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聖人も天才も普通に困る

昔、白泉社の『花とゆめ』と言う少女漫画雑誌に『ぼくの地球を守って』という漫画が連載されていてとても人気がありました。ご記憶にある方はきっと私と同じ歳くらい。連載期間は1986年から1994年で、今から30年近く前の話です。

物語は7人の男女が現代の日本と、彼らの前世の記憶の中にある地球外の惑星の世界を交互に謎解きのようにして進んでいくファンタジーで、それは時空を超えた恋の物語でもあり、全21巻、続編も連載された壮大な大河ドラマのような長編漫画でした。

その主人公らの前世の世界である惑星にはごくまれに、額に赤い4枚の花弁のしるしを持った赤ん坊が生まれるのですけれど、それは動植物と交感できる能力を有した特別な存在で、出生数がごく少なく希少であること、神聖であること、超能力に似た特殊な能力のあること、それらを理由に幼少期に国家に召し上げられ、ひとところに集められて大切に保護されて暮し、その子を世に生み出した両親には年金も与えられる、そういう設定がありました。ネパールの生きた女神・クマリによく似た存在である彼らは生涯を未婚のまま、処女と童貞として暮らします。でなければその特別な力を額の印ごときれいに失う、それ故の男女を別々に隔離した特殊な成育環境、当時まだ小学生から中学生だった私はその不思議な設定を

「へー」

としか思っていなかった。絵柄の緻密で美しいお伽噺のような少女漫画に『前世』『転生』という宗教的用語が定着したのはこの作品の存在がとても大きくて、子どもだった私にはそちらのインパクトの方がずっと強かったものだから。

でも、子持ちの中年になった今思うのは、「無作為に偶発的に特殊能力を有して生まれたが為に特別な存在になり特殊な環境下で生涯を過ごすことになった子ども達が果たして幸福であったのか」ということ。額に4枚の花弁の印を刻印されて生まれ、常人は有さない特別な力を持つ彼らがそれゆえに社会と一線を画して生きることは果たして幸福であったのか否か。

異星人である彼らの特別な能力は『神聖な力』だったのだけれど、これは現在におきかえてみると、障害のある人のあり方によく似ているなと思ったり。

例えば、私はあまり好きな言葉ではないのだけれど『gifted』と呼ばれる子ども達は果たして幸福なのだろうか、それがよく言われる界隈で、自分や自分の子どもが自閉だとか多動そういう障害というのか傾向があるんですと人に語る時、相手から慰めのような励ましのような意味で

「でも恵まれている部分もあるのでしょう、凄く頭がいいとか」

という言葉をかけられることがある。でも実際それはとても稀有なことで、大体のそれに該当する人々は特別な能力に恵まれることなく世界に対して自分が「そぐわない」ことから生まれる生きづらさに普通に困っている。

でもその中にあってごく希少な存在である彼らもまた、知能その他、ひとつの能力だけが他を突き抜けて高いことでむしろより生きづらい立場に追い込まれているということはないのかな。それ以外のことではひとつも世界と調和を図れずただおろおろと困り続けているのに、その点ばかりが強調されることに一層の孤独を感じたり息苦しさを感じることはないのだろうか。私は平均値というものからはるか下にあることも上にあることもいちいち苦しい現世の今の世界のことを考える時、昔夢中になって読んだ漫画の世界で特別な運命に選ばれた子ども達のことを、ふと思い出したりします。

それを思いながら書いたショートショート。これは勿論空想の世界の完全なるフィクションなのですけれど『人とは違う・普通と違う』を生きることは、そこにある世界の「良かれと思って」に斬られながら生きることだなと思ったりするのです。


『いくたびかうまれかわって鯨になってめぐりあう』


「急に雨が降って来たんだけど、今日はピアノの日でしょ、急ぎで迎えにきくれない?」

そんなことを頼んだ時、普通なら傘を持って、雨の具合によってはレインコートを着て、何なら長靴も履いて来るものだろうけど、私の姉のような存在で本来は母の14歳年下の妹、つまり私とは年の近い叔母である糸子さんはその点が全く違った。

