って体調がだんだん良くなると

「帰り道にちょいと足をのばしてみようかい」

となった。最初は昔通ったラーメン屋の再訪から。

そして峠道の再訪。

で、メインっていうか、大きな声じゃ言えませんけどガンガン走ってた林道にも行ってみた。

林道は会津ではない。近さとわたしは『ダート系』だったからいわき界隈がメインでね、

まあ・・・・舗装になってるかバリケードで立ち入り禁止か、行き止まりが広大な除染のフレコンバック置き場やね・・・・。

砂利で崖と岩の危険な道は綺麗で安全、そして周りの木々の丸ハゲにして悲しいほど人工的な芝や流出防止だけされてそのままの土が空を仰ぎ見ていた。


いずれ古い道路は新しくなる。危険は安全となる。それはいい。

だが必要以上なものって本当にそれが必要かって見極めっていつも難しい。

聖路加病院のロビー、廊下、チャペルで緊急救命医療処置ができるからサリン事件の時にたくさんの被害者の方が救われたけど、建設当時は

「無駄」って言われたそうだし。

秋田が人口減少に歯止めが止まらないとニュースになっていたが、そりゃ新幹線走らせて高速通せばねぇ・・・・。

本当に便利になってほしいのは通勤通学とか買い物、物流であって人がホイホイ都会に出て行ったまま帰ってこない上京難易度ではないはず。


富山編で書いた『交流』だけれど、そこからもっと掘り下げたい。

どうせ人は独りだ。

みんなたまたま一緒に歩く人や背負うハメになっちまっただけでとりあえず右足だして左足出さないと前に進んでくれない。

立ち止まっていると考える。

「なんでここにいるのか」

歩き出すと考える。

「なぜ歩いているのか」

雨が降ったら

「濡れてみよう」とか「ずぶ濡れは御免だ」を気分と状況で使い分け、

あげく分岐点にぶちあたってはじめて

「どこに向かっているのか」

を考えなければいけないことに気がつかねばならないのではないか?と考え始める。


そうするとやはり『日本海』になってしまうんだな。

太平洋はどうも人の動きがデカいわりに薄い。下町人情劇は距離が近くてみんな顔見知りだからだ。

それ以外はなんだろう、やっぱり『東京に吸い取られる養分』な気がする。もちろん東京以外の関東は近いから吸い取られる被害も少ないし、むしろ横から吸い取ることもできる。

自分は行ったことがないのでなんとも言えないのだが、四国ってあの、アレなんでしょう?

けっこう、あの『ヤバい』んでしょう?

東北もね、その寒村というか、もっとダイレクトに言えば墓石の数と牛と熊のほうが人口より多いみたいなところばっかりでね(;´Д`)オホホ

でも時代を遡れば四国は元々は豊かな土地とみなされていました。東北は征伐すべきまつろわぬ民の住む辺境で、金や鷹、馬などの宝がうなるフロンティア。

時代が下がって米本位な経済と食生活になったらそれが逆転した。

冷害で大根齧って、娘を売り飛ばし、やっと作った米は年貢に足りず。

ところが海沿いは交易で栄えているし文化も華やかで秋田蘭画なんて本当に独特。

もちろん江戸とのやりとりも他大名と同じようにあったわけですが、日本海側は手に入る物資が幅広く感じるわけなのだ、太平洋よりの山育ちからすると。

で、ここはなんだ!と問われれば。

『新潟県』にある『福島潟』

『にいがたにあるふくしまだよー(o・∇・o) もちょだよー』

ダジャレか!(#・∀・)

『潟』ってのは砂などの堆積によって流れから遮断された湖や沼のこと。

『新潟県』の漢字に入っているのは無関係ではないのだ。

越後平野は水はけが悪い。

米が採れる豊かな土地であったけれどもそれは湿田(アジアなんかで見る腰まで水に浸かるような田んぼです)。

しかも豊かさを保証する大河、信濃川と阿賀野川が大量の養分と土とともに決まって水害もプレゼントしてくれる。

エジプトのナイル川の氾濫なんかと同じのような気がするが、あっちは雨季の決まった時期に穏やかに水位が増す。だから逃げて水が引くのを待てばよい。

ところが日本はそうはいかない。山に大勢は住めない。交易と農業、物流を支えるポイントと人口過密地点はおのずと平野に集中する。

そしてその平野は梅雨時に限らず大雨が降れば氾濫したり、増水で家や田畑がダメになったりした。

水が引いて戻りかけても地震や冷害が間髪入れず挨拶にやってくる。

最近は『家康 江戸を建てる』なんて小説もあるそうで(未読)

