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外れ値への愛

最近、統計学の勉強をしている。

統計学の用語で「外れ値」というのがある。
あるデータの集団の中で、その値だけグループから突出している。集団内の一般的な数値より大きすぎたり小さすぎたりするため、一見、はみ出しているように見える。

例えば、女子生徒の平均身長が150センチ代であるクラスに、ひとりだけ180センチの生徒がいるような場合。この180センチという値は外れ値になる。
「はい」か「いいえ」で答える質問に対して、別の回答をした場合も、外れ値扱いになる。

以前、上司から「成長するには世の中でよいという方法を試してみるのがよい。何か今までやってよかった方法はあるか」という質問を受けた。私は特にないと答えた。そもそもそのようなことに興味を持つことがなかった。
上司は、医者が患者を診察するように言った。
「君は外れ値かもしれないね」

そういえば、昔から人と少し違うものが好きだった気がする。
思わぬ方向を選択して、両親を驚かせたりもした。
私が好きな作品は人気がなかったり、みんなが面白いと思うものが全然おもしろく感じなかったりする。
参加させてもらっている電子書籍の人気投票でも、私が入れた作品を選ぶ人は少なかったり。
中学校の時は、手帳にアイドルの写真をコレクションするクラスメイトと話を合わせるのに苦労した。
そういう私の性癖にも関係しているのか、私は「変人」や「アホ」と言われる人のような、一般とは違うところで突出した存在に、妙な憧れがある。

感性は人によって違う。それを大切にしたいと思う。
しかし実際にはなかなか難しい。この間も、肉料理が食べられない夫を知らないうちに責めていて、ひどく傷つけてしまった。

感情、何を感じるかは全ての人に与えられた自由。意見が合わないとしても、その人はそう感じた、ということが重要なのだ。できるだけその自由を受け取って、大切にするという姿勢は持っていたいと思う。
難しいけれど。


大人のための数学教室の授業中。
先生の声が聞こえてきた。東大数学研究科の博士課程を出た先生だ。年に数回、100キロマラソンに出場するのが趣味らしい。
「位相幾何学の世界では、ドーナツとコーヒーカップは、同じものなのです」

思わぬ発明や進化は、ほとんどがグループからはみ出たデータから生まれているのかもしれない。

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