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「魂の退社 会社を辞めるということ」

 最近友達がいきなり仕事を辞め、関西へと移住していった。その時に話に出ていた稲垣えみ子さんの本をいくつか図書館で予約。かなり人気で、最初に回ってきたこの一冊を読み始めた。

 稲垣えみ子さんは朝日新聞の元記者の方で、仕事を辞められて、家電を捨てて、お金のかからない生活を楽しく、というのを実践されている方です。(とはいえ、天下の朝日新聞なので、よほどお金を貯めて辞められたのだろう、とは思いますが。)
 彼女の提唱するお金がなくても楽しく生活できる、というのはとても良いことだし、お金を貯めて早めに仕事を辞めたい私としては、学ぶことが多いだろう、と思ったわけです。
 あとは、病気になってもなんとか働いていたものの、会社のお荷物感も満載で、もう背伸びして働くのも、元々興味のなかった世界で働くことにも疲れてきてしまったというのもあり、会社を辞めるとは?!というのが本当に気になった次第です。 

あまりに身近な問題すぎて、本当に私語りになりますが。。。

 欲望は努力のモチベーションであり、その結果得たものは享受して当たり前であり、さらにどれだけ享受しても上には上があり、もっともっと上を目指したい、目指さなければならないと思っていたのです。
 会社においても、暮らしにおいても。
 今にして思えば、それは降りようにも降りられない列車でした。というか、降りようなんて考えたこともなかったのです。

p.34

 これは正直私も疑いもなくそう思ってました。資本主義怖いな、と後日思いましたが。とにかく上を目指す!ということに縋り付いてた気がします。何せ、仕事にあまり興味がなかったので。。。上に上がるくらいしかやることがなかったというか。。。

 どこまでやればいいのだろう、いだたいいつ「これでいいんだ〜」と心から満足できる日が来るんだろう、と、ぼんやり考え続けていたように思います。

p.35

 これも本当にそう。やってきたことが贅沢ではなく浪費なので満足できないのかなぁ、とか思ったりした。どうやって満足を目指すか、は、今も頭を悩ませている問題です。でも前よりは今の方が満足はしてる気がする。

 お金がなくてもハッピーなライフスタイルの確立を目指す・・・・。

p.42

 これ私も急務だけれど、まだ全然。著者は高松への転勤をきっかけにお金がなくてもハッピーに開眼していくのだけれど、私はまだまだ修行が足りません。

同僚に見劣りしない成果を出さねばならない、弱みを見せてはいけない・・・・それができなければいつ組織からはじき出されてもおかしくないという強迫観念に囚われ続けていたように思います。
 さらに私にとって思いもかけなかったのは、いくらキャリアを重ね経験をつんでもこの強迫観念はちっとも減らないどころかむしろ強まっていうという、「いやいや聞いてないよ!」と言いたくなるようなショッキングなげんじつでした。

p.78

 これも本当にそう。経験を積んで、実績を積み重ねても、全然気持ちに余裕なんてない。全然楽になんてならない。それどころか経験年数に比べ私の仕事ぶりと言ったら、、、と落ち込むこと多く、本当に「聞いてないよ!」でした。。働けと働けど、我が暮らし楽にならず。色んな意味で。

 もちろん現実には会社の給料で食べているわけですが、それでも、いざとなったらそんな給料なきゃないで何とかなるワイと妄想するだけで、不自由になりかけていた仕事が、少しずつ自由なものに戻っていった。

p.82

ここまで割り切れると確かに会社から自由になる気がする。私はまだまだ辞められないので、どうしても会社の顔色(上司の顔色)を伺いがち。でも前みたいに上に上がるみたいなことは諦めたので、少しは自由になった気もする。評価をあまり気にしなくて良くなる、というのは少しばかり自由だったりする。

肝心なのは、それまでの自分の常識をどのくらいひっくり返すことができるのではないか。そしてそれは、決して惨めなことでも辛いことでもないんじゃないか・・・・。

p.98

 ここから東日本大震災を経て節電イノベーションとして、もともと2000円台の電気代を半減させる、ということで、大胆な策を取り始める。
 ここからがすごい。

「あったら便利」はいつの間にか「ないと不便」に変わり、最後は「必需品」になる。
 しかし、必需品っていったい何だろうか。

p.105

 著者はなんと、「必需品」と思われる様々な家電を手放す。電子レンジ、扇風機、こたつ、ホットカーペット、電気毛布、そして冷蔵庫。
 冷蔵庫って捨てて生活できるんですか?と思う。都会であれば、スーパーやコンビニで毎日食べ切るものしか買わずに過ごす。冬はベランダに出せば、野菜は干せば大丈夫。
 そんなことできる?と思っていたら、稲垣さんの影響で友達が掃除機、冷蔵庫、電子レンジを捨てた。びっくり。やればできるものなのだろうか。私は魚が好きでストックしたいのと、宅食サービスを使わざるを得ない時を考えると冷蔵庫は捨てられない。捨てられて電子レンジくらいだろうか。
 でも確かに必需品は本当に必需品?というのは分かる気がする。冷蔵庫がなければ部屋は広くなるし。そういう目でもう一度自分の持ち物を見直してみるのは良いことだと思う。

