3年前、運動会で。
大体、私は運動会というものが嫌いだ。
あまりにも運動とはご縁の無いこの人生、走れば最後尾、泳げば沈没、打つのも投げるのも、運動全般が不得手な私は、小学校、中学校、高校、いつも運動会、体育祭、球技大会、とにかくすべての運動に関連する学校行事に積極的に楽しく参加したという記憶が全然ないし、何なら高校時代は体育祭をこっそりさぼって体育館の裏で猫と弁当を広げて遊んでいた。
そんな風に『運動会』と仲良くしてこなかったツケが回ったのだろうか。
学生時代を過ぎ、結婚して、子どもを産んで、今度は『母親』として運動会に参加するようになった時の運動会と私の相性は最悪だった。
まず息子の初めての幼稚園の年少さんの運動会、運動会という集団行動の集大成的行事に参加するには少し幼すぎた3月生まれの息子は、運動会の出だし、全園児入場の列からまず離脱、徒競走で鼻をほじくって一向にやる気を見せず、親子でダンスはほぼ棒立ち、応援席でママの横がいいと泣き、まだ日差しの強い10月の秋晴れの日、その後ろに張り付いてなだめ続けた私は疲労困憊、首の後ろは日焼けで真っ赤になった。
それを皮切りに
ある年はこの息子と3歳違いの妹、娘①が熱を出し。
ある年は夫の網膜剥離の手術入院と運動会が丸かぶり。
息子がお腹を壊していた年もあった。
『運動会の思い出』は自分の思い出フォルダのどこからどう引っ張りだしてみても
「大変だった…朝のお弁当作りも含めて」
という感想しかないのだけれど、一番大変だった運動会の思い出と言えばそれは
2017年10月8日。
娘①の幼稚園最後の運動会。
◆
その日のその時、私は3人目になる末っ子の娘②を妊娠していた。
週数は30週と3日。
安定期をとうに過ぎ、服の上からもう妊婦のそれとはっきりとわかる位膨らんだお腹を抱えて、私の心は結構どん底だった。
それは前日、胎児エコー検査で、以前から
「詳細はまだはっきりしませんがお腹の赤ちゃんの心臓に問題があります」
と言われていたモノのすべてがはっきり自明のものとなり、もう誤魔化しも、逃げ場も
「もう一度よくエコー見てみたら何かの間違いだったみたい」
そんな先生のうっかり見当違いだった可能性も一切無くなってしまったからだ。そしてその場で決まった出産後、即NICUへの入院、最低3度の手術。
「最後の手術に辿り着けないという可能性もあります」
ごく簡易に描かれた心臓と血管のイラストの上に、産科医と新生児科医の2人の先生の手でどんどん書き足される心臓の疾患名らしい見慣れない文字列を目の前に、自分の人生史上最高に重たい宣告を受けたあの日の事を私は今でもよく覚えている。
検査と説明の後、付き添ってくれた当時6歳の娘①と一緒に病院の中のドトールで「いいからどんどん好きなもの頼みなさい」と言って2人でミルクレープをやけ食いしたことも含めて。
「どうしてこんなことになったのかなあ」
「私の何が悪かったんだろう」
そうやって一晩逡巡して、もしかしたら夢だったのかも、と思いながら目覚めた翌朝。
世界は何も変わっていなかったけれど、夜半に台風が無事通り過ぎた日曜日、そして快晴。
幼稚園最後の運動会の日を迎えた娘①は張り切っていた。
◆
幼稚園の運動会、年長児は出番が多い、そして親はその後ろを追いかけるのに忙しい。
徒競走
組体操
フラッグとポンポンのダンス
クラス対抗リレー
それぞれの競技で一所懸命頑張る我が子を写真と映像に収めるために、パパもママもグラウンド狭しと走り回るのだけれど、その日、私はその役目を夫に任せて出来るだけ人目につかない場所でそっと娘①を応援していた。
ウロウロとその辺を歩き回って、幼稚園の知り合いのママ達に膨らんだお腹が妊婦のそれと気がつかれて
「アラ、おめでた?おめでとう~!いつ生まれるの?」
皆、優しくて気のいいママ達だ、きっとそう言ってくれるだろうけれど、それに対して笑顔で『ありがとうございます』を返す自信がなかった。
グランドの端から、実はあんまり運動が得意ではない娘①がそれでも元気一杯に白線で区切られたレーンを走り回る姿を見ながらぼんやりと
(お腹の子は生まれて来て3歳まで辿り着いても、運動会で走ったりできないのかもしれないな)
そんな事を考えていた。
それは昨日、穏やかでゆっくりとした口調の新生児科医の先生が
「オリンピック選手になる事はできませんが」
そんな言い方で
『予定の手術をすべて完走して、大人になる事の出来る心臓の状態を手に入れたら、激しい運動はちょっと難しいですが、定期健診や服薬を続けながら、普通に暮らすことはできます』
このお腹の子の将来について説明してくれたからだ。
(でも、あの『オリンピック』の比喩の中には運動会だって、遠足だって含まれるんじゃないの。)
秋晴れの日、頭の中に昨日の胎児の疾患とその状態の説明への懐疑と心配ばかりを隙間なく詰め込んで時間を過ごしていた運動会の終盤の目玉は『年長児による親子競争』。
その競技で、娘①は競技の伴走にパパでもママでもなく、兄である息子を指名していた。
愛娘からの戦力外通告を受けて夫は泣いたが、妹の『お願い』にまんざらでもない息子の走りはなかなかで、夫をして『ママ譲りの伝説の鈍足』と言わしめた娘①と一緒に一等賞でゴールを決めた。