「急いで来てというので急いで来ました」

と言って傘も持たずに家から全速力で走ってくる。長い髪にいくつも水晶の粒のように付着した雨粒がきらきらとしてその日着ていた白いコットンのワンピースがしっとりと雨に濡れて肩と膝に張り付き少し透けている姿は北海に泳ぐクリオネのよう。その上糸子さんは靴を履いていなかった。

「なんで裸足なの…」

糸子さんは靴も履かずに駅までやってきて、取り急ぎ帰りましょうと私の手を引っ張るので私は呆れてため息と一緒にそう聞いた。いくらそれが夏の夕立で冷たい雨ではないとはいえ、靴も履かずにアスファルトの上を走るなんて、もしそこに釘とかガラスの欠片とかそういうものが落ちていて踏んだら怪我をするじゃないの

「急いで迎えに来いと言うので、縁側から出ました、そうしたらそこに靴が無かったものですから」

「だからって…傘もささないで、すっかり濡れちゃってるじゃない」

「雨の中を走って来たのだから、それは濡れます」

糸子さんはまるで自分が元々水中の生き物のであるかのように平然とした顔をしていた。糸子さんは相手が誰でもどんな時でもこの調子なもので、学生時代は珍獣のような扱いだったし、社会人になってからは地元の小さな建設会社の事務も、近所のコンビニのアルバイトもスーパーの冷凍庫の整理係も仕事がひとつも続かず、結局私が中学生の頃

「糸子はうちの仕事を手伝ったら?」

そう祖母から言われて、祖母のやっている小さな店を手伝っていた。手作りのおはぎといなり寿司を売る町の和菓子屋だ。糸子さんはおはぎを作るのにも油揚げを煮るのにも0.1g単位で計量に拘るのでとても時間がかかった。でも仕事は丁寧で味は祖母の作ったものとまるで同じだったし、店に来るのは近所の、糸子さんをよく知る人達ばかりなので少しくらい待たせても「まあ仕方ないか」と、誰も怒らなかった。

それ以外の時間、糸子さんは私と祖母と糸子さんの暮している家の2階で、そこにある膨大な量の書籍を読むことを楽しみにして暮らしていた。電話帳も、広辞苑も、六法全書も、家庭の医学も、読んだそばからすべて記憶していく。一番好きなのは海洋生物辞典、糸子さんは海の生き物がとても好きで、その中でもとりわけ鯨が好きだった。

ともかく糸子さんはとても頭の良い人で、特に記憶力については人間離れした能力の持ち主だったけれどその反面、突然の夕立の午後に姪から「急いで迎えに来てほしい」と言われると豪雨の中傘も持たずに裸足で駅まで来てしまう人でもあった。

糸子さんが子どもの頃、糸子さんのやることなすことがあまりにも奇妙で周囲を混乱させてしまう上に、会話というものが成り立たないもので、そういう諸々を心配した祖母は大学病院で糸子さんの脳を調べてもらったことがあった。その時に医師から

「コミュニケーション能力に問題はありますが非常に高い知性の持ち主です。こういうお子さんだけを集めた研究機関があるのでそこに預けてみては?素晴らしい計画なんですよ、この子のように問題児として小さな教室に閉じ込められていた子どもが国家の頭脳になる」

糸子さんのような子どもばかりを集めて教育する国立の機関があるのでそこに任せてみるのはどうかという提案があったらしい、でもそれは断ったのだそうだ。

「どうして」

私は聞いた、確かに糸子さんは時折理解不能だけど天才的に記憶力が良くて百科事典が歩いているみたいな人だし、そういう場所で特別な教育を受けていたらホーキング博士とかアインシュタインみたいな、天才って呼ばれるような、特別な人間になれたんじゃないの。でも祖母の言い分はこうだった。

「糸子のような子は皆それぞれ得意なこと苦手なこと出来ないことが全然違うのよ。だからテストを受けて合格したからって、その子達をひとところに集めて国家に貢献できる人間にしますなんて難しいんじゃないかなって思ったの。何より糸子はそんなところに行っても楽しくないだろうなって。おばあちゃんが望んでいるのは糸子が特別な天才になることじゃなくて、この家で糸子とあなたとおばあちゃん、3人で静かに、平凡に暮すことなの」

