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短編小説:銭湯スプートニク(短編集・詩を書く6)

街じゅうののら犬のせた観覧車あおいお空をしずかにめぐる

穂村弘「シンジケート」より

私と9つ年の離れた兄のタカハルはとても変わった人だった。

『兄』と言っても、そもそも仲村孝治という人間が私の兄であるという法律的な根拠も生物学的証拠を示す情報も、今の私の手元にはなにひとつ存在しない。ただ兄が初めて出会ったその日、私の顔を見てまるで生まれたての赤ん坊を見る父親のような恥ずかしそうな、そしてとても嬉しそうな顔をして微笑んで

「俺な、君の兄ちゃんなんや」

と言ったのを私がその場で何の根拠も証拠もないのに信じた。

それだけ。

兄と私が初めて互いに顔を合わせたのは私が14歳の時で兄が23歳の時のことだ。それまで私はこの世に自分の兄弟があることなんかひとつも知らないひとりっ子として、都心から少し離れた大きな基地のある街で母と2人、それは裕福とは反対の暮らしぶりで、時々電気が止まってしまったり、給食費を滞納して担任教師にちょっと気の毒そうな顔をされたりしながら、でもそれなりに楽しく暮らしていた。

母は、戦闘機の轟音の時折ひびく街の駅の裏手で、一度廃業した古いスナックを借りて、それと同じようなお店を経営していた。どこにあっても添え物のカスミソウのような印象を人に与えてしまう私と違って真夏の向日葵のように明るい、ぱあっと派手な見た目と性格だった母は、その年齢よりもうんと若く見える、そしてうんと華やかな外見のせいもあって、年に何回か母に入れあげたお客さんにつきまとわれて嫌な思いをすることがあった。

お陰で私は、愛とか恋とかそういうものは支配欲と紙一重、というよりはそれそのものだったりするというのを、結構若い内から知ることになってしまった。

そういう人は大抵母よりやや年上の男の人だったけれど、皆、最初のうちは誕生日でも記念日でもない日の母に脈絡なく小さくてきれいなバッグだとか小さな宝石の幾つもはめ込まれた時計とか、そういう高価な贈り物をしてくる。それが時折のことであればまだいいのだけれど、あんまりたびたびだと母もいい加減うんざりして

「そういうの、もういいから」

なんて言ってそれを受け取らなかったり、相手の思うような態度をとらなくなる。そうやって母が相手の思い通りにならなくなると、今度は最初のころの態度を一変させて動物の死骸だとか腐った果物だとか一体誰のものだかわからない糞尿の類をお店や自宅に送りつけてくるようになるのが定石というのか常で、この手のひらの返しように私も最初は戦慄したけれど、そういうのがあんまりにも続くと、恐ろしいとか気持ち悪いを通り越してなんだかひどく辟易するようになった。

(男と女というのは、恋というのは、なんて面倒なことだろう)

その時も母は、隣町に昔からある不動産屋の跡取りだとかいう無口な男に3ヶ月程しつこくつきまとわれていた。男ははじめ、お店の方に毎日開店してから閉店まで、まるで死んで尚その土地に縛られている地縛霊のようにカウンター席の隅でじっとりとした目線を母に送り続けていた。そうなると店の雰囲気は酷く悪くなるし、ただ夜にお酒を飲みに来ているだけの他のお客さんもなんだか気味が悪いと言ってお店から足が遠のいてしまう。そうでなくとも母のお店はいつも満員御礼の大繁盛ということの少ないごく小さな商いなもので商売あがったりだ、それで母はその男にお店への出入り禁止を言い渡した、そうしたら男は今度、私と母の暮らす古いアパートの周辺をうろつくようになってしまった。それで

「ちょっともう、いいかげんにしてよ、気持ち悪い」

母が電信柱のかげにそっと隠れるようにして母の帰りを待ち伏せしていた男のに直接そう言った日の3日後、男はお店を閉めて帰宅する母を夜道で待ち伏せし、母のことをまるで鶏むね肉でも切るようにして果物ナイフでめった刺しにして殺した。

私が中学3年生になってすぐの、春休みの最後の日のことだ。人影のすっかり消えた深夜の桜並木の道の上で15か所を刺され目を見開いたまま倒れていた母の死因は刺傷による失血死だった。母の事件を担当した刑事さんがひどく気の毒そうな顔で、花冷えの晩に桜の花弁に埋もれた躯は、かろうじて首から下についてはとても美しい状態であることを教えてくれた。

「その…ご遺体の…お母さんのお顔は、とてもキレイだからな」

突然こんなことになって辛いだろうが、気をしっかりもて。そう言って眉間に深い皺のある初老の刑事さんは私を励ましてくれた。

母は生前からとても美しい人で、だからこんなことになってしまった。

肌は透けるように白く、光に透かすと栗色に光る髪色の、目鼻立ちのはっきりとした面立ち、確か私の祖父にあたる人がアメリカ人だったとか言っていたかもしれない。母は元々の生まれがあの基地のある街だったし、そういうことはそこではそんなに珍しい事ではない、でもそれは小さな頃に少しだけ聞いた話で詳しいことは忘れてしまった。

兄が私の家にやって来たのは、その事件の丁度1ヶ月後のことだった。

この世で唯一の保護者であった母を亡くした私は、周囲の大人の、というよりも警察の方々の力を借りて何とか母を焼いて白い骨にして自宅に連れて帰ることはできたものの、このあと自分は一体どうするべきかどうやって生きて行けばよいのか分からず途方に暮れていた。

普通ならこういう時、誰かしら近しい大人が手を差し伸べてくれるものなのかもしれないのだけれど、何しろ私の育った家は母子家庭で、母自身も母子家庭育ちで、その母の母も既に彼岸の人で兄弟はひとりもいない。人間は単性生殖の生き物ではないはずだから私の父親という人が世界のどこかに存在はしているのだろうけれどもその人を頼ろうにも私は完全なる非嫡出子で、むかし母親に父のことを「一体どんな人なの?」と聞いたこともあったけれどその時の母と言えば

「アンタのパパはねー…ホンット最低で最悪なヤツだった!」

そう言ってから苦虫を100匹くらい噛み潰したような表情をして

「気分悪くなるからそんな話はしないでよ、アンタってそういうとこ気が利かないっていうか優しくないっていうかさあ、別にいいじゃん、パパならそのうちまたどっかから調達してきてあげるから」

なんてタバコをふかして膨れた。それだから私は父が一体どこのだれで何をしている人物なのかひとつも聞きだせたことがなくて詳細は一切不明だった。母は36歳で死ぬまで、もしもの時のために実の父親の居所を娘の私に教えておこうとか、自分に万が一のことがあった時に1人娘の私が頼ることのできる人間の連絡先を教えておこうとか、そういう備えをひとつもしていなかった。それどころかお店の営業資金にあまりまともでない所から借りたお金の手形が更にろくでもない所に渡って大変な額に膨れ上がっているとか、個人的に借りたままになっているお金が方々に存在していて一体それが総額いくらなのかも分からないとか、そういうことが死後数日でいくつも出て来て私は頭を抱えた。母はとても楽天的な、その日暮らしが身上の人て、それは良いところでもあったのだけれど、死後、遺した色々なほつれ目は中学生の私にはどうにもしようもないことばかりで、母が死んだ1週間後には大変にわかりやすくやくざであろう人々が私の暮らす小さなアパートの錆びた玄関扉を割れんばかりに叩くようになった。

「お嬢ちゃーん、ちょっと出てきて?おっちゃんとハナシしよっか?」

小学生の女の子のように、どこかひどく幼く夢見がちでふわふわとしたところのあった母のお陰で通常の人間の倍の早さで大人になった私にも、それだから掃除とか洗濯だとか料理とか自分でブラジャーを買うとか、母の消し忘れたタバコを片付けるとか、そういうことをひとりでちゃんとできていた私にも、さすがにこれはどうすることもできなかった。

