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「あらゆることは今起こる」


 ケアをひらくシリーズで新しいのが出た、と認識はしていたのだけど、手に取るか迷っていた。みもさんのnoteを読んで、これは読もうと思って図書館で予約していた。確か10番目くらいで待っていてまわってきた。私の後に予約入ってるかな、と思ってみたら、189人も待っていてびっくり。関心が高い本なんだな、と。

 最初は全然繋がらなかったのだけれど、「百日と一日」の著者の柴崎友香さんと同一人物なんだな、と。
 淡々と著者の日常と発達障害がリンクして書かれており、こんな困り事があるのだな、と思ったり、ここは自分も似たところがあるな、と思ったりしながら、するする読んだ。

 発達障害にしろ、精神疾患にしろ、その困りごとはある程度似てはいるものの、非常に個人的なものなのだな、と思ったりした。人によって凹凸の出方が違うというか。一括りにできるものではないんだな、と、当たり前のことながら思う。でもこれが、理解を得にくいところでもあるのだな、と思ったりする。

 「わからないこととわかること」はすごく共感する。

「わかる」は一つの点や一本の線ではなくて、何度もあったり繰り返したり、薄くなったり濃くなったりしながら、わかったりわからなくなったり、わかったと思ったけど全然なんも分かってなかったわ、すいませんでした、でもけっこうわかってたやん、みたいな感じが自分にはある。「わからないこと」や「ようわからんけどわかりそうな気もする」「わからんけどここら辺に何かありそうな気がする」などに私は心を惹かれるし、大量に溜め込んでいる

p.191

 これは私も同じで、本を読むときは、わかったと思ったら、結局分かってなかったりして、それを繰り返したり、行きつ戻りつしながら、悶々として、読み終わったり、保留したり、ついに読み終えられない時もある。これは積読として溜まっていく。色々知るたびに自分は愚かだなー、とか恥ずかしいな、と思ったりもする。

 以下の引用も、私もとてもそう思う。知れば知るほど、読めば読むほど、新しいスタートが見える。そういう読書が私は好きだ。

本は知識を得るために読むことも多いが、それもまた次のわからないことを見つけるスタートに立つことだとも思う。

p.193

 その他は、片付けられない以外は、わかるわかる、という感覚はあまりなかったのだけれど、想像しなかった困り事、「暑くなるか、寒くなるかわからない」のわからなさの感覚や、並行宇宙的感覚は全くわからなかった。並行宇宙的感覚ってどんなだろうか。

 「コントロールされた主体性だけではいけない場所に行ける」というのは面白かった。困り事なんだろうけど、前向きに捉えられるものなのだな。著者本人はビビリと書いてあるのだけれど、面白いな、と思う。

 発達障害についての認識が進むのはいいけれど、誰に対しても「薬を飲んだら働けるはず」「飲んだら働けるのに飲まないのは自己責任」みたいな世の中になったらやだなあ、という不安は、今の社会の傾向ではけっこうリアルだ。

p.271

 これはほんとそう思う。そんな恐ろしい社会は嫌だ。今でさえ、健常者男性モデル(家にケア要員がいる前提)みたいな働き方が良しとされていて、苦しんでいる人は多いと思うのだが、そういうのが変わっていけば良いと思うし、変えたいって欲しいと思っている。それを強化するような動きにはなってほしくないな、と切に思う。そして、できないことをできるようにすることだけが正しいことなんだろうか。そんなに個人に重荷を背負わせる世の中でいいのかな、と少し思う。

 あとがきにもあったけれど、日常といっても本当に人それぞれで、人とは多様なもので、つい皆が同じように思うことがあるけれど、それは幻想なのだな、と思った。人それぞれの日常を知るというのはこんなにも面白いものなのだな、とこの本を読んで思った。「おわりに」もとても良かったな。

 やっぱり「ケアをひらく」シリーズの本は面白いな、と。

 読み終えられてホッとした。最近最後まで読み通すことができなかったので、とりあえず時間はかかってもまだ本が読めることがわかって良かった。

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