
恋しい朝茶
「いらっしゃい。まずは朝茶ば飲まんね」
居間に入ると、おばは必ずそう言った。
お盆には人数分の湯呑みと茶托。慣れた手つきでポットからお湯を急須に注ぎ、丁寧に茶葉を蒸らす。
お茶の免状を持ってるし、産地からいいお茶を取り寄せてるからおいしい。たしかに。
が、時と場合による。
独り暮らしのおばの家。海辺の小さな町へは車で片道一時間かかる。
朝早く着き、ゆっくり朝茶を味わう余裕があるときならいい。
子どもの頃は、昼どきに合わせて家族で訪問した。目の前にはおばの手料理や、出前でとったご馳走がズラリ。皿うどんの大皿から湯気が上がり、みるからにおいしそう!
なのに――必ずお茶から。
「朝茶ば飲めば、よか一日になるとよ」
おばはそう言って、ゆっくりとお茶を入れた。
親や兄姉にならって渋々口をつけつつ、内心イラッとした私。
(もう朝じゃなかし、早く食べさせてよ!)
やがて歳月が流れ、兄姉が結婚。三十代半ばで故郷へUターンした私が、車を運転しておばを訪問するようになった。
齢をとったおばは、あれこれ昼の支度をするのが面倒になったのだろう。家よりドライブを兼ねた外食を好むようになった。
月に数回、母をつれて迎えに行く。
「今日は鰻ば食べよう」
「和食の〇〇屋に行きたかねえ」
リクエストされる隣市の店までは、おばの家から小一時間はかかる。なので着いたらすぐに出発したいのだが――ここでもまず朝茶。
「おばちゃん、時間のなかけん、お茶は帰ってからでよかさ」
何度言っても、
「ダメ。絶対朝茶は飲まんば!」
と、頑としてきかない。
(ああもう……)
イライラを抑えつつ、毎回お茶を飲んでから出発。一番混雑する時間帯に店に到着し、待たされる羽目になった。
それからさらに歳月が流れた。八十代後半となったおばは、耳が遠いものの身体も口も達者そのもの。背骨の圧迫骨折で、私が食事と入浴の世話に通った時期もあったが、驚異の回復力で復活。週に二度ヘルパーさんに掃除を頼む以外は、変わらず独り暮らしを続けていた。
モチロン朝茶も――。
それが四年前の師走、冷え込んだ早朝だった。荷物を届けにきた私は、車を停めて外へ出た。
(さむっ! 早く朝茶ば飲みたか~)
そう思いつつ、玄関の引き戸に手をかけたが開かない。
(あれ?)
奇跡のような偶然だが、その日に限って勝手口の鍵を持参していた。その鍵で勝手口から入り、「おばちゃ~ん」
「………」
返事はなし。不安にかられて居間の襖を開けると、おばが仰向けで転がっている。「おばちゃんっ!!」
つけっぱなしのエアコン。
パジャマのズボンは膝まで下ろされ、その下は失禁していた。
「あら……来てくれたとね」
か細い声のおば。慌てて抱き起し、着替えさせる。
「どこか痛むね?」
「脇腹ンとこが少し……」
また骨折したかも。抱きかかえて車に乗せ、かかりつけの整形外科へ運び込んだ。
「骨折はしとらんよ。ばってん、少し呂律がおかしか気のする。紹介状ば出すけん、大きか病院へ連れていかんね」
医者の勧めで総合病院へ行き、軽い脳梗塞と判明。即入院となった。
それから四年――おばの入れる朝茶を口にしていない。
といっても、おば自身は健在。入院後数日で寝たきりとなり、その後移った老健施設でも終末ケアの手続きをするほど衰弱した。
ところがある時期いきなり覚醒し、車椅子で動き回れるほど回復。その後私の自宅近所の老人施設へ移って一年半。以前ほどではないが、頭も口もまだまだ達者な九十三歳だ。
そして――おばの家も近所の人へ譲ることに。朝茶を入れる人も、飲んでくつろいだ場所もいまや過去となった。
時々、無性におばの入れた朝茶を飲みたくなる。
「朝茶ば飲めば、よか一日になるとよ」
おばの口ぐせを思い出しながら、朝、自分や家族に入れるお茶。おいしいけれど、やっぱりおばの朝茶にはかなわない。
(おばちゃんの朝茶には〈福〉が込められとったとねえ……)
そう、愛情、優しさ、笑顔……etc。あのお茶にはたくさんの思いが込められていたのだ。二度と飲めなくなってから気づくなんて、情けない。
せめて心を込めて朝茶を入れ続けよう。
いつか思い出の味に近づけるように……
現在、コロナ禍で面会もままならないおば。いつか自由に施設の部屋へ入れるようになったら、持参した朝茶を一緒に飲んでおしゃべりしたい。そう願う日々だ。