(扉の外に出たら最後、やくざのおじさんに捕まってショージョバイシュン組織に売り飛ばされてしまうのかもしれない、それか殺されてバラされてヤミの臓器売買のブローカーに売られるとか)

母が仕事で留守にしている時間、やくざと刑事と公安の出てくる類のドラマと映画ばかり見て育ったために、真剣に本気でそう思っていた私は誰が訊ねて来ても、世界の何もかもが信用できなくて玄関のチェーンと鍵を開けるということができなかった。

そうなると既に1学期の始まっているはずの学校に登校することもできず、多分私が待てど暮らせど登校しないということで学校の方から母の携帯の番号に連絡くらいはあったのだろうけれど、母はどうやら携帯電話料金を支払うための通帳に殆どお金を遺していなかったらしい。電話は既に『お客様のご都合でおつなぎできない』状態になっていて、私が外界と連絡を取る手段は完全に断たれていた。

この時の私は小さな宇宙船に乗せられて、否応なしに宇宙空間に放り出された可哀想な犬のようなものだった。

母のお店はおかしな所からあまりまともでない金利の借金をするような経営状態だったし、携帯電話は止められて、当然家にお金と名のつくものは殆ど残っていなかった。母を警察署から連れて帰った1週間後にまずは電気が止まり、そうして次はガスなのかな、確か最後の止まるのは水道だったはずなんてことをぼんやりと考えながら懐中電灯の明かりを頼みに母の財布に残るわずかな現金を数えていた。

(ここで死ぬのか…)

それは満月の晩のことで、たったひとりの母親を思いもよらない事件で亡くしたことや、毎日やってくる恐ろしい形相のおじさん達に心のすっかり摩耗していた私は、もうここで死ぬのだと思い、押し入れの中で静かに横たわっていた。そんな時、兄とトモさんはまるで月からの使者のようにして私を迎えに来てくれたのだ。ただその時の兄というのが

「オーイ、ここあけてくれ~兄ちゃんが迎えに来たぞぉ~」

自分の素性も名前も言わずただ玄関扉をドンドンと叩く関西弁の男だったもので、これまで大体は日のあるうちに来ていた借金取りが今度は夜間の取り立て要員として若いのを寄越して来たのかと思った私は震えた。

(とうとう24時間体制で借金取りが夜間取り立てのチンピラも動員するようになった…)

ひとつしか出入り口のないアパートは玄関扉を塞がれてしまうと、あとは窓からしか逃げることができない、折悪しくうちは2階だった。それでこちらの気配を気取られないよう、扉を叩く男の膝のあたりにある新聞受けの隙間からそっと外の様子を覗くと、扉を叩いている作業着で背の高いその男の背後にもうひとり、その男よりは幾分か小柄で痩せた別の男が立っていた。関西弁の男の背後の男は少し考えるような仕草をしてから、新聞受けの隙間から用心深い野良猫のように外の様子を伺っていた私の目線にしゃがみ込むと、暗闇の室内から外廊下の灯りに目を眇めている私と目を合わせた。その眼鏡の奥にあったのは丁度その頃の穏やかな春の闇のような深い藍色だった。

あ、この人、悪い人じゃない。

「あの…こ、こんばんは」

「こんばんは、あのね、ここ、開けてくれるかな」

大丈夫、僕らは悪い大人じゃないよ。トモさんがそう言った言葉を、私は天から静かに降りて来た細い蜘蛛の糸だと直感して玄関の錠をかちんと開けてそれを掴んだ。そうすると扉の前に仁王立ちになっていた私の兄だと名乗る汚い作業着に白いタオルを頭に巻いた男は、春の闇色の瞳の人とはまた違う、夏の青空のような頼もしい笑顔で

「ひとりでよう頑張ったな、もう大丈夫やから」

そう言って笑って、私の頭を撫でくり回した。一方の春の夜の男は仕立ての良いうんと上品な紺色のジャケットに白いボタンダウンのシャツを着てそして上品な仕草で眼鏡のブリッジを人差し指で押しながら

「大変だったね、近所の人からこの部屋に怖い人が沢山来てたって聞いたよ、とりあえずここから一度出よう、ね」

あとのことは僕らがしておくからと、そう言った。東京にはとても珍しく月がくっきりとした人影を道の上に描く晩、兄と名乗る人が乗ってきたあちこちのへこんだ白いハイエースにとりあえず数日暮らせるだけの身の回りの荷物と教科書と母の骨、それから私自身を積んで、2人は私を独りぼっちの宇宙船から連れ出してくれた。

兄のタカハルは初対面のその日からちょっと変わった人に見えたけれど、一件とても理知的な大人に見えたトモさんもまた、実はちょっと変わった人だった。

兄と私のことを迎えに来てくれた日、仕立ての良い濃紺のジャケットに綺麗に磨かれた革靴を履いてシルバーの細いフレームの眼鏡をかけていた笑顔のうんと優しい男は自分のことを

「トモさんでいいよ」

と名乗り、兄の乗って来た兄の仕事用の薬品だとかブラシとか巨大なバケツとかそういうものの積まれた車の中、私を知って迎えに来た簡単ないきさつを話してくれた。

私を「妹だ」と断言していた割に、私が本当に兄と名乗るその人の妹であるという証拠はひとつもなかった。大体名前も全く違う。私が里田倫子で、兄が仲村孝治。名前にも何の関係性が見いだせない、どこから見ても赤の他人だ。

私と同じで母子家庭に育ったこの兄もまた、16歳で突然母親を亡くしたのらしい。それで私と同じようにお金もなければ行き場もないという身の上になった時に、兄の場合はどうやら東京にいるらしいと聞いていた父親の居所を周囲の人たちが手を尽くして探してくれて、その時それの副産物として私の存在を知ったのだということだった。父は私達が生まれる以前からきちんとした自分の家庭のある人で、それなのに方々に子どもを拵えては放置して『なかったこと』にするというちょっと困った素行の人物であったらしい。それでも兄は一度父に会いに行ったらしい、それで「こんな奴は知らん」と言われ

「もうええわ」

と思って以来全く兄は父とは一切連絡を取っていない。そして当時、自分と全く同じ立場にある妹の存在を知ったものの、その頃の私は母親と暮らしていたし、兄もその時は16歳で独りぼっちになって世界に放り出され、妹どころではなかった。だから兄は妹の存在を知りつつも「いつか会う日があったら」と、その程度に思っていたのだった。

そしてそれから数年後、兄は私の母がちょっと夕方のニュースで物騒な都会の事件の気の毒な被害者として報道されるような死に方をしたことで、妹が1人ぼっちになってしまったことをたまたま知った。

「でも、あの…お母さん…私の母が、その父であるらしい人と同時期に他の人と付き合っていて、実は別の人の子どもでしたとか、そういうことだったらどうするんですか、無いことじゃないと思うんです、母はすごい美人で、仕事柄男の人に超絶もてたっていうか、そこにいるだけで勝手に寄って来ちゃうっていうか、それであんな死に方をしちゃったぐらいで」

私は不安になって、月夜の晩、ハンドルを握る兄とその横で地図を見ながら道案内をしているトモさんに背後から尋ねた。兄の「俺が君の兄ちゃんや」という言葉は知り合いがそういうことを言っていた程度のことらしい、となればそれが全くの見込み違いの間違いということだってあり得ない話じゃない。そうだとしたら私はまたあのやくざのやってくるアパートに逆戻りなのかと。そうしたらトモさんがゆっくりと振り返って、後部座席の私にこう言った。

「それは心配ないよ、だって君とタカハルは鼻の形がそっくりだもの、それと爪の形。不思議だねえ、こういうことが無ければ一生会えなかったかもしれない2人なのに。だから倫子ちゃんが嫌でなければ一緒に行こう、僕らの今住んでいる家は古くてちょっと変わってるんだけど広いし、今は部屋も余ってる。学校もそこから通うといいよ」

