私の人生、私が自分で選んでいいし、決めていい
世の中で1番本音を話せないのが、親。
1番隠し事が多いのは、親。
生まれたときから親に洗脳されて、親にコントロールされて、生きてきた。
幼い頃から、親の機嫌や親の考えを伺い、親の価値観を読み取り、それに合わせて、同意して生きてきた。
親の希望と自分の希望が違うとき、私は自分の意見を言えなかった。
言えなかっただけじゃない。自分も親と同じ意見であると主張していた。
“あくまで私の希望が、たまたま親と同じだっただけだよ”と。
それが日常になりすぎて、親に合わせにいったはずの意見を、自分の意見だと錯覚するようにまでなっていた。
体調不良も、なぜか言えなかった。
何気ない弱音も、吐けなかった。
親の前では、どんな理由であれ泣きたくなかった。
感情的になっている自分を、出したくなかった。
弱い姿を、親には絶対に見せたくなかった。
子どもらしさを、出せなかった。
人間らしい姿を、さらけ出せなかった。
そんなふうに生きてきた私が、
“親に反抗した”と思っていたエピソードがいくつかある。
そのうちの1つ、
「中学でバスケ部に入ったのは、私の過去で数少ない親への大きな反抗。母は私に陸上部に入ってほしいと思ってたから。」
という話を、とある人にした。
そうすると、
「それは反抗でもなんでもない。なんの部活に入るかは、のんが決めることなんだから。のんの自由にすべきこと。それは反抗とは言わない。」
と言われた。
私は心底びっくりした。
これが反抗ではないということ、
そしてそのことにこれまで気づかなかったこと、
両方に、びっくりした。
反抗でもなんでもない、私が自由に決めていいこと、あの選択は、ただただ私が自分の人生を選んだだけ。
今なら普通にそう思える。
でも言われるまでは“立派な反抗”だと思っていた。
小学6年生のとき、陸上クラブにスカウトしていただいたのを、「バスケがやりたいから」と断ったあの選択も、
高校3年生のとき、大学を第一志望、第二志望にしていた私が、滑り止めのつもりで受けた専門学校に受かったとき、大学の一般入試を待たずに、専門学校に進学することを決めたあの選択も、
助産師をやめて転職するとき、地元に帰ってきてほしい親の気持ちを知りながらも、地元には帰らずに県外で一人暮らしを続けることを決めたあの選択も、
“またいつか、助産師や看護師として働いてほしい”と薄っすら遠回しに伝えてくる母に対し、YESは言わず曖昧に返し、心の中では“絶対にこの先医療従事者としては働かない”と強く思っているこの私の考えも、
全部、反抗でもなんでもなかった。
私はこれまでずっと、これらを、数少ない親への反抗だと思って生きてきた。
反対意見を伝えることすらできなかった私の、精一杯の“反抗”のつもりだった。
けれど、
きっとどれも、反抗ではなく、
私が自分の意思で自由に選択していいことを、私が自由に選択しただけ。
私の人生を、私が決めただけ。
これらを反抗だと思っていた自分の感覚が、どこまでも親に囚われていることに気付き、ただただ怖くなった。
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これは、約1年前に書いて、記事を完成させることができないまま、ずっと下書き保存されていたもの。
今の私にとって、
「これらのエピソードが“反抗ではない”」
「のんが自由に決めるべきこと」
と教えてもらったことは、とても大きな意味を持っている。
なにかを選択する必要があるとき、私の脳内には今でも親の存在が出てくる。
親に相談や報告をすべきかとか、親だったらどんな意見をするかとか、無意識にグルグル考えてしまうことが多い。
それでも、今の私は、途中で“今親のこと考えてるわ、よくないわ。やめよう”と気付いて考えないように意識して、最終的には、ちゃんと自分の素直な意見を出して、自分の意思で選択する。
“私の人生、私が自分で選んでいいし、決めていい”
そう教えてもらったことで、自分が選んだことに罪悪感を抱くことも減ったし、親からどう思われるかを不安に思うことも、減った。
(幼少期の経験は恐ろしいもので、あくまで減っただけで、まだ全然なくなりはしない。)
今冷静に上記のエピソードを振り返ると、「わりと人生の中での大きい決断、自分の意思でしてきてんじゃん」と思う。
日常に溢れる些細な選択が自由ではないことは、当然生き苦しさに繋がる。
(“親なのに素直な意見が言えない”という心理的苦痛も含め )
ただ、私は大事な場面では、結構ちゃんと自分の意思を表現できていたこと、
(もちろんそれは、とてつもない葛藤と勇気と覚悟が必要で、かなりの苦痛の上で、やっとの思いで意思表示をしていたことは、事実としてあって、“意思表示をできていた”という部分だけを見て、綺麗事にはしたくない。)
そしてそれらの選択を、今の私はなにひとつ後悔していないことを考えると、
なんだか少し、心が晴れやかになりそうな気がしなくもない感じがする。
これから先長い人生、大中小様々な選択の連続の中を生きていくことになる。
その中で、少しずつ少しずつ、脳内に親の存在が浮かべたり、罪悪感や不安を抱くことが減っていってくれたら、
いつか、なくなってくれたら。
そう願いながら、もがきながら、
私は自分の意思で選択しながら、
生きていく。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。