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今、人生の転換期なのかもしれない。

だなんて、そんなことを自分が思っていること、ここに書くのは、結構抵抗がある。





【はじめに】


〈このnoteを書くにあたって〉

ずっと希死念慮と戦いながら生き続けてきた私は、ずっとずっと、誰かの“回復した”エピソードが嫌いだった。

あんなに苦しかったけれど、今はましになりました。とか、
死にたかった時は考えられなかったけど、今は生きることに前向きになりました。とか、
これをしたら良くなりました。とか、

そういうのを見聞きするのが、苦手で、嫌いだった。

そういう人やエピソードに救われる人もいることは、頭ではしっかりわかっていたから、あくまで、そういう話をする人を否定する気持ちではなくて、

ただ、私には響かなくて

あなたはそうだったかもしれないけど、私は絶対そんなふうに良くならない。とか、
みんながみんな回復できるわけじゃないんでしょ?とか、
あなたは回復できたから、そんな綺麗事が言えるんだ!とか、
とにかく、その時自分が本当に苦しみの真っ只中すぎて、本当に心の底から、良くなる未来が見えそうにもなかったし、信じられなかったし、
そういうエピソード全部が、綺麗事で他人事に感じられていた。

当時私を救ってくれていたのは、現在進行形で、同じように苦しんでいる人達の、叫びや訴え。


だから私は、今の、人生の転換期かもしれないと思っている自分のことを、正直に書いて投稿することに抵抗があって、
私みたいな感覚の人が、この記事に出会って読んでくださる可能性はあるわけで、
そういう人たちを、傷つけてしまうかもしれないと思うと、書きたくない投稿したくない、と思う。
それでも、私の中には、今現在のありのままの自分を記録しておきたい気持ちもある。

しばらくの葛藤の末、書くことにしました。

このnoteは、なによりも1番は、
私が、私自身のために、書いているものでありたい、と思ったから。



【今の私。変化。】


私は今、人生の転換期な気がする、と思っていたりする。
今、すごい進んでる気がする。
変化してる気がする。
と、素直に思う。


〈死にたいと思わなくなった〉

2023年が終わる頃から、わりとずっと、精神状態が良い状態で安定している。
かつ、
今までに経験したことのない、状態の良さを感じている。
希死念慮自殺願望の中で生きてきた私は、死にたいのが当たり前で、日々の前提。
苦しみが増す時期があったり、ましになる時期があったり、波はあったけれど、根本には死にたい気持ちが常にある。
そんな私の十数年の日常からは想像ができなかったが、今の私は、ほとんど死にたいと思わない。

死にたいと思わなくなったから、心が楽になったのか、
心が楽になったから、死にたいと思わなくなったのか、

どっちかはわからないし、

何をきっかけに、今のこの状態になったのかは、わからない。


〈心が楽になっていることを、受け入れられるようになってきた〉

ここ数か月、生きることに対しての苦しみが減っていることを確実に実感してきていた。
死にたいと思わない、症状がほとんど出ない、毎日生きることに苦しさを感じない。
“このくらいの精神状態なら、これからも生きていけるかも、生きていってもいいかも”なんて思えるくらい、前を向いていた。
でもその状態にいることが最初は怖くて、不安だった。
いつまた落ちていくかわからない恐怖と、これまでに経験したことのない前向きさを持っている自分に対する恐怖、
きっかけや理由が全くわからないのに、なぜか良い状態になっている謎現象への不安、
苦しい状態に戻りたいはずなんてないのに、良くなっていることが不安で怖くて、苦しんでる方がましだと思ってしまう時もあった。

ただ、今はそれ自体も、自然に受け入れられている。
楽になったこと、楽に生きられている自分に対して、可も不可もなく、ただただ、
「今、生きるの楽だね」と思える。


〈自傷行為に痛みを感じるようになり、それを受け入れられるようになった〉

数年前から、少しずつ、だんだん、自傷行為の頻度が減ってきていた。
腕を切ってしまう衝動が減り、
切りたいと思う感情が減り、
切ったあとのスッキリする感じが減り、
切ったときに痛みを感じるようになった。
痛みを感じる頻度が増え、
感じる痛みが強くなった。
私は、焦ったし、不安だった。
ずっとやめたいと思っていた自傷行為なのに、いざできなくなってくると、怖い。
そりゃそうで、これまで自分の身体を傷つけることで自分の心を守ってきて、それでここまで生き延びてきたんだから、自分を守る手段を失って、怖いに決まってる。
この、“リストカットが痛くなった”という変化は、“解離状態が弱まっている”と考えられ、精神状態がなんらかのかたちで、いい方向に変化していることの表れだと考えられる出来事らしい(もちろん例外もある)。
私はこれに、かなり序盤で気付いてはいたけれど、ずっと、受け入れられなかった。
頭では、知識としては理解しているけれど、私の心は、それを受け付けなかった。
ずっと、
「理解はしてるけど、いい変化だとは捉えたくないし、自傷行為ができないのは怖いし不安だし。でもやめたいし。やめられなくなるのも怖いし、やれなくなるのも怖い。」状態。