「…いいの?」

「当然や。これからは俺の家で暮らしてそこから中学も高校かて行け、勉強したいて言うなら大学にかて行け、金なんか兄ちゃんがいくらでも出したる、大体今倫子は今、そうとう可哀想な身の上なんやぞ、もっと我儘言え、大人に甘えて暮らせ」

「そうだね、とても大変な事があったんだから、少しの間ゆっくりしたらいいよ。それにこの人ね、なんでも拾ってきて育てちゃうんだ、癖なんだよ。犬とか、猫とか、鉢植えとか。僕だって拾われて一緒に暮してるんだ。だから倫子ちゃんも遠慮しないでタカハルに拾われるといいよ」

「トモさんも捨ててあったの?誰かに捨てられちゃったの?そんで行くところがなかったの?まともな人に見えるのに、その…お兄ちゃん?よりもずっと」

「なんやそれ、初対面やのに兄ちゃんに対してえらい失礼な妹やな」

「僕は全然ちゃんとしてない大人だよ、タカハルより7つ年上だけど、人生設計はほんとに適当の極みだし、ついこの前30歳になったけど未だに定職らしい定職につかずにまだフラフラしてるんだ」

そう言うトモさんは、兄よりも7つ年上で、ということは私よりも16歳年上で当時30歳だったのだけれど、とてもそんな風には見えなかった。肌の肌理の細かい、そして無駄な肉のひとつも無い細い体の、学生みたいな風貌をしていた。本人はそれを少し気にしていて、それだからちょっとでも老けて見せようと度の入っていないだて眼鏡をかけているのだと言っていた。



トモさんの言う通り、兄とトモさんの暮している家はちょっと変わっていた。

だって何しろそこは銭湯だったのだから。

正確に言うと『元・銭湯』だ。でも私は銭湯の居抜き物件を住まいとして暮らしている人を後にも先にもこの2人以外見た事がない。そこは兄の大阪にいた頃の知り合いの親戚というおじいさんとおばあさんの営んでいた銭湯で、兄は母親を亡くして上京する時、銭湯の掃除を手伝うことを条件にほとんどタダ同然で2階の一室を間借りしていたのだそうだ。でもその銭湯の店主であるおじいさんと、その妻のおばあさんは兄が初めて会った時から随分高齢だったもので、兄の住み始めた3年後にはおばあさんが脳卒中で倒れてそのまま寝付いてしまった。銭湯の仕事というのは結構な重労働で介護の片手にできるものでもない、そうしているうちにおばあさんは亡くなり、おじいさんは長年一緒に店をやって来た妻がいなくなってしまってはどうにもやる気が出ないからと、銭湯を廃業して娘さんのいる埼玉にひき移ることになった。

しかし廃業した銭湯をすべて綺麗に壊して更地にし、そこをペタンとした駐車場にしてしまうとか無機質に四角いマンションにするとか、そういうことをおじいさんは「惜しいなあ」と思っていた。そこの銭湯にはその頃にはもう珍しくなっていた富士山の立派なタイル絵があって、毎日それをせっせと磨いていた兄もまたそれを「惜しいなあ」と思っていたのだそうだ。

「それでね、この人、それじゃあこの家、俺に売ってくださいって言ったんだって、その当時のタカハルって幾つだったっけ?ハタチ?」

「ウン、21になる年や」

「でも、都内で中古でもお家を買うって、ものすごいお金がいるでしょ?」

「まあそれはな」

「建物自体は相当古いから資産価値は殆ど無いだろうけど、土地がね、結構な広さだからそれの評価額だけでも結構なものだと思うよ。それなのにこの人さあ、財布に530円しかなくて、これで売ってもらえませんかって聞いたんだって。まあ流石にそれは無理だよって笑われて商談は決裂したんだけど、おじいさんは自分が先代から引き継いで大切に守って来た銭湯をそんなに気に入ってくれた若者がいるのはとても嬉しいからって、それで今は空き物件の管理人として、格安で借してもらってるんだよ」

「フフッ、なにそれ」

それを聞いた私は母が死んでから久しぶりに笑った。兄はどうやらそういうタイプの、適当というのかとても磊落な性格であるらしかった。

基地のある街を離れて1時間ほど、すっかり月が傾いた深夜に到着した兄とトモさんの住処は、多分知らない人が見たらそのまま営業していると勘違いしてしまうような、古いけれどよく手入れされている銭湯の建物そのもので、流石に『湯』と染め出された暖簾こそ下がっていなかったけれど、横開にすりガラスのアルミサッシ戸も、すのこを並べた下足ロッカーもそれは銭湯の入り口で、戸を開けてすぐの所にしつらえられた番台もそのまま、坪庭の手入れの良い松の木も、ほぼ現役の銭湯だった。実際トモさんが持っていた地図にもそこは「松の湯」と記載されていた。

「ボイラーが生きとるから、男湯はまだつこてるねん、メンドクサイ時は、シャワーだけ使うけど」

「掃除がちょっと大変だけどね」

「女湯は?使ってないの?」

「女湯部分は全部トモさんの部屋や」

トモさんは兄の借りている銭湯の居候で、その頃も今も女湯部分をすべて自室として使っている。兄の家に住み始めた私は、清掃業とラーメン屋を掛け持ちして働いているがために毎日がとんでもなく忙しくて留守がちな兄よりも、平日の日中は一体何を生業にしているのかよくわからないけれどだいたい家にいるトモさんと過ごすことの方が多かった。

トモさんの部屋である女湯は脱衣所部分の棚とロッカーが全て本で埋められていて中央には大きな机とその上にノートパソコンと書類の類が置かれていて、浴室部分には大量の植物が所ところせましと並べられていた。そこにはサボテンと万年青、それから多肉植物、あとはアイビーやベンジャミンやパキラ、それらがすべてが亜熱帯の植物のように巨大にのびのびと育っていて、まるでどこかの植物園の温室のような空間になっていた。それでこれってどうしてこんなにたくさんあって、その上こんなに全部が巨大なのとトモさんに聞いたら

「これねえ、タカハルが貰ってきちゃうんだよ。ホラ特にさ、こういう観葉植物って、ちょっとしたオフィスとかお店なんかによく置いてあるでしょ?それが倒産して夜逃げする、そうすると片付けに掃除屋のタカハルが呼ばれて、そこには机とか椅子とかパソコンとかそういうものと一緒に枯れかけの植物が置き去りにされてるんだよね、そういうのを全部貰ってきちゃうんだよ、まだ生きているのに可哀相だからって」

「それをトモさんが育ててるの?」

「うん、僕はこういの、結構得意なんだ」

「犬とか猫もよく拾ってくるよ、いつだったかイグアナを拾ってきた時もあったよ、それは僕の手伝ってる動物の保護団体に連れて行くんだけどね」

「それじゃあトモさんって、そういうことが仕事なの」

「そういうこと『も』してる。犬とか猫を保護しているのは僕の知人が主催してるNPO団体なんだけど、土日にそこの文化センターの駐車場でよく譲渡会をやるんだよ、今度倫子ちゃんも行ってみる?」

「行く。私、猫も犬も大好き」

兄はまるで小学生のようにしてその辺に捨てられた植木だとか犬とか猫とか、あとは人間の妹とか、そういうものを直ぐに拾って来てしまう人間で、それを何となく世話してなんとかしているのが同居人のトモさんなのだった。

そしてそんな動植物を育てることが得意なトモさんは外国語が得意でちょっとした本の翻訳だとか、それから何かを書いたり時折教えたり、そういう事をして生計を立てている人のようで、家族はいないみたいだった。いや、肉親だとか血縁のある人間はいるにはいるのだけれど

「うーん…笑顔で会いにいけるような関係では、ないんだよ」

それを聞いたのは、私が兄に犬猫同様に拾われて元・銭湯での兄と兄の友人と3人の不思議な共同生活にも慣れ、私達が初めて出会ったあの夜に兄が「行かせてやる」と宣言していた通り家からすぐ近くの公立高校に進学させてもらった春のことだ。

