卒業袴
小学生の卒業式に袴を着ようなんてこと、一体いつごろ、どこの誰が思いついたのだろう。
個人的に、桜の御所車の宝尽くしの撫子の振袖に藍の浅葱の紫の袴を合わせたお嬢様方が、桜待つ弥生の街を華やかに和やかに歩く様を見ることは、大変好ましい。
でも12歳か、早生まれなら11歳の年端もゆかない女の子たちが袴姿で卒業式というのは、流石にちょっとやりすぎではないかしらん。それも普通の、公立の小学校で。
そう思っていたのは3年前、今年中3で中学を卒業した息子の小学校の卒業式のときのことで、諸般の事情から息子の卒業式に参加することのできなかったわたしが、その名代をよろしくと頼んだ夫の帰宅後「卒業式どうやった?」と聞いたら
「卒業式なあ、女の子がみーんな袴やったで、びっくりしたわ」
と聞いて半信半疑だった。この人は普段の物言いがやや大仰というか、すこし適当なところがあって、卒業式の日、物珍しい小学生の袴姿が体育館の雛壇の上にちらほらあったことを「みんな袴や!」と思い込んでしまったのだろうとわたしは「まあ話半分に聞いとこ」と思ったのだった。
それが息子の卒業式の数ヶ月後、自宅に送られてきた息子の卒業アルバムの卒業式の集合写真の半分は目にも鮮やかな桜撫子牡丹御所車。
「…古き言い伝えはまことであった」
夫の言い分は嘘でも誇張でもなく、わたしは青き衣の人を間近に見たババ様のような(©風の谷のナウシカ)ため息が出た。そしてすぐさま「うちは男の子でよかったことよ」と思ったのだけれど、そのときわたしの隣で、写真の中の娘さん達への羨望の眼差しを隠さずにいた娘、当時小学校3年生だった子のことは、あまり考えていなかった。
しかし、3年という月日はひかりの速さで過ぎゆく。
去年の年の暮れ6年生になってから、随分と背が伸びて、大人びた12歳の娘に、ふと思いついて
「卒業式どうする?」
と聞くと娘は「お友達は袴を着るのだって」と遠慮がちにわたしに言ったのだった。この娘は普段からあまりはっきりものを言わない、3人兄弟の真ん中、アクとクセの強い兄と、先天性疾患があって手のかかる妹のせいで普段
「ハッ、あんたおったん?」
そう言われがちで、加えて他のきょうだいに比べて格段にもの分かりがいい性格であるがゆえに
「ごめん、ちょっと後でいい?」
そうも言われてしまいがちな娘が、「友達は着るのだけどね…」という言い方で親に無意識の遠慮をしているのだろうなあと思うと「じゃあ…袴で卒業式出る?」と言ってしまった、娘は大喜びだった。
―ほんとう?いいの?
それから数日後の土曜日、娘は市内の着物屋に夫と出かけてゆき、2件の店舗をはしごして、駅にほど近い1店舗で浅葱色に牡丹と蝶の中振袖に、裾に小さく桜の花の刺繍のあしらわれた濃紺の袴を選んできた。
そのテのものの相場をよく知らないまま「娘ちゃんの好きなのを選んだらいいよ」と大らかに言い放ってしまったわたしが「それはいかほど?」と確認した予約票に明記されていたレンタル料は普段、着る物にあまりこだわらず、子どもらに吝嗇家を公言しているわたしにはなかなか結構な額面だった。
そしてそれはこの春、上が高校生、真ん中が中学生、一番下が小学生にと全員が進学することになっている我が家にとっては結構重い出費ではあったけれど、いよいよ卒業式の当日となった今朝、まだ空に星の光る暗いうちに着付けとヘアメイクの予約をした着物屋さんに娘と道具一式を届け、建物の1階ロビーの椅子に腰かけて小一時間待った後
「お嬢様、仕上がりましたよ」
お嬢さまとは一体どこのお嬢さまかと困惑しながら、係のお姉さんの声の方に振り返ると、そこにいたのは浅葱色の春の精。
―アラ、こんなところにホンマにお嬢様が
大半が普通の、勤め人の家庭の子の通う公立小学校で着物やら袴やら、そんな豪奢な衣装を纏う卒業式はどうなのかなとずっと逡巡していたわたしではあったけれど、娘がはにかんで「どうかな、へんじゃない?」と結い上げた髪の桜の髪飾りと三つ編みをあしらったシニヨンの形を気にする姿は、親の方が面映ゆく、なにやらとても嬉しかった。
(なんだか大きくなっちゃって、ねえ)
なんのことはない、子どもの晴れ姿というのは当の子どもではなく親の方が嬉しくて、それでやっているものなのだ。そして自分は実のところ大変に親ばかの類の方なのだなと、今更思ったりした。
卒業おめでとう娘、大きな声では言わないけれど、多分今日はあなたがクラスの中で一番かわいい。