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反芻動物園

十月の連休に、天王寺動物園に行った。とても楽しかった。

天王寺動物園は大阪市天王寺区の天王寺公園の中にある動物園で、大正4開園。日本に現存する動物園の中では3番目に長い歴史を持つらしい。傍から見ると動物園というよりも、大阪のど真ん中に突如出現した深い森という風情のそこは敷地面積約11ヘクタール、そこに約200種1000匹の動物が飼育されている。

そこには2か所入り口があって、新世界側の入り口から入場するとそこに通天閣が見える。明治45年竣工、昭和18年に階下の映画館の火災により焼失、その後昭和31年再建されたという事実をこの文章を書いている今、知った。最寄り駅は大阪メトロ動物園前駅、南海とJRの新今宮駅。大阪初心者がうっかりそこから入場しようものなら、ディープサウス大阪の持つ雰囲気に慄くことになる。天六と千林と桃谷が束になってもちょっと敵わない、道行く人の阪神タイガースキャップ率は阪神甲子園駅に次ぐ多さ(私調べ)。

そして『てんしば』という、天王寺公園の一部であるところの広大な芝生広場側から入場する時、今度は美しく整備された都市公園の姿に驚く、「もとは何やったんこの広い土地」と思って調べたら、そこは1903年に内国勧業博覧会があった跡地なのだそう。動物園の深緑の森の先には2014年に開業した『あべのハルカス』がバベルの塔のように高く聳え立っている。緑の森の向こうに高さ300m級の高層ビル。すごい違和感、どういうスケール感。

ところで去年まで日本で一番高いビルだったあべのハルカスは、今東京の麻布台ヒルズに30m分負けているそう、いつだったか大阪駅前の街録でその件について「えー、なにそれめっちゃくやしー」と言っているお姉さんをテレビで見たような気がする、そうなんですか、2位じゃだめなんですか。

高層ビルが群れ成す大都市に突如ぽっかりと空いた動物園と公園の緑色の広大な空間。それを見ているとちょっと奇妙な感じがするし、大都市ってこういうものかなとも思う。「なんかいいな」とも思う。動物園の敷地の横に園内を見下ろすように建つ東横インなんて、特に用事はないけどちょっとだけ泊まってみたい。

14年前、2歳になるすこし前の一番上の子を連れて天王寺動物園に来た時は、まだ大阪に引っ越しをしてきたばかりの初心者だった癖に、乗換案内の言うまま、何も考えずに新今宮駅で降りてしまったものだから、通天閣を背にしておいちゃん達が楽しく路上で乾杯している様子にちょっと恐れをなしたものだけれど、今はもう慣れた。現在好きな街は天満と十三と天六と谷六。商店街好きの大阪の主婦。

でも、その土地に慣れたからと言って、子どもとのお出かけが楽になったのかと言うとそういうこともなくて、特にうちの6歳の子はちょっと距離を歩かせるとたちまち顔色が悪くなる疾患のある子で、そのために医療用酸素も使っているので、動物園のように広い敷地の場所では夫が車椅子を担当し、私が酸素用のカートを持ち運ばないといけない。13歳の子の方はもう中学生なので助けてもらえることも多いけれど、大変マイペースな性格の子なので、レッサーパンダに心を奪われては忽然と姿を消し、キーウィのぬいぐるみが可愛いと言ってはふらりとどこかに行ってしまう。その上天王寺動物園は、同じ関西の動物園でも平たい盆地に建っている京都市動物園と違ってやたらと起伏が激しい、坂を上ってまた降りる、その繰り返し。

その上そこに出かけた日は3連休の中日、前日まで私は「みんな、できたばっかりのうめきた公園とかに行くんちゃうかなあ」なんてことを考えていたけれど、そんなことはなかった。動物園はいつの時代も、小さい子のいるご家庭にとって不動の『お休みの日のお出かけ先』のド定番。
 
園内には、やっと歩き始めた年頃の1歳児、もしくはかけっこが出来るようになった2歳から3歳くらいのちびっこがぽこぽこ歩き、もしくはベビーカーに乗せられ、またはエルゴに抱っこされて、順路の矢印に従って先へ先へとぞろぞろ続いていた。2024年の出生数は70万人を割り込む予測のはずなのだが、少子化イズ何。そしてそんな親子連れの行列を見ているとふと不思議に思う。
 