死んだ母にまとわりつくようくすぶっていたやくざがらみの借金問題も、色々が焦げ付いて絡まってどうしようもなくなっていた母のお店の後始末も、それから中学校の転校であるとか、書類上は完全に他人である兄と未成年の中学生である私が一緒に暮すという無理難題、それらを全部きれいに片づけて体裁を整えてくれた実務面ではとても頼りになるトモさんではあったのだけれど、ひとつひどく不得意なことがあった。

トモさんは料理が滅法へたくそなのだ。

それは多分トモさんが食べること自体にあまり興味がないせいなのだろうけれど、それにしたって放っておくとくたくたに茹でた野菜に醤油をかけただけのものを1日1回食べてそれでいいやなんて言うのは尋常ではないからと、私は兄が仕事で不在の時にはいつも

「悪いんやけどな倫子、トモさんに飯、食わしといてくれ」

そうやってトモさんの食事係を命じられていた。兄は税金とか公共料金の支払いとか相続とか借金とか、トモさんの得意とする事務的実務的一般常識にはひどく欠けているところのある人だったのだけれど、多彩なアルバイト経験による野生の生存力には非常に溢れていて、特に料理は何を作ってもどれもとても美味しかった。兄が台所に立つ日の夕飯はいつもご馳走だったし、私とトモさんの誕生日にはいちごと缶詰のくだものと、年齢をかたどったろうそくの乗ったケーキだって作ってくれた。

それで兄の言いつけ通り、兄がラーメン屋の遅番で夕飯の支度の出来ない日だとか、誰かに掃除屋の泊まり仕事を頼まれた日の朝は、いつも私が親子丼とカレーとか目玉焼きとか、そういう簡単な食事を作り、いつも兄がしていようにトモさんの居室に向けて中華鍋をカンカン叩いてトモさんのことを呼んだ。

「ゴハンだよー!」

私達はこの銭湯の家にいる時は、誰かと誰かがちょっとした喧嘩をしている時も、トモさんが人から急ぎの翻訳を頼まれて2晩徹夜をし、眠気で白目をむいている時も、兄が付き合いで明け方までお酒を飲んでいて結果ひどい二日酔いに襲われている朝も、絶対に1階の奥にある台所のテーブルに座って一緒にご飯を食べた

(家族みたい)

そんなことを日に日に感じていた私はある時、兄のいないトモさんと2人だけの夕飯の席でこの家に来て以来ずっと疑問に思っていた事を何となく聞いてみたのだった。

「トモさんに、家族はいないの?」

そうしたら、トモさんは少し考えてから、ゆっくりと私に言った。

「笑顔で会いにいけるような関係では、ないんだよね」

私はそれを最初、トモさんがトモさんの両親と何かしらの理由で親子喧嘩をして、それでずっと会わないままでいるのかなと思っていたのだけれど、そして実際にトモさんは実の両親とはひどく不仲ではあったのだけれど、この時のトモさんが言ったのはそれではなかった。

「娘が1人いるんだ」

「エッ、トモさんて結婚してたの?」

「少し前にね」

「それで、娘さんがいるの?小さい子?」

「うん、今年2歳になるんだ。でもその娘はその…戸籍上は僕の子だけど実際はそうじゃないんだよ。僕はそれでも娘が可愛かったし、それもでいいかなって思っていたんだけど色々あって妻だった人とは別れることになって、まあそれもこれも全部僕のせいなんだけどね、僕は相手の人にとても悪いこと…いや酷いことだな、うん、本当に酷いことをしちゃったんだ」

トモさんは、27歳の時に結婚し、翌年には娘さんが産まれた。相手は同じ大学の先輩の3歳年上の人で、外国の本を翻訳して出版する会社に勤めていた。その人とトモさんは大学の頃からの友人で、ある時、トモさんがいうのには

「ちょっとした外圧というのか、力が加わって僕らははずみで1度だけそう言う関係になったんだけど、それで、まあそういうことなら結婚でもしようかって」

とにかく2人は結婚することになったのらしい。

「結婚て、そういうものなの?」

ちょっとイージーすぎない?愛は?恋は?指輪は?私は聞いた。

「それは、ひとそれぞれだと思うんだけど、その…彼女はすごく保守的で封建的な地方の田舎の出身で、東京の大学を出て編集者として一生懸命働いていた彼女のことを、もう30歳になるんだからこんなこと早くやめなさいって親御さんが仕事場に乗り込んできちゃう、そういう家庭で、彼女はそれを毛嫌いして育ってきたって、そういう感じなんだよね。僕は僕で出身は東京なんだけど、実家がものすごく古臭いって言うのかな、かび臭い横溝正史の世界みたいな体質の家でね、僕がフラフラと定職につかずに好きな事をしてることとか、あとはまあその他の行状が気にくわないって言い続けていて、それをある程度緩和できるならって、お互いの利害が一致した点が『結婚』だったんだよ」

「犬神家の一族だ…」

「ウーン…まあそれに近いものはあるんだけど」

それで、最初のうちは、年上の妻とトモさんはとてもうまくいっていた。お互い仕事も勉強も、したいことのまだまだたくさんあった2人は、結婚して同じ家に同居したからと言ってとくに生活を変えることなく、これまで通り暮し、それにとても満足していた。

トモさんは妻になった人に自分のシャツをクリーニングに出して引き取ってきてほしい訳でも、毎日暖かい食事を食卓に並べて待っていてほしい訳でもなんでもなかったし、妻である人もまた、トモさんに小綺麗なマンションを買ってほしい訳でも、記念日に宝石のついた指輪を贈ってほしい訳でもない、欲しいモノは自分で稼いで買うからいいわと、いつも豪快に笑う、さっぱりとした気性のとても素敵な人だったらしい。

2人はお互いの仕事に敬意を払い、共同生活のパートナーとして互いの生活を尊重して自分のことはちゃんと自分で、生活費もきっちりと折半し、それぞれが自立した大人として暮らしていた。妻だった人の仕事には海外出張も多く年中とても忙しくて、まだ半分学生のような身分だったトモさんには勉強とアルバイト代わりの翻訳の仕事があって毎日忙しかった。そうなると同じ家に暮しているのに1カ月間顔も見ていないなんてことはざらにあったのだけれど、トモさんはこれはこれで良いのかもしれないって思っていたのだそうだ。相手も自分も仕事と研究を頑張りたいのだし、何より親から煩い事を言われたくなくて、それで結婚したのだしと、でもある日

「彼女が妊娠したって言うんだ。でもね、それは僕には全然身に覚えがないことだったんだよ」

トモさんは、その人との結婚を、互いの両親がこれ以上自分達の人生に干渉してこないようにするためのある種の契約的偽装結婚だと思っていたので妻だった人とは

「そういうことをしてなかったんだ、僕らの結婚にはそれは必要ないと思ってたから」

子どもができるようなこと一切をしていなかったのだそうだ。ただトモさんの誤算はそのことを「君もそれでいいよね」って、相手の人にちゃんと確認をしなかったことだ。それに妻であった人は最初の内、トモさんの言う契約的偽装結婚について特に不満も異論も何も言わなかった。

でも、ここからは私の勝手な想像なのだけれど、トモさんが妻であった人に対して、母親的役割を一切求めず、大切な仕事を頑張る姿をただ応援し、そしていつも日向の植物のように静かに優しいものだから、その人はトモさんのことを予定外に好きになってしまったんじゃないのかなと思うのだ、それか元々そういう友情ではない感情がその人のどこかにあったのか。だってそうでなければわざわざ結婚なんかするだろうか。

それなのにトモさんはその人のことをいつまでも便宜上の結婚相手で、友人で、そういう人だと思ってただ穏やかに微笑むばかりでひとつも妻だった人の体どころか髪にも触れてこない。それで、その妻だった人がトモさんに対して抱いてしまった感情は、うんと遠くにある月のように絶対に、終生自分の手の届く場所にはないものだと悟ってしまった時、その人はどうしようもなく淋しくなってしまったのじゃないかと私は思うのだけれど。

