私を変えてくれた1年
私には、助産学生として過ごした1年間の過去がある。
助産学校に進学すると同時に実家を出て、周りに知っている人が誰一人いない状況で一人暮らしを開始し、助産師になるためだけの1年間を過ごした。
予定通り1年で助産師になれた私は、助産師として総合病院の産科に就職したが、3ヶ月で退職した。
助産師を退職後は、医療福祉系の世界からは完全に離れ、工場勤務を選んだ。
転職してもうすぐ1年。
助産師に戻るつもりは今のところ一切ない。
今後、医療・介護の現場や福祉関係の仕事に就く選択肢も、今のところ持っていない。
多大なお金と時間と労力をかけ、親に負担をかけ、自分の身体も精神も削りすり減らしながら、看護師国家資格と助産師国家資格を取った。
けれど、その資格を活かす生き方は、する予定はない。したくない、とすら思っている。
それでも、私は助産師になったことを1ミリも後悔していない。
(助産師をやめた理由や今の工場勤務を続けている理由については、また別で、しっかり整理して、noteに残したいと思っている)
後悔していない理由はたくさんあるが、その中でも、「助産学生としての1年で出逢った人たち」の存在がものすごく大きい。
“もし、助産師をやめる未来が最初からわかっていたとしても、あの助産学校のあの年に入学して、みんなと出逢いたい”と心の底から思えるくらい、素晴らしい出逢いに恵まれた1年だった。
1学年1クラス、二十数人。と、先生方。
1番お世話になった素敵すぎる先生のことについては、よろしければこちらを。
クラスのみんなは、本当に優しくて、褒め上手で、穏やかで、大人で、真面目で、明るくて、平和だった。
女子が二十数人も集まっているのに、厄介ないざこざは一度もなかった。
ほんの一部、何人かの中でトラブルがあったときも、事の発端となった子のことを必要以上に責めず、そして他のクラスメイトに不必要に話をせず、大人な対応をしたことで、関係した何人かの中で完結していた。
看護師経験を積んだ上で進学していたり、他職種で社会人経験があったり、自慢できる学歴や経歴を持っていたり、看護学生時代はその学校内でトップレベルの成績を当たり前にとっていたり。
ほとんどの人が、助産師になりたいという強い強い意志のもと、血の滲む努力を重ね、必死に合格を掴み進学してきている。
そんな人たちの集まりだから、絶対に高いプライドを持っているはずだし、自分への自信も誇りもあるはず。
我が強くて当たり前。強くないとここまでやってこられないだろうという世界。
そんな人たちが集まっているのに、自分のプライドや自信を人に押し付ける人は、誰ひとりとしていなかった。
威張ったり、出しゃばったりする人も、上から目線の人も、いなかった。
自分だけが有利になることや、誰かを蹴落とすことを考えている人も、誰ひとりとしていなかった。
人の意見に耳を傾け、お互いを尊重し、褒め合い、補い合い、みんなで協力する、そんなクラスだった。
こんなにも綺麗事のような集団、存在すると思っていなかった。
講義に技術練習にテストに課題に実習にグループワークに国試勉強に、、、怒涛の日々で、それぞれが常に必死で余裕もない1年間を共に過ごしていたのに、最後までしっかり素敵なクラスだった。すごいと思った。
私はクラスの中で、何をしても助けてもらうばっかりの立ち位置に1年間いた。
なぜ助産学校に合格できたのか、本当に疑問でしかないレベルの人間。
勉強も実習も、苦手だった。
グループワークでも、ついていけないことが多々あった。
人間関係も下手くそだった。
そして、1年間ずっと、わかりやすく精神的に不安定だった。
そんな、存在自体が迷惑でしかない私みたいな奴にも、みんな嫌な顔せず相手をしてくれた。
本当に本当に優しくしてくれて、たくさん甘やかしてくれた。
1人のクラスメイトとして、物理的にも精神的にも、当たり前かのように仲間に入れてくれた。
勉強でも、実習でも、技術練習でも、グループワークでも、たくさん教えてくれて、たくさん助けてくれた。
学校でもプライベートでも仲良くしてくれて、たっくさん楽しい時間を一緒に過ごしてくれた。
たくさんたくさん笑わせてもらった。
私がしんどそうにしていると、みんなが心配してくれて声をかけてくれた。
精神的ストレスが原因でなにも食べられなかったとき、自分用に持っていたはずの食べ物をくれた。
精神的ストレスから声が出なくなったとき、面倒くさがらず筆談に付き合ってくれた。
声が出なくなったと伝えても暗くならず、「声出えへんってやばいやん!」と笑ってくれた。
「声出やん状況で笑ったらどうなるん??」「笑い声は出るん?笑」と笑わかしてくれた。
自傷行為や自殺願望、希死念慮についての話題を、腫れ物に触るかのような対応ではなく、日常会話の一部として明るく扱ってくれた。
「生きづらそうな考えしてるなほんま」
「もっと楽に考えたらいいのに」と何度でも伝えてくれた。
「最近腕切ってるん?」と定期的に聞いてくれた。
「傷どんなんなん?見してや!」と普通に言ってきてくれた。
「死にたいとか思ったことないからわからんわ~」と普通に会話してくれた。
私が、絶対にしてはいけないタイミングで自傷行為をしたことで実習グループのメンバーに迷惑をかけてしまったときは、「ほんま何してるん」「まじやめろや~」「のんちゃんのせいやからな~」とちゃんと怒ってくれた。