 そして著者は満を辞して仕事を辞める。そこて、退職金に税金がかかる(しかも勤続年数が長いほど税金は安くなる)ことや、仕事を辞めるとカードが作れない、家が借りにくい、会社を辞めたというとギョッとされる、失業保険は別の会社に就職を目指していない、独立する人には受けられない、などなど、世の中が会社勤めというスタイルを中心に回っていることに直面する。
 知ってはいたことが多いけれど、改めてみると会社で勤めることが当たり前、それがスタンダード、と、社会の構造がそうなっているのだな、と。それを著者は会社社会という。
 そして携帯の契約で、知識がないと食い物にされるのでは、と恐れたり、熱を出したりする。
 古巣から原稿の依頼が来たものの、その安さに驚く。でも自分もその料金で外部に依頼してたな、と思い直す。そして、気づく。

普通の会社員であったはずが、気付けば他人を食い物にしている。そんな世界に皆んなが巻き込まれている。

p.164

 利益を上げるために人を安く使い捨て、知識のない客を食い物にする、会社が生き残るために不幸になる人間が増えるという。会社社会は行き詰まっている、と。
 何か大きなイノベーションが起きない限り経済成長の目はあまりなく、利益の分配は期待できない。じゃあ個人はどうするのか。会社から自立する。それはどういうことか。  

 私が提案したいのは、ほんの少しでもいいから、自分の中の「会社依存度」を下げる事だ。要は「カネ」と「人事」に振り回されないことである。
(中略)
 何も副業をせよと言っているわけではない。生活を点検し、自分に本当に必要なものを改めて見直してみる。お金をかけない楽しみを見つけてみる。そうして今よりほんの少しでも支出を抑えることができれば、使わないお金がわずかずつでも着実に貯まっていくかもしれない。それだけでも、会社に対しての「構え」らが違ってくるのではないだろうか。
 そして会社で働くこと以外に、何でもいいから好きなことを見つけてみる。そして同じ趣味を持つ仲間を作る。それだけでも、あなたの価値観が会社に乗っ取られてしまう度合いは減るのではないだろうか。
(中略)
そして何よりも強調したいのは、そうして会社に依存しない自分を作ることができれば、きっと本来の仕事の喜びが蘇ってくるということだ。

p.175〜176

 どれくらい準備して辞めたのかな、と思ったら12年とのこと。今から12年。私も目指してみたいけれど、いつまで会社にいれることやら。(しっかり依存度が高い)でも遅いことはない。仕事に行き詰まっている今こそ、依存度を減らすチャンスではないか。まずは身の回りの整理と、生活の縮小、そしてなにかお金をかけずとも楽しめることを増やしていかねば、と思う。図書館から借りて読書、散歩もこのまま維持して、楽しいことを増やしていこう。
 私は本当に仕事が全てだったし、最優先事項だった。でももうそのレースからは降りたのだから。

 著者がこの生活をやってみて、できたことを挙げている。
1.古くて狭い家で大丈夫
2.お金がそんなになくても大丈夫
3.家事ができる
4.近所づきあい、友達づきあいができる
5.健康である
 お金がなくてもハッピーなライフスタイルの確立がそれなりにできている、とのこと。
 ここまで生活を変えることは難しいけれど、取り入れられるところは取り入れて、生活をスリムに、楽しくできたらな、と思う。

 全方位に幸せそうな著者ですが、一番やりたいことは「仕事」なのだという。では、「仕事」とはなにか。

 仕事とは、突き詰めて言えば、会社に入ることでも、お金をもらうことでもないと思うのです。他人を喜ばせたり、助けたりすること。つまり人のために何かをすること。それは遊びとは違います。人に喜んでもらうためには絶対に真剣にならなきゃいけない。だから仕事は面白いんです。

p.192〜193

 なるほど。そして、あれこれやりたいことのアイデアが著者にはあり、それを実現できそうなツテもありそう。希望でいっぱいらしい。すごいなぁ。
 でも究極のところ、仕事はそういうものだということもよく分かる。これ誰得?みたいな仕事をしてもちっとも楽しくはない。できれば人の役に立ちたい、とおもう。私もそんな仕事をしてみたい。

 友達づきあい、近所づきあいのところでも出てきたのだけれど、「挨拶」というのはやはり重要かつ有効なのだな、と。「消えたい、もう終わりにしたいあなたへ」でも全く同じことが書いていた。明るく挨拶をして、話せそうなら一言、「今日は寒いですね」など言ってみること。やはり人間は1人では生きてはいけないし、人とのやり取りというのはよるべない個人にとって生存に関わる重要事項なんだな、と実感した。

 つながるためにはまず1人になることが必要なんだ

p.209

 1人というというか、個人になることですかね。〇〇会社のナントカさん、ではない、個人になること。人は自然に同期できる仲間を探しているもの、ともおっしゃっていて、なるほどな、と思う。
 私も仕事も友達も何も関係ないnoteを1人でやり始めて、拙いものをいくつかあげるなかで、何人か実際にお会いしたりできる仲間を見つけられた。この経験はとても良かったと思っている。私も同期できる仲間を探して、怪しまれない程度に明るく挨拶から始めたいと思う。 

 ずいぶん長く書いてしまった。この本はこれで終わり。ものすごく参考になるというか、心構えが少し変えられそうな本で良かった。
 いろいろな生き方があるのだな、と最近思った。自分は、いかに狭い世界で暮らしてきたのかと。私はあの人と違ってこれができないから無理、あれがないからできない、と思わずに何か一歩踏み出してもいいのでは、と思えた。もっと早く読めば良かったな、と思った一冊でした。




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