内容はわかりませんけど、家康のやったことは都市の建設ではなく、関東平野の乾燥から手を付けた、だから江戸はあれだけ発展したわけ。

この福島潟だけじゃなくて他にも鳥屋野潟とかあるけど、だいたい消失している『新潟県の潟』

もちろんこれは干拓で消失したわけ。

結局、潟があるということはそれだけ土砂が堆積する流れがあるということ。それが積もり積もって『新潟砂丘』を形成、

さらに日本海側の砂丘は排水しにくいという特色をもっており(鳥取砂丘もだよー)

江戸と同じように乾燥をさせるには土砂を開削し排水を促すしかない。

それを解消するために放水路を作るのが江戸中期から。

新発田藩が『松ヶ崎掘割』を完成させて信濃川に合流していた阿賀野川の日本海排水に成功、紫雲寺潟の水田化が進んだ。

これにより生産力は上がる。

新発田藩はとにかく苦しい財政の再建のために米の増産が急務だったからありがたい話。

が、ここからが面白い(いや面白がったらダメか)。この松ヶ崎掘割は決壊、流れが変わって決壊した堰がそのまま河口になって日本海と直結した。

ここからおもくそ水分が抜けてたくさんの新田開発、その残り一部が『福島潟』なのだ。

「米が作れるようになってよかったね」

だが話はそうはいかない。

流れが良くなりすぎて港が浅くなった。これは新発田藩と長岡藩の争いの種に、さらに開国したあと新潟へ大型船の入船ができない原因となった。ちゃんちゃん(´・ω・`)

新発田藩、いわゆる大名は幕府から領地を与えられてそこを収めているわけです。

色々な負担を強いられていたけれど、

「はい、辞めます」

とはいかない。

で、どれほどまで領地を把握していたかはちょっとわからない。

例えば二宮尊徳のように荒廃した領地の再興を命じられた場合はしっかり現地を検分したはず。

代官が名主などから上がってくる情報をまとめ、その報告をどう経済再興の責任者が読み取ったか。

「山がちで米とれず」

と書いてあれば普通は他の産物を考える。

しっかりと検分をした人間であれば

「あそこの荒れた平野はなんとかできぬか、水がないようじゃ」

と疎水とかそういうのに気がつくかもしれない。


はい、いまぬるっと書きました。

こういうね、書き方しかできない己が本当に嫌になるのだが、

その土地にへばりつくしかない人間、逃れられない人間はどうやってその土地の『地形』と戦うか?

ここからその土地の『思考』は産まれる可能性はないだろうか?


『米どころ思考』

今勝手に思いついたネーミング。

百姓というよりもっと強い土地帰属本能。

『所有』とかじゃなくて『帰属』なの。

彼らは米が作れるところに産まれそこで育つ。

ひょっとしたら青年期にちょっと外で働いたり学んだりするかもしれないが、必ず稲穂が風で揺れる原風景に帰る。


大名とは違うけれど、田んぼや畑の所有を代々、しかもちゃんとそれで生計を立ててきた大きい規模の農家さんってその土地に産まれた事がとても大事なんですよ。

自分で開墾した土地を守るために武装した農民からおこり階級として定着しても武士が農業と切り離れることが江戸時代までに最終的になかった(身分の流動性として武士階級になる農民は江戸期もたくさんいる)


氏(地名に由来した氏もあるけれど)ではなく土着した土地の地名を『苗字』にすること、これこそが武士、そして『米どころ思考』なんじゃないだろうかと。


こういう人達は土地を守る。土地本位制。土地から採れる作物や魚、獣の肉毛皮、恵まれれば金銀の鉱物・・・・

しっかりと土地を守り土地から離れさえしなければ生きていくことができる。

土地の値段は関係ない。だが米の値段はとても重要だ。豊作でも安くては儲からない。ブランド米がたくさんあるのは単価を上げたいから。

でも聞いた話だけれど、昔ながらの値段のつかない品種の米はたとえばお寿司屋さんとか老舗のお店などでは需要があるのだそうだ。

ところが儲からないから作っている農家が少ないので、入手ができない。

新しい品種だと炊き方を工夫したり、古米や違う種類をブレンドしたりして対応するそうだけれぢお、それでも味が違ってしまう場合もある。

『さわのはな』のように保存栽培が成功している例もある。これのご先祖様の『朝日』も岡山県で栽培しているけど炊き込みやお寿司には最適らしい。


また米以外の野菜や果実類だと海外の安い商品に数で圧倒されてしまう。

こちらのほうがお米よりブランディングでいかに高級にするか?は発展しているが、数的にどうなのだろうかと。

結局「大量に食べるのは海外でぜいたく品は国内」という逆転現象じゃないかと思う。

昔はバナナは高級品だった。

ところが今は高級バナナのために海外で過酷な労働を日本の企業が農園でやらせてたりしてるわけだ。

血のにじんだバナナはうまいか(´ρ`)