(小さい子って、そんなに皆が皆、動物が好きなんかな)
 
―秋晴れの休日、動物園に行って外の空気を吸い、木の上でだらりと弛緩したマレーグマとか、ライオンが野生を捨ててへそ天姿でぐうぐう寝ている姿とか、アシカがわりに機敏に泳ぐ様とか、羊の瞳が横向きの三日月なっているという事実を知ることは、子どもにとってはとても良いこと。
 
とは親の方の思惑であって、もちろん中には何人か「動物大好き」という子もいるんだろうけれど、うちの子ども達は然程動物が好きじゃない。というか馴染みがない。うちには犬も猫もいないし、最近は学校も生き物らしい生き物を飼育していない。特に末っ子なんか乳幼児期の大半を病院で過ごしてきたせいか、病棟の壁に描かれたデフォルメされた動物のイラストなら「かわいい」と言って喜ぶけれど、実物の犬と猫は怖くて触れないし、今回もやんちゃ盛りのホッキョクグマのホウちゃん(3歳)を見たところで
 
「…しろくないやん」
 
と言うだけ、全然興味を持たなかった。ホッキョクグマはな、雪の上で暮らしていないと意外に灰色になるねん。それからペンギンの水槽を見上げた時に見えるペンギンの白いお腹も、レッサーパンダのぽってりふさふさした尻尾も、「ふーん」という感じ。この日一番楽しかったことを帰りの、丁度中之島の辺りを走っている車の中で聞いてみたら
 
「おべんと!」
 
とのことで、秋晴れの空の下でピクニックしたことが楽しかったらしい。私が朝、約15分で作ったお弁当、保温してあった残りご飯で握った鮭おにぎりとたらこのおにぎりとアンパンマンポテトと冷凍唐揚げと卵焼きがか。そして13歳の方はお土産の小さいぬいぐるみが嬉しかったのだそう、動物を見なさい、動物を。
 
でも、思えばこの日「俺はええわ」と動物園を辞退して留守番していたこの子らの兄だって、昔、慣れない地下鉄とJRを乗り継いで、やっと辿り着いた動物園に行って帰って一番楽しかったのは「環状線」と言っていた気がする。園内ではライオンにも虎にも目をくれず、グレーチングの下の溝に小石を落とすことに終始していた、あとは植え込み隠れるなど。
 
あれ、大変だったな。
 
あんなに小さくてぴょこぴょこ跳ねて、目にも止まらぬ機敏な多動児だった身長80㎝が、今や170㎝超の高校1年生。当時は同じ学年のお友達の中でもとりわけ小柄で、今はかた焼きそばを思わせる剛毛の天パになってしまった髪は茶色がかったサラサラの直毛で、たしかあの日はお気に入りの新幹線のTシャツを着いたはずだ。その子がサバンナエリアでライオンに背を向けてせっせと小石を集めていたんだよなあと思うと、寂しいような、懐かしいような気持ちになる。
 
「旅も恋も、そのときも楽しいが、反芻はもっとたのしいのである」
 
そう言ったのは向田邦子だったけれど、子ども連れの動物園も、恋や旅によく似た立ち位置にあるような気がする。
 
6歳が、私が作った物凄く適当なお弁当を「一番楽しかった」と言って喜び、ホッキョクグマは「はいいろやん」と言ってなんだか騙されたなんて顔をしたことも、オオカミを「いぬやん」と言ってそっぽを向いたことも、ぜんぶこの子が高校生になって、真ん中の子は大学生とかになって、もう誰も「ママと動物園に行く」なんて言わなくなった頃に、多分懐かしく思い出すことになるのだろう。
 
動物園は、親の方が「きっと子どもが喜ぶはず」と思って連れて行ったはずの子が
 
―動物なんか見てもひとつも喜ばんかった
―むしろ逃げるしコケるし泣くしでほんまに大変やった
―レッサーパンダのぬいぐるみ、欲しいて言うから買うたのに、帰ったら見向きもせん
 
なんてことを、少し先の未来に「でも、あれはあれで結構楽しかったな」と反芻するためにあるのかもしれない。そんな訳でこのまえはみんな、動物園について来てくれてありがとう。お母さんはすごく楽しかった。

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きなこ
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