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褒められるのも好きだけど、しょうがないねと許されることに愛を感じる話
月に2本更新をキープしたいなと密かに目標を立てています。文章を書くことは好きです。自分の内にあるものを表現することが好きです。そして、それを知ってもらうこと、受け入れてもらうことは穏やかながらこの上ない喜びだと思っています。取り留めのない文章ですが、読んでくたさってありがとうございます。
さて、今日は(も?)自分語りをしていきたいと思います。今回はわたしの性格のお話です。
こう見られたいな、と
みんな好きだけど、だれの一番にもなれないと拗ねていた話
友だちは、多くも少なくないと思います。
月イチで会う子、2〜3ヶ月に1回会う子、帰省すると会いたい子、東京に行くから連絡取ってみようと思う子、年1〜2回集まる大学のグループ、前の会社の同期、後輩ちゃん。どの子も楽しくて大切な友だちです。
適度な距離感と親密度、もう10年以上の付き合いも多く、お互いをある程度理解していて地雷を踏むようなこともないし、喜んでもらえることも知っているつもりでいます。
男性という生き物がうっすら嫌いな話と、パートナーとの話
「男性という生き物がうっすら嫌い」
のっけから差別発言ですが、これはわたしの心の問題の話です。
原因のひとつは過度の一般化。嫌な思いをした相手が男性だった。それが繰り返された。だから男性=嫌い、になっちゃうっていう。小さなセクハラ発言とか性的に見られる嫌悪感とか体格では勝てない恐怖心とか。そういうのが積もって極論弾き出しちゃったんだと思います。基本的には男とか女で相手を見たくなくて、〇〇くん〇〇
愛情と性欲が結びつかない話
今回はわたしがアセクシャルとクワロマンティックを自認する根拠となった感覚について綴っていこうと思います。
本当はラブ・ランゲージのお話をしようと思っていたのですが、せっかくなのでネットのまとめだけ見て書くのではなく原著である愛を伝える5つの方法を読んでから要約と感想を書けたらな〜と思い後回しにしました。
さて表題通りなのですが、わたしは愛情と性欲が結びつきません。好き、愛しいという感覚はあります
クワロマンティックでアセクシャルな自分のこと
現在三十路街道止まらずに行っているアラサーです。自分のことをつらつら綴ってみます。
性(sex)は女性、性自認も女性ですが、女性らしさを期待されることは苦手です。
常々、性別がもっと"ただの身体的特徴"って認識になれば良いのに、と思っています。性差による脳や身体の違いは間違いなくあるけど。でも同性間だって個人差はあるのだから、性差だって個人差じゃない、って。
少し話が逸れました。
わたしは、