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そうめんの終わり、夏の終わり。

結構ヒサンだった。

夏のことだ。今年の夏はきっと長いぞと覚悟して始まった夏はほんとに長いし終わらないし、緊急事態宣言なんて言葉がもう繰り返されすぎて奇妙な流行語のようにさえ聞こえるようになってしまった世界では気晴らしに遠出して琵琶湖の北のさいはてのうんと透明な水の中に飛び込む訳にもいかず、子ども3人と毎日せまくて四角い家の中、けっこうツラいと言うかキツイと言うか酷くゆううつだった。もちろん地球がいままで通り23.4度、傾きながら自転しつつ太陽のまわりを公転してくれているのなら時間がたてばちゃんと季節は移り変わるし、今もようやく季節が夏の空気と秋の空気を交互に入れ替えながら静かに秋に入れ替わろうとしているその途中なのだけど。

わたしの記憶がどこかに飛んだり、ほかの誰かの記憶なんかと混同されていなければ、今年の夏の始まりはいつもより少し遅くて、あ、今年はもしかしたら夏の暑さだけは緩やかにしとやかに慎ましやかにやって来て去ってくれるのかなと期待していたら、昨今ひとの世界にすっかり厳しい神様がそうわたし達に甘い訳はなくて、8月は551の豚まんを蒸してるあのせいろの中におるんかいなと思えるような熱気がわたしの住んでいる街をすっぽりと覆い、そうかと思えば地獄の窯開くお盆の時期には止むことのない雨が、そういうのを霖雨というらしいけれど、そんな雨の肌寒ささえ感じるおかしな気候が続いて、そんなことだから「チョットソコマデ」のお散歩に出かけることもできずに恨めしそうに窓の外の雨を眺める娘を、劇的な成長と発達のたいせつな時間の中にいるはずの3歳児を見ていると母親の母親らしい杞憂が終始ポッと頭にホップアップしてちょっと困った。

「こんな、プールの底から見上げる空の色も知らず、セミの抜け殻を探して汗をかきかき公園の中を歩きまわることもなく夏をただやりすごして、本当なら3歳のいま無条件に享受できるはずの善いものをひとつも得ないまま、このひとは先々何かが欠けた人間に育たないだろうか」

しかして3歳はそんな母親の杞憂なんかひとつも気にしていないようで、毎日、ちょっと母親のわたしが目を離している隙に兄と姉の部屋にぽこぽこと、もしくはたかたかと駆け込んでは、シールや折り紙や色とりどりのペンがしまってある姉の机の抽斗から引っ張り出したお絵描きペンのフタをかたっぱしからあけてお絵描きに興じていて、最近はきれいにマルを書いたり、ひとつの空間をすきまなくひとつの色で塗りつぶすことができるようになった。わたしは幼児がひとの顔とか猫とか犬とかそういう何かを写実的に描くことができるようになるまでの過程で発生する、あたまから手足の生えたおたまじゃくし人間みたいなものがとても好きなのだけど、そこに至る迄きっとあともうすこし。

本来ひとの左側にあるはずの心臓を右側にかくんと傾けて生きている娘がどんな場所でも、例えば病院でも、軟禁状態の自宅でも、若木が枝葉をするするとのばすみたいにしてできることを増やして命のそのままに育つのがうれしくはあるけれど問題はその絵画のキャンバスになっているのが姉の机だということ。数年前に鶴浜のIKEAで買って必死で組み立てた学習机の白い天板がある時はまむらさきで、あるときはどピンク。何度言ってもどう説明してもしまいにはお化けがくるよと脅しても、ひとの生き死にの砦であるところの大学病院のICUに定期的にお泊りしていたこの娘がお化けの脅しなんかに屈する訳はなく、親と兄と姉の目を盗んでは隠してあるペンをどこからか持ち出して天板をものすごくアーティスティックななにかに仕上げてくれた。

いったい3歳ってこんな生き物だっただろうか、もう親の言う事をきかないことに命を賭している気すらする。これまで何度か死にかけているんだからもう少し命自体を大切にしてくれないだろうか。でもだれも娘を止められないし、その間だけは静かにしていてくれる事実を思うと正直あまり止める気がおきないのもまた事実だ。わたしは指の先に何かをつけるのが苦手で普段ネイルとかそういうのを全くしない人間なのだけれど、この夏はとうとう新しいエナメルリムーバーをひとつ買った。可哀相に本来ならサクラガイみたいにきれいで可憐なだれかの小さな爪のネイルを拭きとるために生まれて来たはずのエナメルリムーバーはうちではひたすら娘のいたずら書きを消し去るための掃除道具として使われている。

