【夫婦の日記】真夜中の、言ってみ。
診察で、もしかしたらいずれ患部の機能を失うかもと言われた。
とはいえ、今の時点ではなんとも言えないと。
この苦しみは、時間が解決してくれると思っていたけれど、その逆かもしれないとは。
その日は静かに絶望して、仕事をこなした。
週末は、朝イチで夫と図書館までドライブし、美味しいパンを朝食に買って、陽だまりの中リビングで読書をした。
知識が増えるのは嬉しい。
自分の中のもやもやが、本の中の言葉と結びつく発見も楽しい。
本を読んでいる間はいい。
良くないのは、お風呂から寝る時。
夜、ベッドに入ってからも元気がないと、夫が、
言ってみ。
と。
それで、思うことを夫に話してみた。
世の中には、最初から全部持って生まれて、最後まで全部持って死ぬ人もいれば、若くして親を亡くす人もいて、事故で体の一部を失くす人もいるし、病気で手術する人もいる。
誰かが自分の当たり前だと思っていることは、他の人から見たらどうしても手に入らない、喉から手が出るほど羨ましいものだったりする。
私は、怪我をする前は、自分が持っているものは当たり前だと思って生きていたところがあったと思う。
親に感謝する気持ちや、自分の人生を大事にするんだという気持ちはあった、
けれど、本当に心から、それが当たり前ではなかったとようやく気がついて。
…痛みとともに生きていくのは辛いなあ。
今、誰かも、私よりもっと辛い痛みと生きていると思うと辛いなあ。
そういう苦しみを知らず、ずっとハッピーな人は羨ましいなあ。
………
寝る前にこんな重苦しい話をされるなんて、思い返すと夫を不憫に思う。
けれどその時の夫は、私を左側から抱きしめて、
怪我をしてよかったんだよ、
痛みは無くなるよ、
と言ってくれた。
そしてこうも言った。
一時的な慰めに癒されても、本当の意味で立ち直っていないんだ、と。
自分の気持ちの持ちようで、決まるんだと。
私は、もし自分がその立場になったらどう思うかと聞いた。
夫は淀みなく、こう言った。
もし体の一部を失っても、もしかしたら1日か2日は、そのことで落ち込むかもしれないけど、
できるだけ楽しく生きるように努めると。
丁度同じ日に母は、
父のことを、この人は何かあってもきっと笑い飛ばして生きると思って結婚したんだと言っていた。
母と父と、私と夫は、全然違うようで、似ていいるところがあるかもしれないと、はじめて思う。
そして、その脈絡から突然腑に落ちて、私は真夜中に、愛おしい夫と居られる自分の人生は、母と父からもらったんだと気がついた。
たいした人生じゃないなんて、よくある人生だなんて、よく聞くけれど。
これが当たり前だなんて、決して思ってはいけない。
こんなに素晴らしい人生。
私も、私の気に病むことも、塵みたいなものなのはわかっている。
けれど、せっかく生きているんだから、やはり人生を謳歌しなければ。
こう思えたのは、怪我をして良かったことではある。
夫は全部わかってそう言っているのだろうか。
いや、そんなはずはない。
であれば、私は本当に幸せ者である。
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