それが、ここ最近、知らないうちに、受け入れられるようになっていた。

解離が弱まってるんだな、
てことは、私の心に良い変化が起こってるんだな、
このままいけば、もう一生自分を傷つけること、ないのかもしれないな、
あったとしても、なかったとしても、どっちでもいいかな、
と、思っている。心の底から。
怖くない。不安でもない。焦りもない。


〈希死念慮は症状である、ということがわかった〉

精神科領域の勉強は、学生時代もしたし、自分のために個人的にたくさんたくさんしてきた。だから、“希死念慮”というものが、“症状”であることは知っていたし、自分の精神状態を説明するとき、抱えている症状の中に、希死念慮も入れていた。
けれど、自分にとって希死念慮は、あまりにも自分の一部すぎて、
もう、私の希死念慮は、私の中にあるものではなくて、私を構成する一部であって、
希死念慮があってこその私で、なくなるわけなんてなくて、なくなったら私じゃなくなる、みたいな感覚だった。
でも、死にたいとほとんど思わなくなって、希死念慮を自分の中に感じない日々を過ごしているうちに、「希死念慮って、症状なんだ!」と実感する瞬間が現れた。
意味わからない人にはわからない感覚だろうなと思うけれど、私にとってそれを実感できたという事実は、めちゃくちゃ衝撃的な感覚だった。


〈よくここまで生きてきたな、と思うようになった〉

自分に対して、「よくここまで生きてきたな」と、自然に思えるようになった。

「これまでが苦しすぎた」と、過去形で思うようになった。

苦しみの真っ只中にいるときは、過去も苦しかったけれど、今もその延長で苦しいから、“苦しかった”という表現には絶対ならなかった。
今、生きることがかなり楽になっているからこそ、今と比べて過去が“苦しかった”と思えるようになったんだと思うから、そのくらい、今本当に、楽になってるんだな、と思う。

それと、私はこれまで、本当に苦しかったんだ、ということを確認できた。

私はこれまで、苦しい苦しいと思いながらも、心のどこがで、
「自分が勝手に苦しいと思い込んで洗脳してるだけで、本当はそこまで苦しくないのでは?」
「苦しんでる自分でいたいだけなのでは?」
「苦しんでる自分を、演じているのでは?」
と、自分に対して疑っている自分がいた。

でも今、楽になったことで、
「私って本当に苦しかったんだ」と思えるようになった。
あの苦しみは、偽りじゃなくて、本当だったんだ。と。

自分が苦しんでいたことを、認めてあげれるようになった。

「これまでの私の人生、苦しすぎたね」
と、自分に対して自然に思える。


〈自分の使命を拒否する気持ちが、なくなった〉

私は昔から、“発展途上国の子どもたちを助けたい”とか、“愛されてる実感を持てないまま生きていく子どもを減らしたい”とか、“生き苦しい人たちの支えになりたい”とか、ずっとそういう願いや希望があって、そのために助産師になったし、そのために生きてきた。
世の中になにか働きかけること、誰かを助けたり救ったり支えになったり、誰かのために生きること、
自分にはそういう使命があると、そういうことをする為に生きているんだと、自分はそういうことをする人間なんだと、思っていた。
けれど、中学一年生で心を壊して、治らないまま生き続けて助産師になって働いて、その中で色んな経験をして勉強をして出逢いがあって、
「それを自分の使命だと思うのはやめよう」と決めたときがあった。
「使命だと思うことが、自分を苦しめている」と気づいて、
「そもそも本当に使命かどうかなんてわからないじゃないか」
「使命を果たすために生きるのが、苦しい。もう嫌だ」と拒否感が出てきて、
使命を手放すことにした。
それが、助産師をやめたとき。
その後、そういう願いからは完全に離れて、自分の心をこれ以上壊さないために、全く関係の無い仕事を選んで、生活してきた。
けれど、今このタイミングで、
「やっぱり私の使命はそれだ」と、自然に思えるようになった。
使命に対してあった拒否感も、今は自然となくなっていて、
「自分がずっと使命だと思っていたことは、本当に、私の使命だ。」と、確信に変わった感覚が、今、ある。


