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微睡の世界VOL23,GOOD BYE APRIL メジャー・デビュー・アルバム「HEART DUST」リリース!

GOOD BYE APRILのメジャー・デビュー・アルバムついにリリースされました。
僕と彼らの思い出について書いてみたいと思います

遡れば2006年、担当していたSSWの湯川潮音のお父さんの湯川トーベンさんは全国各地のライブハウスを弾き語り各地を巡っていたのですが、長野の佐久のライブハウスに出た所、前座で出た男の子がすごく良かった。という話をしてくれました。では「次回トーベンさんが佐久に行く時に見に行きますね」ということで過去のスケジュールを探してみると、その年の7月15日に佐久のRAVENというスタジオ兼ライブハウスのような店に当時16歳の倉品翔君の弾き語りを見ました。
うろ覚えですがBUMP OF CHIKINの曲とオリジナルを数曲を歌ったと思います。
年齢のを考えるとかなりのクオリティーだと思いました。

とりあえず一度、東京に来てもらって弾き語りで何曲かレコーデイングを何回かしたように思います。

彼は、2007年にはLight Shipというバンドでロッキン・オン・ジャパン・フェスの中で行われるTEENS ROCK HITACINAKAに優勝して出演します(前年度の優勝は清竜人が在籍したP -MAN)


筑波大学の進学した彼は当時の友人とバンド活動を始め、何度かデモのレコーディングもしたのですが、メンバーの力量、情熱などが揃わず解散してしまいます。

新しいメンバーを探そうという事になり、まず一番に僕の頭に浮かんだのはベースのエンちゃんこと延本文音ちゃんでした。彼女の在籍したガールズ・バンドは当時サマソニに出られるというグレート・ハンティング主催の2007年のオーディションで優勝したのですが、こちらもバンド2009年に解散してしまいました。

ベースのエンちゃんはベースが良いのが言うまでも無いですが、キャラがすごく良くて、結界に迷い込んだ話とか、家族の話とかエピソードも楽しく、一緒にいて座持ちがすごく良いんです。バンドのムード・メーカーとしても最高だと感じていました。
このまま世、彼女が世の中に出ずに終わってしまうのはあまりの残念だと思っていたので何もまだ決まってはいなかったのですが東京にとりあえず出てこないかと誘ったんです。

2010年にまずはふたりを紹介。ドラマーのつのけんはオーディションをして参加してくれました。

バンド名は当時、EMIが新人育成のために契約していた今は無き細野晴臣さんのプライベートスタジオでもあったLDKスタジオのロビーで好きな言葉を書いた紙を並べ替えて考えた記憶があります。

2011年にトリオで初の会場限定盤でCDをリリース。エンちゃんの大阪時代のバンド友達の吉田卓史が上京して参加します。

EMIと育成契約を結び、可能性を感じてくれたディレクターもいて、マネージメントも複数声がかかり、デビューに向けてプロジェクトが進むかと思いきや、歌声も素晴らしいし演奏力もあるけれど決め手がなかなか見つからず、メジャーデビューのきっかけが掴めずにいました。

何かのきっかけになればと思い、当時プロデュースしていた寺嶋由芙ちゃんに楽曲提供と演奏をしてもらいました。今もこの曲は人気曲になっています(ちなみ監督は僕がやりました)

僕も2015年に当時のレコード会社を離れてしまったので業務的には離れてしまい、節目のライブは見にいくという程度の関係性になってしまいました

そんな彼らの転記になったのは現在進行形のJーROCKではなく、70〜80年代のニューミュージック、シティポップに目を向け始めてリリースした2018年のこのアルバムです。

その後彼らの音楽性はシティポップに傾倒していく事でより洗練されていき、その方向を決定づけたのが2022年にリリースされたこの名曲です。

名曲が出来たせいもあるのかもしれませんが、ここから運命が少し彼らに味方してくれます。
僕の東芝EMI時代の上司がクラウン・レコードで新人を探しているけれどは誰かにいないかと相談されました。
彼らを推薦した所、元東芝EMIのディレクターがクラウンの社員になっていて彼らに興味を示してくれました。
そしてその彼がなんと元林哲司さんのマネージャーでもあったのです。メンバーは全員林哲治さんのファン。エンちゃんは林哲治曲縛りのカラオケをやるほどです。そのデイレクターが繋いでくれたおかげでデビュー曲が林さんにプロデュースしてもらえるという大きなトピックになりました。
またクラウンは70〜80年代、ムーンライダーズ、細野晴臣、鈴木茂などが在籍したPANAMというレーベルがあり、そこからのリリースになったのも良いブランドイメージになりました。

僕も晴れて正式に外部スタッフとして色々お手伝いする事になりました。

エンちゃんと卓史の関西弁の掛け合いのようなMCがめちゃくちゃ面白いと思っていたのでポッドキャストを始めるように提案しました。世界で一番役に立たないポッドキャストかもしれませんが一部で聞いてますと言われるようになりました。


今年の夏にリリースされたこの曲のMVはただ可愛い女子が出ているだけではヒキが弱いと思い、元フィロソフーのダンスの十束おとはちゃんに出てもらいました。
フィロソフィーのダンスのファンも音楽的な偏差値は高いので喜んでもらえたようです。

バンドのブランディングになるように僕がプロデュースして彼らのファンでもある文坂なのちゃんにmissing summerカバーバージョンもリリースしました。

清水信之さん、山川恵津子さんという80年代のレジェンド・アレンジャーと彼らを繋ぐことも出来ました。それがこんなイベントに彼らがサポートとして抜擢されるという事も実現しました。

Nobuyuki Shimizu Presents 稲垣潤一×安部恭弘 Special Live with 清水信之

そして先日、メジャー・デビューアルバムがリリースされました。

長くかかりましたが、彼らの歴史の集大成がここに結実したと思います。
長く聴ける名盤だと思います。

発売日、ラジオ番組の収録でお茶の水に向かうとでゲストの体調不良で収録が中止のメイル、参ったなぁと思っていたらマネージャーのタイリーが横断歩道を渡ってくるので声をかけたら、発売日なのでレコード店に挨拶にメンバー全員で行くとの事、アルバム発売日のメンバー全員と会うというなんたる奇遇。

倉品翔くん(ラッシーというあだ名も僕の命名です)と初めてあって18年。バンド結成から14年。芸人だと苦節何十年でブレイクというのは珍しくなくなってきましたがバンドでここまでメンバーチェンジもなく、続けてきてメジャーデビューというのはなかなかないケースだと思うのですが、続けていけば道が開けるというのは本当にケースだと思っています。まだまだ道は続きますが、万人が知るスタンダート・ナンバーを作れるバンドだと思っています。














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