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その日唯一、電車で気づいてくれたのは。

授かって、5か月とちょっとを迎えた頃の話。

自分ではお腹が丸くなってきたなあとはっきり分かるものの、日頃ゆったりした服を着ていることもあり、見た目からは、まだ妊婦だとわからなさそう。

通勤で使う電車は通勤ラッシュ時とあり、すごく混んでいるというほどではないが、それなりの乗車率。もちろん優先座席だって関係なく埋まっている。

ちょうどその日も、優先座席の前に立ってはいるものの、大学生のような男女、会社員らしき男女、初老の男性、山登りに行くような格好の中年女性、この中で手帳に何か書きつけている初老の男性以外は皆、一心にスマホの画面を見つめている。

一応リュックを前に持っているので、顔を上げれば、マタニティマークにも気づいてもらえるかもしれないという僅かな期待はあるが、最近は殆ど諦めている。

もしもわたしが今、もう嫌だ今すぐ座りたいもはや帰りたいと思えるくらいの不調なら、
見えぬかこのマーク…気付け…気付け…
とじとぉ…と恨みがましい視線を送っていただろう。

しかし今は安定期と呼ばれる時期に入り、一時期よりは随分つわりも落ち着いたので、そんな視線を送らなくて済む。

電車でこうやって気づいてもらえないことは多い。

なのでもう、マタニティマークは、目の前の人に配慮してもらえるかもしれないマークではなく、事故に遭ったり倒れたりなど万が一わたしに何かあったときに、いち早くお腹に赤ちゃんがいることに気づいてもらうためのものだと思うことにしている。

スマホを見てたら、そりゃあ鞄についた1つのキーホルダーなんて目に入らないよねえ…なんて何度目かしれないことを、ぼうっと考える。

そのときだった。ふいに
「良かったらどうぞ。」
と斜め前にすわる初老の男性が、穏やかな笑みですっと席を立ってくれたのは。

しかし、ご自身も席を譲られるようなご年齢である。
どうしよう、大丈夫ですって言おうか…と逡巡を生んだ。けれどわざわざお声がけいただいたという優しさがすごくうれしくて、ご厚意に甘えることにした。

このやり取りをしている間も両隣の大学生と中年女性は我関せず、と素知らぬ顔。
仮にも優先座席で「お年寄り」と呼ばれるような方が席を立ってくれたのに、「自分が気づくべきだった」とは微塵も思わないのかなあ、なんて心中少し燻る。


でも、とふと考えた。

わたしはこれまで電車に乗ってきて、お腹の目立たない妊婦さんに席を譲ったことはあっただろうか。

おばあさんやおじいさんに席を譲ったことはある。臨月のお腹の大きな妊婦さんにも。
しかし、考えてみればこれまで生きてきて、お腹の目立たない妊婦さんに席を譲ったことはなかった。

年を重ねた方やお腹の大きい妊婦さんは、ぱっと見てわかりやすい。その存在は、携帯を見ていたとしても視界の端でとらえられる。

しかしお腹の目立たない妊婦さんが妊婦さんであるという判断材料は、鞄に付いたマタニティマークだけ。

これまで電車で座ったとき、もしかして目の前にマタニティマークを付けていた方がいたかもしれない。わたしだってきっとスマホを見て気づいていなかった。
否、気づこうとしていなかったという風が正しいのかもしれない。

現に自分がマタニティマークをつけるようになって初めて、世の中にはこんなにもお腹の大きくない妊婦さんがいたんだな、と驚いた。

でも考えてみれば、そりゃそうだ。
妊娠期間は十月十日、そして働いていれば産休に入れるのは出産予定日の6週前。

切迫流産等の事情がない限り、妊娠生活のほとんどは通常と同じように過ごすことを余儀なくされる。

そして、服の上から誰でもはっきり分かるようなお腹の目立ち方をしてくるのは、最後の数か月だけ。

お年寄りの方しかり、大きなお腹の妊婦さんしかり、骨折していてギプスをしている人しかり、杖をついている人しかり。

一目見てわかるしんどさを抱えた人もいる一方、お腹の目立たない妊婦さん、そしてヘルプマークを付けた方など、ぱっと見て分からないしんどさを抱えた人もたくさんいるはずだ。

電車で座ったとき、目の前に立っている人がもしかするとそんな人かもしれない。
これからはわたしも気づこうとできる人でありたい。

中折れ帽子が似合う紳士なおじいさんの行動によってそう思わされた、いつもより少し爽やかな朝だった。


#マタニティライフ #電車  
#妊娠中期  
#エッセイ部門




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