SKINというバンドについて
SKINという日本のバンドが残した作品が最近レコードのみで再発されました彼らの活動期間は1979〜82年のわずか3年間。アルバム2枚とシングル2枚を残してブレイクする事なく自然消滅、その後CD化もされずメディアで取り上げられる事もありませんでしたが、ですが僕は彼らの大ファンでした。
僕が彼らと出会ったのは1980年の春、当時僕が入っていた青山学院大学ALS(青山ライト・ミュージック・ソサエティー)という音楽サークルの青山児童会館で開かれた新人歓迎ライブでした。僕は何の情報もなくライブを見たのですが、会場の周りを声をあげて走り出したいほどの衝撃を受けたんです。彼らは、そのサークルの先輩バンドでした。その後僕は出来るだけライブを追っかけました。
彼らはその年、フジテレビで放送されていたバンドのオーディション番組で3週連続で勝ち抜いてキング・レコードからいきなりメジャー・デビューします。
プロデューサーは後にBLUE HEARTS、GLAY BOΦWY, JUDY&MARYなど数多くのバンドをプロデュースしてブレイクさせる佐久間正英がプロデュース。彼のプロデュース作品としてはP-MODELに続いて2作目ですね。
ファースト・アルバム「SKINLESS」を80年12月にリリース。都内を中心にライブ活動を行い、日比谷野音のイベントなどに出演。81年7月に同じく佐久間正英のプロデュースでセカンド・アルバム「ZUN-ZUN」をリリースしますが82年には事実上、活動停止してしまいます。
彼らの音楽性はロキシー・ミュージック、イギー・ポップ、ルー・リードなどのコピー・バンドをやっていたボーカルのWAKUがパンク・ロックに衝撃を受け結成したものなのでパンク的な要素も持ちつつも、彼のルーツも感じさせます。そしてパンクに影響を受けたと言っても元々テクニックも優れていたため、単純な3コードではなく、アレンジも色々と工夫されています。
そして特徴的なのはそのボーカル・スタイルです。ブルースやハード・ロック的なニュアンスが全くなく、どこか人工的な響きの声質が印象的です。(プラスティックスの中西俊夫に少し似ているかもしれません)
短髪でシャツにネクタイにサングラス。引きつったようなアクションで歌うステージングも独特でした。
歌詞は当時の社会に対する皮肉や違和感をテーマです(今はコンプライアンス的には問題がある歌詞もありますが)
80年代初期の日本のバンドの多くはBOΦY(暴威という表記もありました)アナーキー、ARB、モッズ、ルースターズなど、どこかキャロルから綿々と続くヤンキー感が漂うんですが彼らには、それが無いのも特徴だと思います。
タイトなリズム隊(クリック無しでレコーディングしたと聞いて驚きました)クリス・スペディングやミック・ロンソン、あるいはスティーブ・ジョーンズ等の70年代のブリティッシュ・ロック・ギタリストを思わせるTATSUの歯切れの良いギターも素晴らしいです。
当時のロック・バンドのサウンドは今聞くとチープな印象の作品が多いですが、佐久間正英の作るサウンドも経年変化を感じさせない普遍的なカッコ良さです。
彼らは、いわばグラム・ロック、モダン・ポップとパンクのミッシング・リンクというべきバンドだったと思います。
バンド消滅後、ギターのTATSUとドラムのDOMINOがサポートしているという事で伊藤さやかというアイドルのライブも見に行きました(先日、知ったのですがベースはのちにCocco等のプロデュースで知られる根岸孝旨さんだったそうです)
彼らは完成度の高いアルバムをリリースしていながら、再発も語られる事はありませんでした。佐久間正英の追悼アルバムの中に1曲が収録されたのは唯一の聴くことが出来る音源でした。
余談ですがレコード・フリークのブラッド・サースティー・ブッチャーズの吉村さんが生前「渋谷のレコファンでスキンのシングル見つけたよ」嬉々として話してくれた事がありました。
なぜ彼らは売れる事も評価される事もなかった理由を考えると、こういったお茶の間向きでは無いロック・バンドを売るインフラが当時はまだ整っていなかったからだと思います。
ラジオ、テレビ、雑誌でも取り上げる音楽は歌謡曲、ニューミュージックがメインでした。CMやドラマのタイアップは難しく、もちろんMTVもyoutubeもありません。
ライブをやろうにも今から思うと信じられないですがライブ・ハウスは都内で200人規模の小屋しかなく、数も指折り数える程度しかありません。地方においては言わずもがなです。ホールでのライブはよほど売れないと出来ません。
82年にデビューしたBOΦWYでさえも当時は全く売れず、ブレイクするにはメディアがロック・バンドを取り上げるようになる1986年まで待たなくてはなりませんでした。
月並みな言い方ですが早すぎたバンドだと思います。
それと彼らの不幸はテレビのオーディション番組からデビューしたという半端なメジャー感がついてしまった事もあると思います。結成当初はマリア023と言ったトーキョー・ロッカーズとも繋がりがあったので、むしろインディーズからリリースした方が伝説として残っていったかもしれません。
これはアーティストとレコード会社の責任ですがバンド名がSKINでタイトルが「SKINLESS」パッケージはコンドームを模したジャケット。曲名は「大人のおもちゃ」では少なくとも女子は買いづらいですよね(今ならアマゾンがありますけどね)
先日、レコードの再発記念イベントで当時はプロのミュージシャンなんて畏れ多くて話しかけすらも出来なかったのですが、メンバーとお話しさせて頂き、当時の自分に自慢したいです。