ゴジラ ー1.0
山﨑貴監督作品
昨日、山﨑貴監督作品、「ゴジラ ー1.0」を見た。山﨑監督作品は「ALWAYS 三丁目の夕日」、「DESTINY 鎌倉物語」、「永遠の0」などいくつか見ている。「三丁目の夕日」はVFXを強く意識することなくノスタルジーに浸ることができた。「鎌倉物語」の方はどちらかと言うと、特殊効果を楽しんで見た。「永遠の0」は原作を読んでから見たのだが、映画では再び原作の感動を味わえた。今作品は山﨑監督が脚本、VFXを兼ねていて、ストーリー性も評価されているようだ。
ストーリー
ゴジラの登場するのが終戦後の1947年。映画の冒頭は終戦間近の国内の南の島。特攻作戦に出陣したものの飛行機の不調を言い訳に島の飛行場に降り立つ主人公敷島。そこにゴジラが姿を現し、敷島と整備士の橘を残し島の部隊は全滅する。橘はゴジラに立ち向かうこができずに部隊を見殺しにする結果となった。
帰還した敷島は隣人からは「恥知らず」と罵れながらも戦後の苦しい時代を生き抜くため、機雷除去の仕事につく。一方、成り行きから闇市で出会った典子と彼女に託された赤ん坊と一緒に暮らすことになる。生活も落ち着き始め、復興も始まった頃に再び敷島の前にゴジラが姿を現す。
これまで特攻から逃げ、島ではゴジラに立ち向かうこともできなかった敷島は今度は逃げずにゴジラと対峙しようと誓う。民間で立ち上げられたゴジラ掃討作戦に敷島と仕事仲間、元軍人達の志願者が集まる。敷島は本土決戦用に作られた幻の戦闘機の整備を橘に託す。そしてこの戦闘機でゴジラを目的地の海域に誘導する役割を担うが、ゴジラの口の中に爆弾を抱えて突入することでゴジラを倒すことを考えていた。
「恥知らず」と罵られながらも戦争を生き延びた敷島はゴジラと対峙することを決意する。これが敷島の「戦争」を終わらせることになるのだ。単なる人間対ゴジラの戦いにに終わらせていない。そんなところにストーリーの厚みを感じる。当初は「恥知らず」と敷島を罵っていた隣人の澄子も敷島の窮状に接し、次第に何かと世話を焼く人情深い姿を見せる。そんな丁寧な人物描写がこの作品を普通のSFX作品と一線を画している理由だろう。
特殊効果
今までの山﨑監督のVFX作品よりも「進化」しているのかもしれない。ただ、山﨑監督作品ではVFXは作品を支えるものであって、作品そのものではないように思う。それは「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た時からそう思っている。VFXがあまりにも際立ってしまうと物語との違和感を感じてしまう。その加減が大事なのだと思う。
とはいえ、ゴジラ作品には特殊効果の占める位置は大きい。優れた特殊効果なしではこの作品は成り立たないのは言うまでもない。今回の映像ではゴジラを地を這う人間の目線で見せていて、その恐ろしさを十分に伝えている。また、音響の迫力も凄まじい。総じて、特殊効果としては成功していると思う。
まとめ
見終わって、満足感があった。ストーリー、役者の演技、特殊効果、うまく噛み合ってできた作品だと思う。ラストのシーンについての幾つかの部分は、「匂わせ」があるので、予想することができる。これもおそらく計算のうちなのだろう。また、ゴジラが登場した時の、懐かしい音楽!、エキストラに混じってカメオ出演?の橋爪功さんなど、楽しい演出もあって、総じていい作品になっていると思う。