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【待つ】ありがたみ
【朋有り遠方より来る また楽しからずや】
肝胆相照らす、切磋琢磨し合える仲間が
遠方から会いに来てくれる。
何と嬉しい事だろう。
有名な論語の一節である。
この一文、時間の奥行きを感じさせてくれる。
友人が遠方にいて、
『次はいつまた会えるだろうか』
再会を待ち望んでいた時間、その長さまで感じさせてくれるのだ。
★
近頃、待つことが少なくなったな
そう感じる。
読みたい本は、クリック一つでKindleに配信され、
着たい服はスマホ一つで翌日届く。
空き時間はスマホに目を落とし、
遠方の友人とはLINEグループでやり取りし、
「最近どう?」と聞くことはあっても、
「最近どうなのかな。元気かな」とよぎることはない。
どんどん待つことがなくなり、
どんどんイベントや買い物の頻度が増え、
どんどん時間やお金を浪費するのではないか。
バートランド・ラッセルが幸福論の中で説いた
【実りある単調さ】
その真逆に行きかけている自分が怖くなった。
★
先日、家族三人揃って新型コロナ陽性になった。
幸いにも、三人共に快復し、
特に後遺症もなくその後の生活が送れている。
療養期間中、
私はPCで会社とやり取りしながら仕事をし、
息子はタブレットで、先生がアップして下さった
その日の授業の内容を見て、勉強していた。
自分が陽性になって初めて知ったのだが、
自宅療養者向けに、
自治体が宅食サービスを提供してくれた。
中身は、
・パンが2種類
・さとうのごはんが2つ
・レンジで調理できるお惣菜
(ビーフシチューや甘酢かけ等)
・お茶とアクエリアスの500mlペットボトル
・デザート用ゼリーが2つ
これが非常に有難かった。
食事や飲み物が手に入ることはもちろんの事、
『今日の宅食の中身はなにかな~』
と、三人で楽しみに待つことが出来た。
ともすれば退屈な療養期間に、
【待つ楽しみ】を与えてもらい、
穏やかに三人で過ごすことが出来た。
★
バートランド・ラッセルが幸福論で提唱した
【実りある単調さ】
歴史に残る書物や映画には、
必ず退屈な部分がある。
また何か大きな物事を成し遂げるとき、
人生においても、
必ず停滞するときが来る。
その退屈や停滞の向こう側に、幸福がある。
それを表現した非常に美しい言葉だ。
テクノロジーの進化は、人を便利に幸福にする。
反面、【待つ】能力が、どんどん人から奪われていく。
効率化やデジタル化は、
『限られた時間内に、進化したテクノロジーを使って如何に多くのアウトプットを出すか』
それは、とても大切なことだ。
一方で、
停滞した時間、退屈な時間、
その単調な時間を、穏やかに過ごす能力
それもとても大切
それをもう一度取り戻そう。
そう感じた、療養期間。
待つことの有り難みを、宅食から教わった。