「それで、その…妻だった人の妊娠がわかって、離婚することになったの?」

「ううん、君さえよければ細かいことは聞かないから子どもは産みなよって僕は言ったんだ。だからその子は僕の実子として生まれたよ。そのあと娘が生後3ヶ月で彼女が仕事に復帰して、僕がその子を抱いてあやしながら論文を書いて、そうやって僕らの結婚生活はつづいたんだけど、ある日、妻だったその人が娘を連れて出て行っちゃったんだ。やっぱりこんな欺瞞だらけの夫婦が子どもを育てるのは間違っているからって」

トモさんは、私の作ったハンバーグをゆっくりと口に運びながら、トモさんの人生に数年前に起きた結婚と離婚のいきさつを

「これ、美味しいね、おろしぽん酢で食べるとさっぱりして

なんて料理の感想を挟みつつ話してくれたのだけれど、私が驚きで酸欠の金魚のように口をパクパクしている姿を見たトモさんは静かにお箸を置いてから、少し改まった顔をして言った

「ウン、あの…このことはちゃんと、ホントに僕が悪いってよく分かってるんだよ?僕はその…相手のね、紀美さんて言うのだけど、その人が出て行ってから自分のしてしまったことの本当の罪に気が付いてそれで猛省したんだ。結局僕は人の気持ちとかそういうものを一切考えずに自分の都合ばかりを優先して、相手にも心があるんだってことをちゃんと考えていなかったんだって。僕は本来『普通の結婚』には一切対応できない側の人間なのに、それを例えば自分の親とちゃんと話し合うとか、世間に対して開き直るとかそういうことから一切逃げて、友達だったはずの紀美さんを利用したんだ。本当に悪い事をしたと思っているし、それに」

「それに?」

「僕はなんの血縁もない、赤の他人の別の誰かの子だったとしても、やっぱり今でも娘のことが可愛いんだよ」

トモさんは、結局その赤の他人の子である娘さんに、ずっと養育費を支払い続けているのだそうだ。そこだけは何度辞退されても食い下がったのらしい。

「トモさんて、やっぱりちょっと変わってるよね」

「そうかな、タカハル程じゃないと思うけど、」

トモさんは妻である人と離婚した後、自責の念、身勝手なことをして友達を傷つけてしまった自分とか、それに気が付くことが遅すぎた自分とか、自分の色々を偽っている自分とか、とにかく何もかもに嫌気がさして仕事も勉強もせずにお酒ばかり飲んで暮らしていた時期があって、その時に酔いつぶれてゴミと一緒に自分の体をゴミ箱に突っ込んで寝ていたら、丁度そこを通りかかった兄に拾われたのだそうだ。兄はなんでも拾って来てしまう人だから。

「娘さんがいつか、トモさんに会いにきてくれたらいいね」

「娘がいつかそう思ってくれたら嬉しいけど、でもそれを無理にとは言えないよ。娘の母親の紀美さんには僕に対して割り切れない色々な感情があるだろうし。でも紀美さんには何かあれば娘はいつでも預かるからって伝えてはあるんだ、倫子ちゃんの身の上に起きたようなことが娘にも全く起きないとは限らないんだから。もしもの時の娘の行き場のひとつとして、僕も候補に入れておいて欲しいって」

それから、私はトモさんの関わっている動物保護団体の活動のボランティアのひとりとして譲渡会や、仔犬と仔猫の世話に時折手伝いに行くようになるのだけれど、ある時その譲渡会にひょっこりトモさんの娘さんが、あの時はもう4歳くらいになっていただろうか、美緒ちゃんという名前のその子が紀美さんと一緒に来てくれたのだ。多分最初、美緒ちゃんは自分の父親が誰なのかよくわからなかったのだろう、会場の入り口ですこしだけこそこそと紀美さんに何かを耳打ちされてから

「パパ!」

と叫んでトモさんに一直線に飛びついて来た。その時のトモさんのなんとも言えない、茫然とした、そしてとても嬉しそうな表情はちょっと忘れられない。

それはまるで真っ暗な宇宙に放り出された人間が、遠くに宇宙船の小さな希望の光を見つけた時のような。

丁度その日はめずらしくラーメン屋も掃除屋も全部の仕事がお休みで、その譲渡会の設営の手伝いに来ていた兄は、美緒ちゃんとトモさんの様子を遠くに眺めて、ほんの少しだけ淋しそうな、親に叱られて拗ねている小学生の男の子のような、そんな表情をしていた。

以来トモさんは時折、美緒ちゃんの母親である紀美さんと連絡を取るようになり、土曜日のバレエ教室の付き添いだとか、日曜日に遊園地や映画館なんかに連れて行くお父さんの役割をすこしだけ担当できるようになった。そういう日のトモさんは朝から落ち着きがなくて、対して兄はなんだか寂しそうで普段一緒に暮している私がほんの少しわかる程度に不機嫌だ。

それでもそれ以外は相変わらず、トモさんは兄の借りている元・銭湯の女湯部分を自室として暮らし、そこで何かの文章を翻訳してどこかから依頼された文章を書き、あとは兄の拾ってくる植物をこつこつ育てて暮らしている。トモさんは初めて出会った時からぜんぜん年をとっていないように見える、姿がぜんぜん変わらない。恋人もいないし、兄以外の友達も殆どいない、同居している私と植物と動物ばかりを相手にしている。

やっぱり、とても変わった人だ。

そして、日向の植物のように静かで、優しい人だ。

兄が大きな犬を連れて帰ってきたのはトモさんと美緒ちゃんが定期的に会うことのできるようになった、私が高校2年生の秋のことだった。

その日、「ちょっとややこしい清掃の仕事が入ったんや」と言って兄は遠くに出かけていた。『ちょっとややこしい』というのは大抵、誰にも看取られずに人知れず亡くなった人の居室の片付けと清掃と消毒の仕事だ。その時のそれは群馬のはずれの小さな町の大きな家で、その手の仕事が入ったし3日程家を空けるから、またトモさんのメシを頼むわと言って出かけた兄が予定を1日超過し、それがやっと片付いたから今日帰宅すると連絡をもらった時

「倫子、トモさんにな、犬貰ったから連れて帰るって言うといて」

仕事用のハイエースに犬を積んで帰ると言ったのだった。だから私とトモさんは家にその子のためのケージだとかフードを用意して楽しみにして待っていた。保護したのが仔犬なら保護施設にそのまま連れていけるのだけれど、成犬だと保護施設に既に収容されている他の成犬と喧嘩をしてしまうかもしれないし、施設はいつも満員御礼で、この時も成犬のケージが空いていなかった。そういう時、成犬の保護犬はスタッフの家で、主にうちで預かるということはよくあることだった。

でもこの時、兄が連れて来た犬と言うのが

「ねえ、この子何犬?狼?」

「ホワイトシェパードだね、メスなのに随分大きいなあ、何キロ?50㎏くらいありそうだ」

「賢い犬やで。飼い主の遺体から離れへんで、遺体の搬送にきた警官に嚙みついたんやて」

それは月夜に白銀の上を駆ける野生の狼のような、凛とした白いシェパードだった。

群馬の山奥で農業をしていた元教師の飼い主とその子は、ひとりと1匹で静かに楽しく四季を暮らしていたのだけれど、急な病気で晩の布団の中で飼い主は息絶えてしまって、その子は段々と冷たくなっていく飼い主の傍らで水も飲まずに数日間寄り添い続けて、草取りにも出てこないお隣さんの様子がおかしいと家を訪ねて来た近所の人が訊ねてくるまでずっと飼い主の亡骸を守り、そして遺体回収のためにやって来た警官に牙をむいたらしい。

「引き取り手もないし、でかいし、危ないし、まあこういうのは保健所だな…」

その土地の警察署に繋がれている犬の前で警察署の巡査がタバコの煙をフウッと空に吐き出しながらそう話しているのを聞いた兄は

「いらんのやったらください、僕、こういうのんを保護する団体に知り合いがおるんです」

と言ってそのまま譲り受けてきてしまった。そうやってかつて私を拾ってきた日のように今度は大型犬を車に積んで銭湯の家に連れてはきたものの、大型でそれゆえに散歩も餌もそれからしつけも、時間も手間もお金もかかる大型犬の成犬はトモさんから言わせると

