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「病と障害と、傍にあった本。」

 図書館で順番待ちをしていたのだけど、届いたと聞き、予定を変更して取りに行ってきた。

「病と障害と、傍にあった本。」
http://satoyamasha.com/books/2586

 通院日だったので、ピックアップしてそのまま電車に乗る。この本を読もうと思ったのは、坂口恭平さんと與那覇潤さんがどんな本を紹介しているのか気になったから、という何気ない理由と、3年前に急に病気になって、今も割り切れない思いを抱いているから、というのもあったかもしれない。

 電車の中で読み始める。

 お二人分ほど読んで、ああ、これ以上電車で読むことは難しい、と本を閉じた。読みながら、ぼろぼろと泣いてしまいそうだった。同時に、ああ、これは今の私のとって良い本なんだろう、と。
 12人の方々が、人生の傍にあった本を紹介している本だろう、くらいの認識だったが、そう単純な話ではなかった。

 最初は齋藤陽道さんだ。写真家で、最近小さな写真展で作品を拝見したばかりだった。聴こえに障害のある方とは知らなかった。詳しくは読んで欲しいのだが、この「母の絵日記」はとても素敵な文章だった。ただの美談という話ではない。切実な叫びのようなものと、湖のような静けさのある文章だった。
 確かよく行く本屋で見た気がするが、齋藤さんの他の本も読んでみたいと思った。

 次は頭木弘樹さん。昨年だっただろうか、医学書院から本を出されたのは知っていたけれど、読んだことはなかった。
 ここで紹介されていた一節が自分の置かれている状況を、これほどまでに的確に表現されていることに驚いた。それはカフカのものだったが、ああ、そうか、こういう時はカフカだったな、という気持ちにもなった。

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまづくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

フランツ・カフカ著、頭木弘樹訳「フェリーツェへの手紙」より

 よく言われていることかもしれないが、この本をまだ少しだけれど読んでみて、改めて思ったことがある。

 言葉にできない何かが自分の中に湧いてきて、堂々巡りを繰り返す時、孤独になる。そういう時に本を読んでみる、過去に読んだ本のことをふと思い出すことで、その言葉にできないものの正体がわかったり、言葉を得ることによって、前に進むきっかけになる。同じことを考えている人がいるのだと、孤独から抜け出す小さな出口を見出すことができる気がする。
 そうタイミングよく上手くいくことばかりではもちろんないし、言葉にできたからといって、楽になるわけでもない。その途方なさにがっかりすることもあると思う。それでもいずれ点と点が繋がり、線になり、その線が流れになり、どこかに運んでいってくれそうな気がする。
 だから私は本を読むのかもしれないな、と。

 とはいえ、流れができて、それに乗って、こんなところまで来たー!みたいなことは感じたことはない。
 そういうささやかな希望を持って生きてます、というくらいの話だ。
 そういうささやかな希望にしがみついてるから必死に本を読もうとしてるのかもしれない。

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