私が両親を不慮の事故で亡くして祖母の家に引き取られた頃、糸子さんのように他者との意思疎通方法だとか行動様式が普通とは違う、一般社会にうまく溶け込めない子ども達の中でも高い知能を持つ子ども達を家庭から引き離し、集団で生活させ教育することを可能にする法律ができて、高い知能を持った、しかしあまり普通に馴染めない子ども達が全国から白くて清潔な研究所に集められることになった。生活も教育もそれに関わる費用の一切は無料、その上入所試験のスコアが一定以上の評価であった子どもの保護者には所得制限なしで『特殊能力児童出生手当金』が支払われる。

たちまち全国から天才的な頭脳の『問題児』達が集まった。

でも、祖母はそこに糸子さんを送らなかった。

糸子さんそのまま、普通の学校で毎日すっかり理解して丸暗記してしまっている授業を聞くふりをしながら窓の外に見える雲の形にザトウクジラの姿を思い描いて過ごし、学校を卒業してから、一度は就職したものの、結局は祖母の隣でこつこつとおはぎと作って暮らしている。

「糸子さんは退屈じゃない?毎日毎日、おはぎといなり寿司ばっかり作るの」

「そんなことはありません。油揚げも、小豆も毎日同じ姿で同じ表情をしてくれますから。変わらないことは安心です」

糸子さんが祖母のお店で毎日おはぎの重量0.1g単位の計量と陳列の方向の一定性に拘りながら暮らしている間に私は中学生になり高校生になり大学生になった。

そうして私が大学2年生の冬、全国的にちらちらと小雪の降ったクリスマスイブの夜こと。昔糸子さんが入所を勧められたあの研究所に暮している「一般社会に溶け込むことのできなかった天才児と元天才児」はひとり残らず死んでしまった。

夜半に降った雪が朝のひかりにきれいに溶けてなくなるようにして。

それは事故でも事件でもない、彼ら全員の意思による選択的な死だった。糸子さんが中学生だった頃に開設された天才のための施設は、いつか祖母の言っていた通り入所者の『著しく知能が高い』という共通点の他はそれぞれの子ども達の特性が著しく違っていて、それが予想を遥かに超えていたために現場は酷く混乱し、慣れない環境に置かれた子ども達はある者は暴れ、ある者は泣き、結局そこは天才の育成施設ではなくききわけのない子どもを集めた保育園のような場所になった。そうして特に何の成果も上げられないまま数十年が過ぎ、予算は年々削減され、次年度の閉所が決まっていた。

施設の所長はクリスマスイブの朝の訓示で、来年の春に施設が閉鎖されここにいる全員はどこか適当な勤め先を見つけ社会に出るか家族のもとに帰されるのだと入所者に伝えた、その時

「我々の理想は現実の前に敗北しました。すべてリセットします」

また一から始めようと、そう言った。この計画は失敗だったのだと。

知的に大変高い能力を持っていることが共通点である入所者の彼らは、ひとりひとり違う人間なので特性も性格も好きなもの嫌いなものも当然違うのだけれど、高い知能意外にもうひとつだけ共通した傾向を持っていた。

『言われた言葉を言葉通りに受け取る』

糸子さんが雨の中を傘もささずに私を迎えに来たように、施設長の「リセットします」という言葉をそのまま言葉通りに取った彼らは、北の空からきらきらとした橇に乗りサンタクロースのやってくる日の晩、その日のうちに外部から手に入れた薬を使い自らの存在そのものをリセットしたのだった。

私達は失敗でした』

それが彼らが最後に遺した言葉だった。クリスマスの日、お店の小さな厨房の中で糸子さんはそのニュースを聞いて、そしておはぎを計量をする手をぴたりと止めてこう言った。

「もし、来世があるのなら、次は私も彼らも鯨に生まれてくると良いと思います」

「どうして」

私は聞いた、糸子さんが鯨をとても好きなことは知っていたけれど。

「鯨は賢い生き物ですが、広い海を泳ぎ生きて死ぬだけで、誰からも期待されないし失望もされません」

糸子さんはいつも通りあまり表情の無い表情で今度はお鍋の様子を見ていた。でもそのすこし丸まった背中や、首をかしげる様子が酷く寂しそうに見えたので私は

「そんなこと言わないでよ」

そう言った。糸子さんは珍しく私の言葉に何も答えてはくれなかった。

ショートショート 本人創作

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きなこ
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