「デリケートな犬種だし、とにかく体の大きい子だし、都内では引き取り手がないかもしれないなあ…」

ということだった。それに見た目がちょっと怖すぎる。

飼い主の亡骸を守るためとはいえ人に牙をむいたことが本来「ぜったいにやってはいけないことだ」と分かっているらしい白い犬はケージの中でしょんぼりとうなだれていて、お腹がすいているだろうにトモさんが差し出した大きなステンレス容器の中のフードに見向きもしなかった。とても賢い子だね、ちゃんと飼い主が死んでいなくなってしまったことを分かっているんだよ。トモさんはその子の耳の後ろをかりかりと爪で掻いてやりながらそう言った。

白い犬は、そのままうちの子になった。

新しい名前はライカ。ライカには元の名前もあったのだけれど

「それだと亡くなった飼い主さんの後追いをするみたいに、いずれ儚い命になってしまいそうな気がして僕はすこし嫌だなあ」

改めようか、そう言ったのはトモさんだ。命名は私。兄は「何やそれカメラ?」と言ったけれどトモさんにはそれが昔々、宇宙船に置き去りにされてしまった可哀想な犬の名前だとすぐに分かったようで

「この子はメスだし、可愛い名前だし、それはそれでいいけど、でもちょっと哀しい名前だね」

そう言った。でも、ライカはライカと名前をつけられてから少しずつ元気を取り戻し、1ヶ月ほど経つと、生まれた時からここの銭湯の1階で寝起きしていた犬であったかのように私達によく懐いた。毎日トモさんだけが家にいる日中は女湯の脱衣所にあるトモさんの机の下でごろりと寝そべり、私が帰宅して家にいる時間には私の部屋のある2階に嬉しそうにピョコピョコやって来て、私のベッドの上でお腹を見せてぐうぐう眠るようになった。散歩は朝がトモさん、夕方が私か兄の仕事だった。最初、ライカは大型犬だから小柄な私では危なくはないかと兄とトモさんは心配したけれど、賢いライカは自分勝手に勢いよく駆けだして私を引っ張りまわすような真似を決してしなかった。

それから犬は車酔いをしやすいとは聞いていたけれど、ライカはその名前のお影なのか乗り物に乗ることが全く平気な子で、週末には兄の車で遠くのドッグランにも連れていくことができた。高いフェンスに囲まれた芝生の広場を野生の狼のように駆け回るライカはその見た目で最初は周囲に慄かれたけれど、本人、いや本犬はとても優しい気性の犬なので決して他の犬と喧嘩をしないから安心して見ていられた。ライカと過ごす終末は私達の楽しみになった。

それで兄はライカがうちにやって来て半年くらい経った春、突然こんなことを言い出した。

「俺なあ、家族旅行てしたことないねん、どっか行かへん?俺と倫子とトモさんとライカで」

ライカが車に乗ることができてよその犬とも喧嘩をせずに仲良くできるのなら、どこに連れて行っても大丈夫だろうと。それは実のところ私にとっても生まれて初めての家族旅行で、私はふたつ返事で「行きたい!」と言った。私はこれまでが結構ハードモードな人生だったものであまり考えたことがなかったのだけれど、そういう『普通の家族』のような事に憧れていたのだと思う、だから続けてこう言った

「行くに決まってる!」

そしてどうやら結構なお家の一人息子であったらしいトモさんも

「僕も、そういう普通の家族旅行ってしたことないなあ」

ということだった。トモさんの実家は私や兄の生まれ育った家庭とは全く違う、ご両親が揃っていて、自宅は世田谷にある黒板塀に囲まれた数寄屋造りの広大な庭付きのお屋敷で、車は外国製で、トモさん自身は小学校から私立に通っていて、所謂とても裕福な良いお家だったのだけれど、毎年そろって家族旅行をするような感じのお家でもなかったらしい。お父さんが愛人の家に入り浸って殆ど家に帰ってこなかったとか、母親の違う弟と妹がいるとか、そういう感じ。世間には本当に色々なお家がある。

それで私たちは、私が高校3年生になる年の春、トモさんとライカと私と兄の4人で春の白浜に出かけた。行先を関西にしたのは兄が一度自分の暮していた街にたち寄って、そこを見て欲しいと私達に言ったからだ。兄は16歳で大阪を離れるまで、何回か引っ越しはしたけれど最後はお母さんの仕事場のすぐ近くの借家で暮らしていて、その近くでお母さんは亡くなったのだそうだ。

「それが、ここ?」

「ウン、ここやったんやけどなあ。なんや更地になるとエライ狭いな」

「家って立体になっているから大きく感じるけど、建物自体が無くなってしまうとそれがあった筈の土地ってやけに狭く感じるんだよね、不思議だねえ」

桜の花びらがひらりふわりとどこかから待ってくる春の大阪の下町に、兄の暮していた古い長屋づくりの賃貸住宅はもう跡形も無かった。そしてそこは私が想像していた雑駁な大阪の街とは少し違う、むしろ私の暮している銭湯の家のある東京の下町によく似た、なんだか懐かしい空気のある街だった。

でも兄が「オカンはあのあたりで働いとった」と指さした先は、遠くからでも昼に電飾の看板の光る様子の分かる歓楽街が兄の知る昔と同じようににぎわっているようだった。その極彩色の諸々は東京のそれとはすこし違うような雰囲気を纏うように見える。きらきらと明るいのに、そして空は青くよく晴れているのに、空気が少しだけ沈んでいてそこだけ雨に煙っているような。それでこの時初めて私は私が兄と出会った頃に兄が言っていた

「俺のオカンはなあ、飲み屋とか…あと最後の頃は風呂屋でも働いとった」

というその『風呂屋』というものが言葉通りの『風呂屋』ではないんだなということをほんの少し察して、遠くに見える街の様子に目を凝らした。ライカは初めて来た土地とそこに訪れている春の光の匂いをふんふんと楽しそうに、そしてしきりに嗅いでいた。

(ここはどこかしら?)

「ライカ、お兄ちゃんの住んでた街だよ」

(ふうんそうなの、でもあたしはあっちが気になるわ)

ライカが兄の住んでいた長屋の跡地から少し歩いたところにあるたこ焼き屋さんを気にしてそちらに行こうとフンと鼻を鳴らして私を引っ張ったので、私たちは兄がかつて暮らしていたそこにあまり長居はできなかった。私たちはライカとこの辺を散歩するかと言いながら、街の中を流れるあまり綺麗とは言い難い用水路に沿って周辺を歩いた。

「あすこに公園があるやろ、そこでオカンが死んでたんやわ」

「お母さんて、事故かなんかで亡くなったの?」

兄が突然、ブランコとジャングルジムのある小さな公園を指さしたもので、私は少し驚いて兄の顔を見た。そう言えば兄の母である人が亡くなった理由を聞いたことがなかった。私の母があんな亡くなり方をしているもので、兄もその話をあまり妹の私にしようとは思わなかったのだと思う。でもこの日、春の陽を白い背中に一杯に浴びてご機嫌に歩くライカとトモさんの後ろ姿を見ながら兄が、自分の母親が亡くなった時のことをぽつりと私に話してくれた。

兄の母親である人は、とても若い時に兄を産んだ。聞けばこの大阪旅行の時の私とそう変わらない年齢の頃だ、それだから16歳の兄を置いて亡くなった時にはまだうんと若い、30歳をすこし過ぎた頃だった。兄の母は、普段から朝まで飲んでいたとか、ちょっと友達の家に泊まっていたとかで1日2日帰ってこないということが珍しくない人だったのらしいのだけれど、その時は4日も連絡のないまま家に帰ってこなくて、当時、定時制高校に通っていた兄は

