微睡の世界VOL.10 でんぱ組.incが今の僕を作った件
でんぱ組.incが解散を発表しましたね。
僕の音楽人生は彼女たちに出会わなければ今の僕なないんです。
フィロソフィーのダンスを立ち上げたり、寺嶋由芙をプロデュースする事もなくマイナマンドとの出会いもなかったと思います。
なぜ彼女達だけが僕にとって特別だったかを書いてみたいと思います。
僕は世代的に天地真理、南沙織、山口百恵、キャンディーズ、ピンクレディー、中森明菜、松田聖子、おニャン子クラブ、モーニング娘、ももクロ、Perfume、AKB48とアイドルという概念が出来たのと同時代を生きてきました。
近田春夫さんのコラム「気分は歌謡曲」愛読していました。
日本初のアイドル楽曲評論誌と言われる「良い子の歌謡曲」を毎回チェックしていました。気になるアイドルのチェックもロック・ファンとしてはかなりやっていたと思います。
ですが、いわゆるアイドルのファンになるというような事は自分に全くありませんでした。
長く席を置いた東芝EMIというレコード会社もあまりアイドルはおらず強いて言えば本田美奈子くらいで仕事にするという感覚のありませんでした。
BaseBallBearを担当していた頃、ボーカル&ギターの小出くんがアイドル好きで、DVDでしか聴けないハロプロの曲までチェックしていて、今でこそアイドル好きを公言するロック・ミュージシャンは珍しくはないですが、当時はほぼおらず、ファンが減るからやめた方が良いと言ったりした物でした。
ところが2012年、創刊時はプログレ、90年代は渋谷系、その後、ロッキン・オンより若干マニアックなアーティストを取り上げるMARQEEという雑誌が突然アイドルのでんぱ組.incを表紙にしたのです。
はて?と思ったのですが、聞いてみると従来のアイドル・ソングのイメージと違い、電子音が鳴り響き、聞き続けると脳にダメージが起きるような曲でした。いわゆる電波ソングと言われるジャンルの作品ですが聞いたことがなかったのでちょっとハマってしまいました。
それと秋葉原がカルチャーの発信地としても面白いという噂も聞いていたので、一度彼女たちがホームとしているディアステージに行って見ようと思いました。
それは2012年6月13日。すでにでんぱ組.incはディアステージでは小さすぎるグループになったいたのですが、たまたま収録もあるという事で出演しました
その時の衝撃は、今でも思い出せるくらいの物でした、それは僕の音楽観を変えた15歳で見た遠藤賢司のライブに並びます。
見ていないですが1962年にビートルズ、1969年にレッド・ツェッペリン、1976年にマーキークラブでセックス・ピストルズを見たらこんな初衝撃を受けるのではと思いました。
その時から出来る限り彼女達のライブやイベントは見にきました。年間60本くらいだったと思います。
作品はもちろん、掲載雑誌、フライヤー1枚までも入手していたと思います。当時の僕を知る後輩に聞くと「頭がおかしくなった」と思ったそうです。
アイドル・ソングでしか得られない多幸感があるというのは宇多丸さんの名言ですが確かにそうだと思います。それはハッピー・ドラッグのようでした(比喩ですよ)
思うに僕が彼女たちに惹かれたのはまずは楽曲でなのですが、理由の一つは彼女たちは既存のアイドルとは違うかというとサブカルチャーの文脈から出てきたからだとも思っています
僕自身は中学の時に出会い衝撃を受けた雑誌、宝島の影響が大きいですがライブハウスに通い、インディーズの音楽を聴き、映画館なら単館での上映作品を見て 芝居は小劇団というサブカル人生を送ってきたんです。
サブカルチャーというの定義は諸説ありますが僕としてはビジネスではなくで自分の表現したい事を優先するというのが、そうだと僕は思っています。
つまり、それまでのアイドルは大手芸能事務所が普通の会社と同じ理論で利益を上げる事を目的で始める物であってアーティストが自分のやりたい音楽をやるという物では基本的にはないんです。
でんぱ組.incはプロデューサーのもふくちゃんが日本人がオリジナリティーも持って出来る音楽を探して、クラシック、ブラック・ミュージック(P-FUNK好き)ノイズ・ミュージック(灰野敬二のファン)を経て、電波ソングこそが海外にはない日本のオリジナル・ミュージックだと行きつき、でんぱ組.incを作ったという経緯があります。
つまり売れる売れない関係なしに表現としてアイドルを選んだという事なんです。
Wiennersの玉屋2060%という従来アイドル・ソングとはかけ離れた音楽性のロック・バンドのメンバー楽曲を依頼したというセンスも素晴らしいですし、彼女たちの曲はダンス・ミュージックではないので振り付けはつけづらいはずなのですが、それにユニークな振り付けをしたYumikoも素晴らかったです。
あまり語られないですが、現代アート作家の村上隆の唯一の映画監督作品である「めめめめのくらげ」に出演している事も彼女たちの立ち位置を表していると思います。
それとアイドルがライブハウスに出始めたのも2013年頃だと思います。今では当たり前ですが、当時はかなりの驚きでした。要は従来のアイドルのようにテレビ、ラジオ、雑誌等に頼らずにロック・バンドと同じようにストリートから始めたわけで、高校生からライブハウスの通っていた僕にとっては同じ現場にいる存在なわけです。
メンバーのキャラクターも絶妙でした。誰もが違う魅力を持っていたと思うのですが、特筆すべきはアイドルを批評的、客観的な観点で行っていた夢見ねむちゃんの存在だと思います。映画、アートなどにも造詣が深く後に個展、作詞、MV監督、キャラクター造形など多彩な才能を発揮していきますが当時はアイドルをアートとして解釈して活動していたと思います。
それまでに、こんなタイプのアイドルは存在していなかったと思います。
これは彼女の監督による寺嶋由芙のMVです(僕も出てます)
ちなみにねむちゃんはNHKの朝ドラをちゃんと見た事ないそうです。
https://youtu.be/70W-GYIm8qM?si=UBHXKPO5XNPOQ3h5
同時多発的にプロデューサーが表現としてやりたいことをやるために作られたアイドル・グループが出てきて2013年から俄然シーンは面白くなって来て新しいグループをチェックするのが本当にあの頃は面白かったですね。
K-POPというは音楽的にはダンス・ミュージック一択ですが日本のアイドルは様々な音楽的なジャンルがあるので、そこは面白い部分だなと思っています。
ちなみに僕の葬式の出棺にはこの曲を流して欲しいと思っています。みなさん覚えておいて下さいね。
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