きっと今回は話が逸れまくる。

許してほしい。

土地が生み出す富の確保、その正当性は開墾したかどうか、維持しているかどうか、所持しているかどうか。

それの1つの証明が『土地由来の苗字』であったわけで、

そういう人達からすれば『移動を許されない人生』が当たり前、

そういう人達の思考はどうなるのか?となると

古臭くそして安直かつ雑で簡単に言えば

「田舎くさい」

になるのかもしれない。

家を継ぐとか、地域の面倒事とか、そういうのにうるさくて。

でも参加している張本人がそういうのを一番面倒くさいといいながらも寄り合いとかにひょいひょい出かけていく。

自然を守る環境意識が高いのか?と思いきやわりそういうの無頓着だったり、知識もなかったり。

だが親がしていたことを自分も繰り返して、子供を育て、春に植え秋に刈り冬に凍えまた春を迎えていれば死ぬことはない。


安定志向になるのではないだろうか。


彼らは悪意なく持続させる地盤となる。彼らが作る米で生きているのに、それを意識することすらせずに、

「いただきますは命をいただくって意味なんだよ」と子供にしたり顔で説教する都会の親にも米と野菜と肉と果物を届けていく。


だが彼らは悪意なく腐る事もする。

新しいことにはまず対応ができない。『反対』ではないのだ。『不安』なのだと思う。

よく土地買収で寺社はそんなに抵抗せず応じてくれる場合が多い。

農家は違う。

同じ面積を与えて新しい農機具を買える金を渡しても拒否するのだ。

家から畑の距離が変わることが自分の身体の一部を切り取られる思いになるのかもしれない。

「脚を切りますね」

と医者に言われてもすっぱり切ってくれと言えるかどうかって人による。

また医者側も「なるべく切らない治療法」を選ぶ場合もある。

別に悪くもなんともないのに自分の土地を切り取られるのは我慢がならないのだ。

たぶん、という仮定の話、しかもまったく現実味のない話だが、

「新しく移転していただく土地を1年間、今の土地もお住まいのまま使ってみませんか。稲もこちらでお金出します。もちろん収穫して出荷したらそれはあなたの儲けですよ」

とやって実際に耕作をさせてみる(しない人のほうが多いかもしれない)

と1年で新しい土地に納得して移る可能性は上がるのではないか・・・・と。

昔の武将なら

「そちには岩代国信夫郡へ土地を与えようぞ」

と言われたら従ってその土地へ引っ越すしかない。

今の農家はもちろん武士でも大名でもないが、やはり心はその土地への強い一体感があるはず。

田村市では専業農家が減っているのでさほど実感も湧かないし、話を聞くこともないが、

新潟は専業農家の数が全国3位耕地面積2位、もちろん米は1位。

数が減っているのは新潟県も同じではあるのだが、これは全国平等に訪れている『高齢化』と『不採算化』、そして『後継者不足』なのかもしれない。


土地から動かない、動けない人はその土地に全てを委ねる。

ダメだと言う事ではない。

そういう田舎暮らしこそが大家族で少子高齢化を防ぐし、都会への労働力を供給するし、都会からの人を受け入れる場所となる。

さらに交易に使われる商品の供給源だし、また商品の終着点である。

実は動かないことで『動線の一部』となる。

彼らが動かないからこそ『動く民』は安心して旅をして水や食料を補給し、宿を確保できた。

治水に関しても誰に対して行われるのか?と言えば現代は『全国民と滞在している海外人』であるけれど、昔や、現代でも地方の主要部分は

やはり『農家』のためだったりするわけだ。

延々長々と書いてまったく『福島潟』の話をしていない。

というか実はするつもりがない。

野鳥や魚の事は公式サイトで見てください。それでいい。

福島潟は残ったが、消えたたくさんの『潟』は別にただ消えたわけでも、不便だとか道路を作るためだけに消したわけではないこと、

そしてそこに生きる人がどうなのかだけだ。

でもこれでいいのか?

そう思いません?実は書いているj中の人が一番そう思っている。

ならば次回へ続こうぞ→その2 


投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。