「どっかで飲みすぎて倒れて、病院にでも運ばれたんちゃうかなって思っててんけどな」

兄の母はそれまで何回か、お酒を飲み過ぎてその辺で倒れていたり、酷く気持ちが沈んでいる時に風邪薬のようなものを一度にたくさん飲んでしまったりすることがあったもので、兄は心配になり、普段はまず連絡を入れたり訪ねて行くことのない母親の勤務先に直接出かけて行き

「俺のオカン知りませんか?」

と尋ねた。そうしたら

「こっちもあの子と連絡取れなくて困ってんのやわ、携帯も全然繋がらへんし、家にも帰ってへんのんか、ならちょっと警察とかに届けてみるか?もしかしたらどっかでぶっ倒れて病院とかにいるんかもしれへんしな」

そう言われたのだった。そういうお店の人というのは、商品である『女の子』に親切な人が多いのらしい

「ああいうとこの人って、俺みたいなモンにも結構親切なんや、お母ちゃんいなくなったんか、それやったら警察まず行った方がええからおっちゃんもついてったるって、一緒にそこの警察署で捜索願っていうのを出そうって言うて連れて行ってくれてん」

「…そうなんだ、なんかもっと怖い人がイッパイいるところなのかと思ってた」

「そんなことあらへん、だってその俺、そのおっちゃんにうどんとか奢ってもろて小遣いももろたし。でもなあ、それで警察に届けに行ったらな、オカンつい2日程前にそこの公園で朝早うに桜の木の枝にぶら下がって死んでたんやって、そこの警察署に身元不明の死体として収容されててん。俺あとにも先にもあんなにびっくりしたことないわ、だって俺の住んでた家の目と鼻の先なんやで、何で気が付けへんかってんやろってフツー思うやん」

兄の母親であった人の亡骸の傍には、身元が分かるものがひとつも残されていなくて、そのせいで唯一の身内である兄にその死が直ぐに知らされなかった。誰かが、携帯電話だとかお財布の入ったバッグをそのまま持ち去ってしまったのだろうと警察署の人が言っていたのだけれど、それだから兄の母は遺書らしい遺書も残さないままに、一体どうして死んでしまったのかは

「今もようわからん」

ということだった。

「それは事件だった…ってことはないの?だってほら、うちのお母さんみたいなこともあるのだし」

「ウーン…そういうのではないやろって、それが警察の結論やってん、実際首括ってたロープな、それを近所のホムセンで買うてたうちのオカンがちゃんと防犯カメラに写ってたんやわ、俺ショックやったわ、アタマ鈍器で殴られたってあんなガツンとは来ィひんで、だってな倫子、オカンがそういう…夜に働いてて、うんと若い頃に子どもを産みました、母子家庭ですて言うたら、さぞかし荒れ果てた家庭やったんでしょうねえて思われるねやけど、ていうか実際よう言われてたのやけど、そういうのって倫子は分かるか?」

「超わかる、よく同じこと言われたから」

「せやろ。でもなあ、俺これだけは自信をもって言うねやけど、オカンはときどき2日程帰って来ィひんとか、酔っ払ってゲロ吐いて玄関で倒れとるとか確かにそういうのはようあった人なんやけど、それでも俺らは結構楽しくやってたんや、誕生日にはケーキかて買うてもろたし、ギリ食うモンが無かったこともない、高校かて、俺がアホなせいで結局行ってたんは定時制やったけど、ほんまは普通の全日制の高校に行けて言うてもろててんやで。それやから突然、何の前触れもなく死なれてしもてホンマに辛かった。俺はたった一人の肉親に置いて行かれたんやなあって」

「それは、例えば亡くなったお母さんがその時、具合が悪くて…例えばうつ状態だったりしたら、お母さんの意思とは関係なく、死にひっぱられたってことは十分あるよ、僕はそれを何度もタカハルに言ってきたじゃないか」

私たちの話を、私たちの前をライカと歩きながら聞くともなしに聞いていたトモさんが振り返ってそう言った。それはお母さんの本心じゃないし、タカハルのせいでもないんだ。ちょっと彼女の、お母さんの人生が普通よりハードだったってことは原因のひとつとしてあるのかもしれないけれど。それだって君のせいって訳じゃないだろ。

「まあ、そうなんやけど、おいていかれた子どもってのはしんどいモンやで、俺あん時16やったけど、16歳なんかまだ小学生に文字通りちっと毛の生えたようなモンやんけ、俺ほんましんどくてなあ、こんなとこ居てられるかって東京に行ったんやもん。それで3年前か、倫子が独りぼっちになったって、アレはたまたまラーメン屋のテレビでニュース見て知った時、今スグ行くぞて思てんや。大体人間はな、ひとりでなんかよう生きていかれんようにできてんのよ」

「それで、生きてるものを何でも拾ってきちゃうの?」

「おう、トモさんも拾ってきたし、倫子も、ライカも拾ってきた。そんで俺は今、念願の家族旅行をしとる」

「寄せ集めだけどね」

「ええんや、家族に血縁は必須条件やないし、何なら別の生物でもかめへんやん。とにかく俺は長年の夢を今かなえたんやから」

そう言って楽しそうに笑う兄は、念願の家族旅行の日もいつも通りの油のシミのついた作業着に白いタオルを頭に巻いていた。そうして私達は兄の生まれ育った大阪の街を後にして到着した白浜、そこで兄はまるで小さな子どものように泳ぐにはまだ冷たい春の海の中をざぶざぶとライカと走り回り、びしょ濡れの砂だらけになって、私は見かねて兄を叱った。

「もー!車が砂だらけになるじゃん」

でも兄は相変わらず子どものような顔をして

「倫子はあれやな、若いのに誰かのオカンみたいやな!」

と叫ぶと、波打ち際で犬と兄の様子を見ていたトモさんを海の中に引きずり込んだ。トモさんは兄よりすこし小さくて何より随分細身なものだから、兄が腕を強く引っ張った拍子に浅瀬に尻もちをついていた。

「ひどいなあ」

そう言って笑うトモさんもまた、結構楽しそうだった。春の、桜の散り始める頃に家族旅行をするのは、そのまま私達家族の大切な決まりになった。

私たち3人と1匹の家族旅行は、私が大学4年生の春まで続いた。

ライカはとにかく賢くて大人しいので、車に乗せてどこにでも連れて行けたし、一度なんか「まあ大人しいならいいでしょう」と許可をもらって田舎町のサービスエリアの端っこにある観覧車にも乗せて一緒にお空の上にあがったこともある。

(ここは、どこかしら)

高い場所をあまり怖がらず、でも不思議そうに窓の外を覗きこむライカを見て私達は笑った。ライカ私達、今空を飛んでいるんだよ。

私は、高校を卒業した後はどこかに就職して働くつもりだったのだけど、兄が「倫子は俺と違って頭がええのやし大学には行っとけ」と強く勧めてくれたことと、トモさんにも勉強はできる時にしておくほうが絶対に良いのだからと諭されて、家から電車で通える距離にある小さな公立大学に何とか滑り込んだ。

そして1年生の頃からずっとアルバイトをしていた書店に就職することが決まった大学4年生の前期、兄が現場で倒れた。倒産して夜逃げするようにしていなくなってしまった健康食品の卸の会社の後片づけをしている時のことだった。連絡を受けた私が伝え聞いた病院に駆け付けると、兄は色々の処置や検査を済ませて一般病棟の大部屋に移されていて、その傍らには私より先にトモさんが来てくれてはいたのだけれど、兄が一体どういう状態で病院に運ばれてきて、どこの何が悪いのかということは

「ご家族がいらしてからでないと、何とも」

看護師さんがそう言うもので、トモさんは何も聞けてはいなかった。そして私はこの頃、兄と正式に養子縁組をしていた。私は兄とは兄妹であり同時に親になったのだ。これはちょっとややこしいハナシになるけれど万が一のことがあった時のためだからと、トモさんも兄もそうした方がいいと勧めてくれたのだ。そしてこの時それはとても役に立った。

