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こどもが欲しくない話

タイトルだけ見ると、こども嫌いみたいに思えるかもしれませんが、そういうつもりじゃないんです。
"こども"って種族みたいに言いますけど、ひとりの人間な訳じゃないですか。ひとりひとりと接して、「この人すきだな。もっと知りたいな」って思う人と、「うーん、波長が合わないかもな」って思う人がいるように、同じ3歳児でも「ぴゃん!!かわいい!!ぎゅってさせて!」って思う3歳児もいれば「扱いづらいし可愛げないし汚い〜〜関わりたくない〜〜」と思う3歳児もいるわけで。…という、今回はわたしの対人意識とこどもが欲しくない理由についてお話していきたいと思います。決してこどもが嫌いとか、子育てしておられる方を軽んじる意思はありませんが、精神的に未熟な三十路が持論を振りかざしています。目次を見て悪い予感がする方は、閲覧を控えて頂けますと幸いです。


こどもという生き物

"こども"という呼称はとても大きなジャンルだと思っています。0歳からおおよそ18歳まで?イメージする年齢は人それぞれだと思います。親にとってこどもはいつまでもこどもと言いますし。とても抽象的な概念です。

わたしは歯科衛生士として働いてるのですが、ある日ドクターに「こども嫌いでしょー」と笑いながら言われました。自分がみていた患者さんじゃないのですが、個室の診療室でギャン泣きして暴れている10歳くらいの男の子が居て、「ハードそうだなぁ」と思いながら横目で見ていたときでした。わたしは「その子によります。あの状態のこどもは嫌いですねー」と返しました。と同時に、こども嫌いとひと括りにされることに違和感と苛立ちを感じました。
あの男の子だって、怖くなくて楽しくて幸せなときは"可愛い子"と思えるかもしれない。大人だって暴れてギャン泣きしてたら敬遠するわ、と。

年寄りが嫌い、こどもが嫌い、男が嫌い。いろいろあると思います。それは経験に基づく予測的判断もあるでしょう。嫌な思いをした経験が積み重なれば、その特徴を持つ対象を苦手に思うようになるのは当然だと思います。ただ、わたしの「こどもが欲しくない」は、それともまた違っているのです。

自然なふるいで相性の良い人と生きていけるようになったこと

話が変わるようですが、大学に入学して一番楽だったのは、コミュニティを選べるようになったことでした。高校までは学力にも家庭環境にも差がありましたが、大学からは差はあれどある程度以上、というボーダーがあったように思います。加えて同じ部屋に押し込められるようなクラス単位での行動もなく、浅く広くから自然と馬が合う人たちで落ち着いていけたのが、とても生きやすかったです。
選ぶ、というととても偉そうですが、相互に接する中で自然とふるいに掛け合い、自分が居心地の良い人との関係を紡いで繋げてきたように思います。今も仲の良い友だちは、趣味や考え方や家庭環境など、何かしら通じ合う人ばかりです。そして、生活環境や趣味が変われば、そのときどきで密に親しい人は変遷してきました。

セルフィッシュに考える、こどもを持つデメリット

こどもが欲しくないからってこども嫌いにしないでよ!と思うわたしですが、では何を理由にネガティブに考えているのでしょうか。簡単に述べていきたいと思います。

経済的負担

こどもが生まれたとします。わたしは、養育の義務とは、こどもが自立して社会的にも経済的にも精神的にも一人で生きていけるように育てることだと考えています。順当に考えれば、生まれてから18歳ないし22歳までは親のサポートが必要ですよね。当たり前ですがお金がかかります。
友だちの中には「老後みてもらうんだから先行投資だよ〜」という子もいますが、大切に育てたつもりで絶縁された親、子に先立たれた親も知っているため、養育費に見返りを求めるのは無謀に思ってしまいます。それに二馬力でちょっとゆとりのある生活をしているわたしたちには、無い袖は振れないため、こどもをつくるとなると今の生活を見直してとことん節約することから始めなければなりません。

縛られたくない

わたしは本当に自分の時間が必要で、どんなにだいすきな人でも24時間365日いっしょだと、たぶん発狂してその人を嫌いになってしまいます。
もし妊娠すれば、胎児はずっとお腹の中にいて、口にするものが制限されて、つわりでしんどい思いをして、生まれてきても目を離したら死んでしまうかもしれない生き物を保育しなければならない…。自分中心に生きてきた自分には考えられない制約です。

親も子を選べない

子は親を選べないと言いますが、親も子を選べません。先程、成人して相性の良い人と生きていけるようになった、というお話をしましたが、もし生まれたこどもと馬が合わなかったら…と考えると怖くなってしまいます。思い遣る、折り合いをつける、尊重する。いろいろと手はあると思いますが、相性ってけっこうそれを凌駕すると思うんです。産んだは良いけど愛せない、となってしまうと、子の人生も捻じ曲げてしまいそうで恐ろしいです。
年齢を重ねて居心地の良い生活をやっと落ち着かせられたのに、振ったサイコロが悪い目を出してしまったら、と思ってしまいます。