それでもなんだかんだ、いつも「死ぬなよ」「生きろよ」と言ってくれた。
オンオフの切り替えが上手な人、
手を抜くのが上手な人、
努力するのが上手な人、
何事も楽しむのが上手な人、
素でめちゃくちゃポジティブ思考な人、
どんな出来事も全部笑い話や楽しい話にして話す人、
人を褒めるのが上手な人、
人を助けるのが上手な人、
、、、
そんな人たちに囲まれ、助けてもらいながら過ごしたことで、私は自分でも驚くくらい変わった。
それまでの人生では、“しっかり者”と言ってもらえることばかりで、集団の中心人物になることの方が多かった。
それが、助産学生の1年間は、問題児のような存在で、中心人物になることもなく、ふわふわと過ごしていた。
周りのみんなが圧倒的にしっかりしてるから、“しっかりしなきゃ”と思うことがなくなった。
それによって、無理することが減った。周りの人を頼ることが少しできるようになった。
私は別にしっかり者じゃなくてもいいんだ、ということを知った。
「人って自分が思ってたより助けてくれる」「素直に頼れば、快く手を貸してくれる」ということを知った。
0か100か思考、白か黒か思考しかできなかった私が、30くらいの思考や灰色の思考を選択できるようになった。
「物事は案外なんとかなる」ということを知った。
「程よく手を抜くことも大切」ということを知ることができた。
「まぁいっか!」と考えることが前よりできるようになった。その考えに、罪悪感を抱きにくくなった。
イライラしたこともモヤモヤしたことも、明るい楽しい話にすれば面白くなることを知った。
「物事の目的が、“楽しいから”でいい」ということを知った。
こんな私でも、楽しい時は感情のままに素直に笑っていいのかも。と思えるようになった。
実際に、楽しい時に素直に笑えるようになった。
ちょっと笑えることを、ほんの少し大袈裟気味に笑ってみるだけで、何倍も楽しくなることを知った。
誰かと時間をともに過ごすことの楽しさと素晴らしさを知った。
誰かと仲良くなることの素敵さを知った。
私は助産学生の1年間で、めちゃくちゃ笑った。
その前の過去6年間の合計より、助産学生の1年間の合計の方が、たくさん笑った自信がある。
そのくらい、周りのみんなのおかげで、楽しかった。
私自身、明るくなったと思う。
もちろん、楽しいだけの1年じゃない。
助産学生としての課題を乗り越えていく日々の中には、物理的・身体的な辛さがたくさんあった。そしてなにより、精神的な苦しさが山ほどあった。文字通り、心を削りながらすり減らしながらの日々だった。笑えない、食べられない、寝られない、起き上がれない、そんなのが日常茶飯事になるくらいに精神的に追い込まれていたのも事実。
でもそれでも、たくさんたくさん笑って1年間過ごせたのは、周りにいてくれたクラスのみんなのおかげでしかない。
1年間、精神的な不安定さと戦いながらも乗り越えられたのは、クラスのみんなが助けてくれて、支えてくれて、甘やかしてくれたから。
こんな私の精神的な不安定さを否定せず、受け止めてくれて、時に流してくれて、見守ってくれて、ちょうど良い距離感を保っていてくれたから。
こんな私なんかの存在を認めてくれて、物理的にも精神的にも、私がちゃんと存在できる居場所をつくってくれていたから。
私は自分のことを、
存在しているだけで迷惑だし、人生を楽しむ権利なんてないと思っていた。
あんまり笑ってはいけないと思っていた。
もっと苦しむべきだと思っていた。
誰かと仲良くしたり親しくすることで相手に迷惑をかけてしまうし、その人の人生を乱してしまうから、あまり多くの人と関わらないようにしなきゃと思っていたし、ある程度の距離を保ち続けていなければならないと思っていた。
けれど、この1年で、
もっと笑ってもいいんだ、と思えるようになった。
もっと楽に生きる選択をしてもいいのかも、と思えるようになった。
たくさんの人と関わりたい、仲良くしていたい、と思う自分を少し受け入れられるようになった。
仲良くしてくれる人、良くしてくれる人、好いてくれる人のことを意図的に拒絶するのではなく、素直に感謝してありがたく受け入れる方が、お互いにとって良いんじゃないかと考えられるようになった。
実際、まだ根本的には、元々の考えや感覚が残っていて、変わった自分に対して罪悪感を抱くことも少なくない。
でも、生きることに対する息苦しさのようなものは、少し軽減された気がしている。
今でも、希死念慮はあるし生き苦しいのは生き苦しい。それでも、以前に比べれば、生きることに対するハードルは、ほんの数ミリかもしれないけれど、下がったような気がする。
こんな私に変わることができたのは、助産学生としての1年間での経験のおかげ。
周りにいてくれた人たちのおかげ。
感謝の気持ちが大きすぎて、どうしたら伝わるのかわからないくらい、伝えても伝えても伝えきれないくらい、本当に心の底から感謝している。
みんな、ありがとう。
この投稿をクラスの人が読んだら、熱すぎて引かれそうだな。笑
でも事実だから仕方ないな、。
追記で。
卒業後も、仲良くしてくれてありがとう。
助産師をやめてしまった私でも変わらず仲良くしてくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします。
出逢ってくれたクラスのみんな、本当にありがとう。
最後までお読みいただきありがとうございました。