「仲村孝治の妹の、仲村倫子です」

書類上は娘で、事実上は妹である私が病室に飛び込むと

「妹さんですね、それじゃあ先生を呼びますから、別室でお兄さんの状況をお話ししますね」

と看護師さんが言った。それで私は看護師さんに少し遠慮しながら

「あの、この人も同席させてください、この人も私と兄の家族です」

そう言ってトモさんを同席させてほしいと頼んだ。看護師さんは少し考えるような表情をしてからそれはどういうご関係の…と少し遠慮した表情で聞くもので私はもう一度

「ええと…だから家族です」

と言ったのだけれどそれ以上のことがどうにも上手く言えなかった。そうしたらトモさんは私の隣で静かに、そして厳かに、少し思いつめたような表情でこう言ったのだった。

「僕は、この人の…仲村孝治のパートナーです」

「エッ?あの…ええと、わかりました、そう先生に伝えてみますね」

看護師さんは少しだけ驚いた顔をして、それから穏やかに微笑んで頷き、担当の若い医師に話を通してくれた。それでトモさんは兄がこの時一体どういう状況で状態あったのか、私と一緒に医師の話を聞く事ができたのだった。

「倫子ちゃんは、知ってたんだね」

「だって私達もう7年も一緒に暮してるんだよ、それにトモさん結構最初の頃に『自分は普通の結婚はできない側の人間なんだ』って自分で言ってたじゃない」

「そっか…そうだったね」

「でもね、だからって私にとっては、トモさんはトモさんで、お兄ちゃんはお兄ちゃんで、何にも変わらないよ。それに2人がどういう形でも仲良しだっていうのは、結局、私にはすごく嬉しい事だから」

「うん…そうか、ありがとう」

トモさんと兄が、最初本人がそう名乗った『友達』ではなく、むしろそれ以上の関係であるということを、私は結構早い内からそれを察して知っていた。知っていたけれど、別にそれについて兄にもトモさんにもそれを「そうなんでしょ」なんて聞いたことはなかった。

兄とトモさんは2人とも私の大切な家族で、それ以上のことは2人だけの大切なつながりなのだし、2人が私の兄として時に父として、優しくて頼もしいの存在であるは、例えばこの2人が友達でも妻でも夫でも、それ以外のどんな関係であっても変わらない、そう思っていたから。

そして、病院が大嫌いで私とトモさんが何度言ってもなかなか区の検診に行ってくれなかった兄は、ちょっとあまり良くない所に悪性の腫瘍ができていてそれがもうだいぶ大きく育ってしまっているというのがその日、兄を診察した医師の所見だった。

「これ、もうそうとうしんどい筈ですよ」

そう言って、若い医師は嘆息を漏らした。兄の内臓を映し出した大きなモニターを私たちに見せる医師の横で、キツネにつままれたようにきょとんとしている兄を見ていると、初めて会った頃から風邪もひいたことがなければ何を食べても平気な、とにかく身体頑健な兄のどこがそんな重篤な病なのかと私もひどく不思議に思ったのだけれど、兄はこの時31歳になるところで、若いというのはその抜群の代謝の力で悪い腫瘍も同じようにどんどん育ててしまうものなのらしい。

兄はその後どんどん病気が進行し痩せて弱っていって、そしてトモさんはその兄の傍らにずっと付き添っていた。飼い主に先立たれてしまったあの日のライカのように。

そうして、私が就職した年の2月のしんと冷える寒い晩、兄はほんとうに静かに、まるでちょっと昼寝でもしているかような表情をして、静かに彼岸の向こうにひとりで渡って行ってしまった。

私にとっては人生2回目の肉親の死であって
ライカにとっては2度目の飼い主の死
そしてトモさんにとっては生まれて初めての伴侶の死だった。

出棺の時のトモさんの慟哭は大変なものだった。

トモさんは兄のパートナーとして、そしてまだ世間のことを何も知らない若い娘である私の代理として兄の葬儀の喪主に立ったのだったけれど、挨拶なんかとてもできない状態で、結局私が、兄のために集まってくれた人達に挨拶をした。でもそれ以外は、私もただトモさんが小さな子どものように泣き崩れている背中をさすってあげることしかできなかった。

誰かの死はいつ、何度巡って来たとしても馴れるような性質のものではないのだけれど、あんなに、春の陽光みたいに暖かで明るい兄が「死にました」だなんて、私にはちっとも実感がわかなくて、斎場からでてくる兄の亡骸を焼いている証である白い煙を、まだ小さな子どもみたいに泣きじゃくっているトモさんの肩を抱きながらぼんやりと眺めていた。


兄の遺言が私にトモさんの手から渡されたのは、トモさんが自分の涙でおぼれてしまうのではないかと心配になる程泣いていた葬儀の、3日後のことだ。

そこにはこう記されていた。

倫子へ
これを読んでいるという事は、俺は死んだということになるのか、そうと思うと今猛烈に変な感じがする。人間は死ぬとどうなるのやろうな、体が焼かれて、そこから離れた魂みたいなモンが、ウチの風呂場の床を這うちいさくてきらきらとした光の赤ん坊のようなものになれるのなら俺は本望なんやけど。

ここに書いたのは、俺が死んだ後に俺が倫子に遺せるもののことです。て言うてもお金と名のつく諸々は全部犬と猫のメシ代に消えました。借金なんかはないはずやけど、通帳みたいなもんは多分ほどんど空や。せやけどそのかわり家があります。兄ちゃんは一昨年、あの風呂屋の持ち主やったじいちゃんの娘さんから正式にこの家と土地を有り金はたいて全部買いました。今、この松の湯は土地も家屋も全て俺のものになっています。

せやから倫子にはこの風呂屋の半分を遺します。そんでトモさんにはもう半分を遺します。台所やとか庭とかそういうもんはトモさんと一緒に使ってくれ。トモさんは、ここ以外にもう行くところがない人やし、とても淋しがり屋やから、できれば倫子がトモさんとこのままここで暮してくれると俺は嬉しい。そういう家の譲り方てアリなんか、できんのかどうかとか、そんなんまでは俺にはようわからん、ややこしいことはトモさんに頼んどいたから聞いてくれ。

トモさんのメシと、ライカの散歩を頼む。

妹がいる人生ってすごい楽しかったわ、ほんまにありがとう倫子。

「この家、お兄ちゃんが買ったの?ウソでしょ?いくらで?」

「詳しい値段は…まあ聞いたらちょっと驚くよ、タカハルは自分にもしものことがあっても倫子ちゃんが行き場を無くさないように、随分前からここを買い取れないかって、ここの持ち主であるお爺さんの娘さんに連絡して相談してたみたいだ」

「でも、ここを私とトモさんで半分こずつって、そういうのできるの?」

「それはできないことはないんだけど、でも僕はいいんだよ別に、別の家をどこかに借りて暮らすくらいのことは十分できるんだし。その…倫子ちゃんだっていずれ誰かほかの人と暮らすって将来があるかもしれないのに、こんな何の血縁もないおじさんと不動産を共同所有してるなんて、ややこしいでしょ」

「でも、これは故人の遺志なんでしょ」

「…うん、それはそうなんだけど」

「それに、お兄ちゃんが死んじゃった今、私に人間の家族はもうトモさんしかいないんだし」

「…うん、それは君がそう思ってくれるのなら、そうなんだけど」

そうして、私とモさんは兄の遺言に従ってこのまま銭湯の家で一緒に暮らすことに決めた。トモさんの言う通り、あと数年か数十年後かに私達家族の在り方はすこし形を変えたりするのかもしれない、でも私とトモさんとライカが家族であることに変わりはないのだ。


私はいつか、自分が死ぬ日がきたら、その日がきたらきっと鮮明に思い出すだろう。

宇宙に行った犬と同じ名前の愛犬と海で遊んだ日のこと
この世界のすべての命あるものに優しかった兄のこと
その兄の穏やかで理知的な恋人のこと

私の少しちぐはぐな、大切な家族のこと。


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きなこ
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