ふわふわ考えてみる、こどもを持つメリット

わたしは特に願望がないのですが、あえて自分がメリットとして上げるとしたらということを考えてみました。

妊娠出産という経験

これはもう言葉の通りです。妊娠も出産も母体にしかできません。この世に命を産み落とすことができるのは素晴らしい経験だと思います。経産婦のほうが婦人科系疾患の罹患率も下がるそうですし。

社会的立場

子持ちと子なしでは、語弊を恐れずに申し上げますと、やはり社会的ステータスとかステージが違うと思います。こどもを産んでやっと一人前という古い認識もまだありますしね。

精神的な成長

苦労をしたら偉い、とは思いませんが、やはり子育てでしか得られない経験はあると思います。そして、その経験を通じてでしか深まらない情緒とか感覚もあるのかなあと。

家族が増える

これはけっこう大きいかなと思います。自分の親は年齢的に先に死去するわけですし、兄弟はそれぞれ家族をつくります。そうなると、結婚していたとしても自分の"家族"のメンバーはパートナーのみになる訳です。出産をすればするだけここにメンバーが追加されていくので、それはとても心強いことだと思います。

覚悟のなさ、あるいはメリット・デメリットで考えてしまうところ

結局、メリット・デメリットで考えてしまっている時点で、出産にも育児にも向いていないと思います。ほしい!という強い気持ちがあればたぶんお金なんてどうとでもするし、困難にも立ち向かっていくでしょう。しかしわたしはモチベーションみたいなものがないのです。出来てしまえば堕ろす度胸もないけど、積極的につくる覚悟もない。
いつかこどもが欲しくなって、そのときには年齢的に難しくて後悔することもあるかもしれません。でも今ほしくないのにつくって後悔するよりも、「現時点では考え抜いた結論」を元に生きていきたいのです。

生まれて、そして死にゆく

少し話は変わるのですが、歯科で働いていると、0歳から100歳まで幅広い年齢の方と接することができます。特に今は訪問歯科も行っているため、普段会うことのない認知症で寝たきりのご年配の方とも関わらせて頂いています。
そういった方々と接していて、最近思うようになりました。人間は生まれてから成長の中でひとつずつできることが増えて行き、年齢を重ねて死に近づいていくと、できるようになったことを神様にお返ししていくのだと。得たものを返していく、それが死に近づくということなのかなと。

口腔ケアをするときは、認知症で会話が成り立たない患者さんにも、「○○さん、こんにちは。今日はお口の中を綺麗にさせてもらいに来ました。お口を触らせて頂いてもよろしいですか?」と声掛けをしてから始めるようにしています。また、なるべく痛みや不快感のないように優しく触れることを心掛け、表情を見逃さないように気を付けています。なにか動作をするときは「これからスポンジでお口の中でを拭いますね」などと伝えてからにしたり、口を開けてくれたら「○○さんが大きく開けてくれるからとっても歯磨きしやすいです。ありがとうございます。」と声掛けしたりしています。そうすると意思疎通の難しい方も協力的になってくれたり、少し表情が柔らかくなったりします。
こどももいっしょで、待合から導入するさいは「○○ちゃんこんにちは。今日は来てくれてありがとうね。」などと声を掛けて案内し、チェアに座る、うがいをするなど、なにか少しできたら褒めるようにしています。指示の通らない子は別ですが、怖がっているだけ、嫌がっているだけの子は協力してくれます。
同じだなあと思うのです。人は生まれて成長して、そして折り返したら同じところへ帰って行くのかなと。

思い出したまた別の話

わたしは読書が好きで、中学生の頃から山本文緒さんがだいすきなのですが、彼女の作品の中で「年寄りには何を言われても優しくできるわ。だってどうせ死ぬじゃない。こどもは嫌い。わたしはこれから老いて死んでいくのにあの子たちにはキラキラした未来が待っているんだもの」みたいなセリフがあるんです。好きとか言いながら作品名も覚えていなくて恥ずかしいのですが。
わたしがこどもを欲しくない理由のひとつに、この感情もあるように思います。身近にきらきらしい存在があったとき、疎ましく思わないか。妬まないか。どうにも自信がないのだと思います。

自覚はあるのですが、やはり自分が自分が〜なんですよね、わたし。歳を重ねると次世代にバトンタッチしたくなるものだと思うんですけど、わたしは三十路の今でも自分を主軸に生きて行きたいみたいです。

どこまでもセルフィッシュ

書いていて思ったのですが、もしかしたら今の生活に飽きたらこどもが欲しくなるかもしれません。そして、欲しくなったら節約も不妊治療もパワフルにこなすと思います。逆に言うと飽きなければ一生こどもが欲しいとは思わないかも。パートナーは欲しい気持ちはなくはないけど子なしに同意してくれているので、気持ちが変わってきたらまた相談ですね。

最後に

自分の考えを徒然なるままに書いた訳ですが、きっと呆れた方もいらっしゃると思います。幻滅させちゃったらごめんなさい。いろいろ言ったけど結論は「まだまだお金も時間も自分に使いたい」だと思います。恥ずかしッ。
ただここには、格好悪くても綺麗じゃなくても、自分の気持ちを綴りたいと思うのであまり取り繕わず書かせて頂きました。
世の中いろんなやつがいるんだなぁと思って頂けましたら幸いです。
 
ではでは、わたしの徒然が少しでも誰かの心に触れられますように。また。


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