〈はじめての経験をする勇気がわいてきた〉

これまでずっとやりたいと思っていたけど、勇気が出なくてできなかったことたち、あれこれを、
ここ最近、一気に挑戦している。

・人生初ヘアカラー。ブリーチも。
3年くらい、やるかやらないか悩み続けて、今このタイミングでできた。

・人生初ネイル

・見る専用だった趣味のインスタアカウントに、投稿を始めた。
そのために、リングライトを買った。

・人生初のライブに行った。

・マスク依存からの脱却を目指して、本格的に行動できた。
その結果、マスク依存から抜け出せた。

・見知らぬ人の集まり(合コンみたいな?)に誘われて、興味本位だけで、参加してみた。
今までの自分だったら考えられない。


〈気付いたら変化していたこと〉

・結婚願望が出てきた。
以前までは、絶対結婚しない、したくない、と思っていた私が、色んな考えのもと、今自然に、結婚できたらいいな、と思っている。

・聴きたくなる曲が変わった。
以前は、死にたい気持ちや苦しさに寄り添う歌詞の曲を好んで聞いていたし、前向きな明るい曲は、あまり受け付けなかった。
最近は、前向きな曲、生きることの背中を押す曲、自分の存在を肯定する曲も、好んで聴くようになった。

・今の仕事を辞める選択肢が自分の中に出てきた。
一生ここで働いてもいい、と思えていたくらいに、仕事内容は自分に合っているし、辞めたくなるほど辛くなることもない。
けれど、今の職場で自分に合っていない部分をいくつか見つけてしまったことと、これまで書いてきた色々な変化が重なったことで、今の職場は、そのうち辞めた方がいいなと自然に思うようになった。
ここにいてはいけない気がする、と。

・これまで隠し続けてきている、自分の精神状態や家族関係で考えていることについての、全ての本音を、親に正直に話す、という選択肢を考えるようになった。
私は、家族の前では、偽りの自分で過ごしている。基本的に、noteに書いているような話は、全くしたことがない。親や家族は私のことを、“自信満々で明るいしっかり者”ぐらいに思っていると思う。
今までは、全て正直に話すなんて考えられなかったし、一生隠し続けて生きていくしかないと思っていたけれど、最近、いつかタイミングがあれば、全て正直に話すことも考えてもいいかもな、と思い始めている。


〈全てのことが必然なんだ、と思うようになった〉

全てのことが、
必要なタイミングで、
必要なことが訪れる。

出会いも別れも、
思考も感情も、
全て自然な流れの中にある。

全部が必然で、
全部、自然に、なるようになる、

そんなふうに、感じるようになった。

全ての物事は必要な出来事で、
全ての物事に意味があって、
全ての物事は自然の流れに沿っていて、
全ての物事には、逆らう必要がない。

そんな感覚。




【さいごに】


これが、今の私。

ありのままの、今現在の、わたし。


これが続くのか、もっと進んでいくのか、また前みたいに心を病む時期がくるのか、それはわからないけれど、
それすらも、自然な流れで進んでいく気がしているし、過去の経験も、意味があったと思える。

もちろん、精神疾患を患ってよかっただなんて1ミリも思えない。
だって、本当に苦しかったし辛かったから。

けれど、私が生きていく上で、きっと何かしら必要ではあったのだろうし、
あの経験があるから、今の私がいることは確実だし、
あの経験がなかったら、今の自分の考えや感覚、感じる心、なにかを願う心はつくられなかったと思う。
もちろん、苦しむ経験がなかったら、また別の私になっていたのだろうけれど、
でも私の人生は、こうなるものだって、決まっていたんだと思う。

苦しかった過去は本当に苦しすぎたけれど、全部をきれいさっぱり忘れたいとは思わない。
忘れたい失敗も過ちも、数え切れないほどあるけれど、
でも、忘れたくない。




苦しかった過去を全部丸ごと受け止めきれるほど、私は強くないけれど、

苦しかった過去を全部糧にして、力に変えて生きていけるほど、私は強くないけれど、

苦しかった過去を、苦しかった過去として認めてあげて、それを抱えて、私らしく生きていけば、それでいい、

そんなふうに、思えています。









最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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