道祖神
林間コースの道は一度途切れ、目の前に県道が見えてきた。車の往来を確認して、車道を横断する。
山中へと続く遊歩道が再び現れた。急な下り階段が続いている。大阪の中心部から電車で約一時間、手軽なハイキングスポットとして知られる箕面山だが、一部の道は急峻だった。屈んで登山靴の紐を結びなおす。路傍の小さな祠が目に入る。立ち上がって近寄った。
大きさは五十センチ四方くらいだろうか。四本の木柱にトタンの屋根を乗せた、小屋のような造りだ。中には大小の石像が置かれている。燭台には線香が燃え残り、誰かが最近お参りしているのが伺えた。
振り返って周囲を見渡した。他に人はいない。私は祠の前に屈み、石像たちを観察した。
赤い前掛けを垂らしたお地蔵様のようなもの。片手をあげて仁王立ちをしているもの。垂直に立った、長丸いただの石。複数の石が重ねられたもの。形はさまざまだった。
石の材質は、白地に黒い斑点入り、濃い灰色、薄い灰色、少し赤身がかったものなど。かなりの年月を経ているのだろう、像の輪郭や表情は、どれもはっきりしなかった。
背後の車道で車の音がする。振り返ると、車は停まることなく通り過ぎて行った。休日になるとハイカーやドライブをする人で賑わうこの山も、平日のせいか、ほとんど人が通らない。
国定公園として整備された箕面山が、かつて信仰の対象だったと聞いたことがある。石像たちは、昔の巡礼道で人々を見守っていたのかもしれない。道祖神、と呼ぶらしい。時が流れ役割を失った路傍の石像たちを、朽ちる前に誰かが集めて置いたのかもしれなかった。
再び祠の前に屈み、両掌を合わせて目を閉じた。大きく息を吸い込み、吐いた。森と土の匂いに混じって、線香の香りがする気がした。目を閉じたまま、呼吸を続けた。
山間の小高い丘に立つ、一体の石像が目に浮かんだ。街道の分岐点のようだった。足元には誰が手向けたのか、一本の線香が煙を立てている。
集落が見えた。茅葺の家や田畑が並んでいる。稲が干してある。子供たちが畦道を走り回る。
ひとりの男が歩いてくる。集落を出て、分岐点にやってきた。すげ傘に白装束をまとい、脚絆に草鞋を履いている。旅の装いだった。
男は石像の前で立ち止まり、静かに目を閉じ手を合わせた。
重ねるように私も祈った。
気配を感じて目を開けた。車道の方から外国人の若い男女が歩いてくる。二人とも、半袖と短パン姿にリュックを背負っていた。
女性が前に出て、こちらへ近づいてきた。肩くらいの金髪をひとつに束ね、薄黄色のTシャツにピンクの短パンを履いていた。長い脚に白いスニーカーがまぶしく思えた。
「Excuse me」
道を尋ねられた。この道が滝まで続いているかを知りたいようだ。
私は立ち上がり、頷いて女性の方を見た。口角が上がるのを感じる。男性も追いついて女性の横に並んだ。私は道の前方を指さし、声を大きくした。
「Yes ! まっすぐ!! 」
男女は顔を見合わせ、Thank you と微笑んだ。彼らは手を繋いで歩いていった。
Have a nice trip !
心の中でつぶやいた。
土と線香の匂いが、鼻の先をかすめていった。
(週刊キャプロア出版vol.5【知性】に掲載文を再編集)