そして夫は失言により私に殴られた。
一等賞を周囲のママ達や先生方にほめそやされ、すっかり気を良くし、真っ赤な顔に鼻を膨らませて私の所に走ってきた息子は私に向かって、
「お腹の妹の運動会の時も僕が一緒に走るから!」
意気込んでそう言ってくれたけれど、私は丁度その直前に考えていた昨日の新生児科医の先生の言葉が頭に張り付いていて、つい
「でもさ、この子は運動会で走ったりできない子かもしれないよ」
そう言ったが、息子の答えはこうだった。
「そしたら、僕が背負って走ったげるやん!」
◆
あの日『運動会で走れないのかもしれない』随分と先の事まで心配をされていた胎児はその後、無事産まれて今、2歳になった。
今月で2歳と7ヶ月。
2度の手術や何度かの入院を経て、今は在宅用の酸素と暮らしている娘②は、滅法元気だ。
これには私も騙された、あの日の私の涙と懊悩を返してはくれまいか娘②よ。
心臓疾患児と言えば身体は弱く、それに伴って気持ちは穏やかに優しく、お部屋で静かに絵本を読んで日がな一日過ごすそんな子どもを想像していたというのに、この娘②は毎日毎日朝日が昇るとともに起き出して、
「ソトイコ!」
「デンチャミルノ!」
さあ、とにかく出かけよう、お外が電車が私を呼んでいると言って聞かない。
そんな声、インドア派を自認するこの母には一切聞こえて来ないのですが。
その前のめりのお外への熱意と社会への参加意欲を持って、最近とうとうこの娘②は、幼稚園のプレクラスにデビューを果たした。
場所はあの日の運動会の会場、娘①と息子の卒園した幼稚園。
生まれてからずっと、お友達と遊ぶ場所と言えば、ほとんど病院のプレイルームか、障害や疾患のある子どもの為の施設に限定されていた娘②は、初めて普通に元気な子だけが集まる輪の中に、酸素ボンベを担いで乗り込んだ。
当日は私の方が緊張してしまっていて、
(酸素ボンベを付けている娘②を不思議そうにみんな見たりするだろうか)
(娘②は逆に何も体につけていない子ども達に驚かないかな)
(発達の遅れって普通の子の中では結構目立つのかもしれないな)
色々な事をぐるぐると考えすぎて多分顔がこわばっていたと思うのに、そんな母親を他所に当の娘②は
「皆さんオハヨウゴザイマース!」
「ウェーイ!」
「今からご本を読みますよ!」
「イエーイ!」
元気に幼児たちに呼びかける先生に向かって両手を振り上げ、誰よりもフジロック、相当な盛り上がりを見せていて、私はちょっと呆れて結構笑って少し泣いた。
ウチの娘②は逞しい。
その日は、お友達とのご挨拶と絵本シアター、あとは幼稚園の中をぐるりと探検して1時間と少しの保育時間はあっと言う間に終わってしまったけれど、園内を探検している時、私は娘②が階段を全部登り切れない事に気が付いた。
あと長い廊下を歩いている時に息が切れて少し休憩を入れないといけない事も。
3歳で受ける予定の最後の手術が終わればこの状態も少しは改善するのだろうか、
いや、でも主治医の小児循環器科の先生は、
「理論的には健常な心臓を持った人と同程度の数値が出る事になるけど、まあ大体その限りじゃないよね。」
と言う。
この人はいつも患児の親に歯に衣着せなさ過ぎて、たまに言葉が私の心に刺さる。
でも真実なのだろうと思う。
そうしたら運動会なんかはやっぱり走ったり出来ないのかな、そう思って廊下の窓からグラウンドを眺めて、ほんの少し寂しくなった時、
あの日、2017年の10月8日を思い出した。
◆
「ねえ、昔娘①ちゃんの運動会で、お腹の赤ちゃんが運動会の親子競争で走れなくても『背負って走る』って言った事覚えてる?」
その日の夕方、6時間目の授業を終えて帰宅した息子に何となく聞いてみた。
あの日、運動会でお母さんに約束してくれた事覚えてる?
「覚えてる」
「というか、もうおんぶも肩車も今、出来る」
息子は覚えていた。
今、小学6年生になった息子は今身長140cm、体重30kg。
学年の中では決して大きくない、むしろ小柄で細見の息子だけれど、6年生にもなれば力も強いし、2歳の妹をおんぶして歩くことも簡単だ。
だから俺は3度目の手術が終わって、それでもしばらく酸素ボンベを付けている娘②ちゃんを背負って走ると言い切った息子は、ちょっと頼もしかった。
あの時も、今日もありがとう。
あの10月8日からもうすぐ3年、あと1度手術を乗り越えたらきっと夢が叶う。
全てが上手くいけば、入園は来年の春になる。
◆
余談だけれど、私はこういう日常のちょっとしたことを直ぐに140字に編む。そして忘れないようにツイッターにつぶやいておく。
それは後々自分の大切な忘備録になったりしてくれるので。
楽しい事や可笑しかった事、困った事やちょっとした事件。
特に『ありがとうの気持ち』なんかは人間、思った瞬間に砂が手から零れ落ちるかのごとく忘れてしまい勝ちだ。私なんかは特にそう、だから、書き留めておいた方が良い。
これは、その気持ちを私が書き留めておいたつぶやき。
大切な思い出、あの時の気持ちは文字にしてインターネットの中に置いておこうと思ってこの企画に参加したら、このハッシュタグのついたつぶやきたちはいずれ一冊の本になるらしい。
ありがとうが文字になって集まって本になるのはちょっと素敵だ。
もしよかったら、あなたも。