灼熱プール
夏のプールサイドが灼熱であることを回顧した夏だった
いや、ほんまのところまだぜんぜん夏は始まったばかりなんやけど。
娘さん(6歳、医療的ケア児)の付き添いで1学期の6月末から7月中旬に実施された体育のプール授業、そのすべてに付き添って私の夏はある意味終わった、私の夏はあのプールの夏の太陽を反射する水色に吸い込まれたのだ。
ところで、私が全プール授業の付き添いをしたということは、娘さんが全プール授業を受講したことになるんですよね、余すことなく、見学もお休みもせずに(直線的な帰納法)。
娘さんは先天疾患があり、彼女の日々はいつも医療用の酸素ボンベと共にある。ついでに運動制限もある、人と違う肺循環で生きているので、というか心臓が生まれつき一心室ていう嘘みたいな構造をしておるので、思い切り体を動かして体に負荷のかかった時、筋肉への酸素供給がなんぼなんでも間に合いまへんという状態になるのだ。
それに、入学時に提出した『学校管理表』なる主治医の署名捺印コメント付きの指示書にも、走るな・泳ぐな・無理するな。という三禁を言い渡されているので、医療機器を常に外付けしているという物理的条件も併せて「泳いだらあかん」は明白な、そして動かしがたい事実なのだった。
が、言葉とは、それがある人の中に取り込まれて彼の、もしくは彼女の脳を通過した際には、解釈というものが産まれる、そして同時にそれぞれの価値観というもので編集されるものです。
(泳いだらアカンていうことは、水遊びとか、水の中で立位の運動くらいはしてええてことちゃう…?てことは1年生の間のプールはワンチャンありでは?)
病気の体に生まれながら「勝気」「活発」「好きな事には前のめり」という、この手の疾患において最も必要となる「常時安静」とはかけ離れた性格と性質を持っている娘さんは、水遊びが大好きで、自宅の狭いベランダにビニールプールを出していつまでも水から上がらず、公園で噴水を見つけると迷わず突進しボンベを持つ母親(私)が貰い事故、というのがここ数年の夏の風物詩だった。
その娘が、小学校のなみなみと水をたたえた水色のプールを前に見学などに甘んじる訳がない。支援学級と普通学級、娘の在籍するふたつのクラスの担任の先生から「夏の水泳の授業をどうしますか」と聞かれた時、私は言った。
「私が付き添うので、できるとこまでやらせます」
結果、ビニールプールではない、水深60㎝の本物のプールを前に娘さんは大喜びの大興奮だった。他の子どもらも同じ、まさに水を目の前にしたゴールデンレトリバーかニューファンドランド、水辺の猟犬の眼をしていた。ご主人が目を離した瞬間に勝手に湖に飛び込んで「あー!」って具合になるあの世にも可愛く愉快な生き物の眼だ。娘さんは常に酸素に繋がれているので流石に勝手に水に飛び込んだりはしなかったが、1年生の中の数名は思わず水に飛び込み、先生にガチで怒られていた。子どもと猟犬は水が好きだ。
プールの前に立つ先生の「フラミンゴ―」の号令で水の中で片足立ち、「くらげー」の合図で水中でフラフラと手足を泳がせ、タコ―で口を水面につけてぶくぶく、「ゾウッ!」の一言で水を掛け合い大騒ぎ。
娘さんは、酸素のチューブを顔に装着している関係で顔全部を水に浸けることはなかったけれど「ゾウ!」の号令で開始される無差別お水掛け合い合戦のために、ピンクのゴーグルを買った。そのゴーグルをティアラよろしく額に頂いた娘さんはプールに入って上がり、また上がっては入りを繰り返す約1時間超(水泳の授業は45分のコマを2コマ続けて実施される)の中で何度も
「しんどくない?先に教室に戻る?」
親の私にも、そして支援学級の担任の先生にも確認されたけれど、こんな楽しいこと辞められるかいなという顔で「だいじょうぶッ!」をくり返し、そうして最後の授業の日、水から上がった途端にプールサイドでスッ転んで膝を擦りむき、かつ転んだ時に顔面を打って上唇を軽く切った。
本人は「できる」と思っていても、身体の方はオーバーワーク、相当疲れていたらしい。夏の陽射しに焼かれたプールサイドで擦りむいた膝に、薄く皮膚が張るのに2週間程かかった。
疾患児の運動は難しい、疾患児だからと言って体力も筋力も不要な訳ではないし、機能的には飛ぶことも跳ねることも泳ぐことだってできるのだ、ただ「じゃあどれくらいできるの?やっていいの?」というのは本人しか分からない、親の私にも、多分専門医にだってそこは微妙に分からない。
全方向安全策を取るのなら、運動なんてやらせないことが一番いいことなのだけれど、汗をかいて体を動かし、透明な水に潜り、草いきれの中を駆けるあの感覚を知らないで成長することは果たしていいことなのか、安定した数値を保ち続けてただ細く長く生き続けることがこの娘にとって幸福なのかというのは、最近の私の悩みというか課題になった。人はパンのみにて生きるにあらずとは全くその通りなのだけれど、無理をして心不全を起こされてもそれはそれで困る。
ところで私の暮らしている地域は、望めば一応誰でも地域の公立小学校に入学できるらしい。
「当地域では、医療的ケア児のお子さんも障害のあるお子さんも、適切な支援を入れて、地域の公立小学校に通えるよう推進しています」
去年の秋、就学相談の際に教育委員会の人の言った「保護者が望めば、府立の特別支援学校でも地域の公立小学校の特別支援学級でも、あなたの希望する場所で学ぶことができますよ」というこの言葉を最初私はあまり信用していなかった。
(えっ…それ、ホンマの所はどうなんです?)