神は、ときにエナメルリムーバーの運命にすら厳しい。

その机の天板アーティストの3歳の尻を追いかけては、化粧品から掃除道具に運命を違えたエナメルリムーバーを使ってマジックのいたずら書きを消してばかりだった夏、これは例年通りの事だけれど実家から『清流素麺』と書かれている素麺の巨大な箱が届いた。それは5人いる孫への愛を常に表面張力させている孫愛過多の実家の母が「孫が夏休みで毎日家にいると昼ご飯にこまるやろうから」と毎年大阪のウチと、神戸の弟の家、双方に送ってくれているもので、うちは麺類を際限なく食べる子である真ん中の娘がいるからとても助かるけど、母とは嫁姑の関係になる義妹はどう思っているのか、それは聞いたことが無い。なにしろ小姑1人で鬼千匹らしいお嫁さん業界、うちには姉もいるから単純計算二千匹ということになるし、何となくオニは沈黙を貫き生きた非武装地帯であることこそが平和への道と思って弟が結婚して早10年、わたしは「あなたのお姉さんてなんかかわったひとだよね」という事になっているらしい。そうやって人間関係を先回りしてどんどんひとと疎遠になってしまう癖は、なんかもう生涯治らない気がする。こと人間関係においては、ひどい近眼なのに眼鏡をかけずに人通りの多い往来を歩けと言われているみたいに、他人との距離を上手く目測できないことがほんとうに多い、実際ひどい近眼だし。

で、その富山から送られてくる素麺というのがちょっと変わっていて、三輪素麺とか揖保乃糸とかの普通の棒状の素麺とはぜんぜん違う、結構な長さの素麺をぎゅっと握ったような、源氏パイみたいに層をなしたハートの形をしているもので、わたしはこれを見るといつもうちの本棚にある『こどもの心臓病と手術』という水色の本の挿絵のクマが話している「心臓はハートの形をしていないよ!」という

「いや、そんなことくらいわかるやろ普通」

これは絶対突っ込みまちのボケなんやろなという文言を思い出す。そしてこのハートの素麺はわたしが殆ど料理をしたことのなかったハタチの頃、当時借りていた6畳の部屋にとりあえずガスレンジをひとつつけましたよという「ただの給湯室」みたいな簡素でこ狭いキッチンで腕組みして3秒だけ考え、まあ熱湯で茹でればいいんやろとホイと沸騰しているお湯に放り込んだら、ゆで上がったそれが長すぎて、とりあえず汁につけてすすり込んだもののいつまでも果て無く長く、かと言ってかみ切るのもコシがあって、口腔一杯素麺我窒息必須という状態になったことのあるライトな凶器で。でもそれってなんだか変だなあと思って袋の裏の説明を読んだら「適当な長さに二・三等分に割ります」と書いてあって割って茹でるものだった。

説明書を読まないひとはときに危険な目にあうという教訓を得て、そしてそれはいまだに身についていないけど、とにかく今はちゃんと麺はふたつに叩き割って普通に汁につけて素麺として食べたり、ナスと甘めのお出汁とくたくたに煮てナス素麺にしたり、野菜と豚バラとそれから冷凍の海老なんかと炒めてチャンプルーにしたり、あとは素麺に「おまえの名前は今日からカッペリーニ」と言い聞かせてからトマトソースと和えたりして食べた。丁度ベランダにはこの夏3歳が毎日なみなみとジョウロで水を与え続けた結果バジルが大きく育っていてそれが結構役に立った。なにしろ毎日食卓につく人間が自分を除いて子どもが3人、おとなが1人、ウケる料理とウケない料理がバラバラで、そもそも俺は素麺があんまり好きじゃないんやけどとかそういう根本から問題を覆す輩まであらわれるし、それなら君の好きなカルボナーラを素麺で作ってあげようかと言ったらべつにええわと何だかむっつりされるしで、この夏、うちの中学生は難しさが3段階くらいレベルアップした。きっとこの男の子には人生で一番おとなにイライラする季節がやってきたんだ。

そうして土曜日の今日、昼食に最後に2袋残った素麺を茹でた。

最後のハートを叩き割って熱湯に放り込み、7月に母から送られてきた素麺の大箱はきれいにカラになった。ベランダに出しっぱなしにしていたビニールプールは空気が抜かれてだいたいのことが大雑把な私の手でくるくる巻かれて物置にホイとしまい込まれたし、夏中ずっと強い日差しの中でもりもり緑の葉を茂らせていたバジルは花が咲いて枯れ、3歳がずっと休んでいた幼稚園もやっとまずはこの子の体の具合と幼稚園のつごう、双方を見ながら少しずつ始まって、またツールドフランスみたいに幼稚園の坂を娘を乗せた自転車で往復する毎日が始まってハイ、夏はおしまい。地球は規則正しく自転しながら太陽の周りを公転していてその傾きは23.4度。

さあ、世界はちゃんと10月になった。


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きなこ
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