というのも、娘の小学校について考え始めた頃、他府県の方から「小学校はその子の状態によって、特別支援学校か、普通校の特別支援学級かを教育委員会が決定するんです」という話を聞いたことがあったからだ。その方は娘によく似た疾患のあるご自身お子さんの状態や適性を考えると、特別支援学校ではなく公立小を希望したいのだけれど、場合によってはそれが叶わないかもしれないと、かなり奔走されたとのこと。
(だからあなたも、万全を期して就学相談臨んで)
このようなことを仰る方がいる一方で、特別支援学校を選ぶ方が、施設の設備も整っているし、教員の数も多いし、小学校生活で様々な配慮が必要なあなたの子どものためではないのかと仰る方もいた。
しかし、どなたが何をどのように言おうが、地域性の違い有りスギ、個別性高スギの『障害児・医療的ケア児進学問題』においてそれぞれの最適解は、その子の親が導き出すしかない。何が一番うちの子にとってベストか、どれが正解か。
選ばれたのは、公立小学校の特別支援学級でした(綾鷹風)。
しかし夏まで学校看護師は配置されず、殆どの時間を普通級でお友達と過ごすのはいいけれどクラス人数は上限いっぱいの35人、人口過密の教室で娘さんは何度かお友達とぶつかってこけて泣いた、ついでに私は灼熱のプールサイドで夏の陽射しに焼かれている。40半ば過ぎの女を紫外線の下に1時間以上置くということが、どういう類の拷問であるかをどうか想像してみてみんなたち。
1学期の間、本当にこれで良かったのか、たまたま体調が安定している時期に1年生になれたが故に看護師配置が遅れて、その上「ほぼ普通級で過ごす」がデフォルトであると後から知ったこの環境で、本当に娘さんは楽しく小学校生活を送れるのかということを考え続けた。実のところ途中で転校することも考えた。
けれど7月の終業式の日、普通級の担任の先生から成績表を頂いた際、私は先生からこんなひとことを貰った。
「体育の成績なんですけれど、娘ちゃんのように運動制限があって見学が多い場合『評価がつけられない』ということで評価なしになることもあるんですが、娘ちゃんは、プールの授業に休まず参加して頑張っていたので、今回はきちんと評価しています」
そうか、評価自体できへんてことがあるのやと今更(超今更)思い至って開いた成績表の体育の欄には体育の、技能とか思考とか主体性、3つからなる項目のすべてに
よくできる。
という評価がついていた。
小学1年生の一番最初の成績表なんて「よくできる」「できる」の2択であって、大体が「よくできる」なのは私も重々承知しているのだけれど、それでもとても嬉しかった。マラソンも短距離走も厳しいし、夏の暑さにも冬の寒さにも弱い、おおよそ体育と相性の悪いこの人には、もしかしたらこれが人生で一番いい体育の成績かもしれない。
今は、これで間違っていないのだ。
そう思って、私と娘さんはこのまま2学期に向おうと今のところ思っている。しかし、灼熱のプールサイドで1時間超、ただ棒立ちでいるのは辛かったしきつかった。きつかったんだよ教育委員会の人。
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