わたしの『おとうと』。
『みらい』を、待ってる。の3作目です。
そして今、目の前で酸素をつけた心臓疾患児が机によじ乗って跳ねています。揺れてます、助けてください。
みらい君の物語を書く筈が、そのお姉ちゃんの物語ができました。
きょうだいのいる家にしょうがいのある子がうまれた時、そこそこ破天荒だけど、周りの期待とかそういうものを過敏に背負うタイプの勘の良い子はどうなるのかなあ。
そういうことを書きました、書いたつもりです。
同時にこれは今、しょうがい児を育て、結果きょうだい児も育てている私の懺悔みたいなものです。
勿論このみらい君のかなり大人びた俯瞰の視点はフィクションですが、それは、実はこういう子は結構色々わかっているんじゃないかなあという私の主観です。
☞1
ぼくの名前はみらいだ。
未来の「みらい」
ぼくが生まれた時、というか正確には生まれる前、母のお腹の中にいる時に、その原因は全然わからないのだけれど、生まれてそして生きて行くのがかなり難しい子だという事がわかってしまって、そのことを色々な検査で突き止めた産婦人科の先生が父と母に
「生きて産まれてくるか、もしくは生きて産まれても生きられるか、それは五分五分です」
そう言ったそうだ。
それでぼくにはその時8歳だった姉がいるのだけれど、その姉がぼくが生まれる事をすごく楽しみにしていて、そんなことは絶対許さないと言って母のお腹に向かって泣いて怒った。
「弟が死んじゃうかもしれないなんてイヤ、絶対ゼッタイぜーったい生きて産まれてきて!」
そんな姉の心からの願いを込めてぼくの名前は生まれる前から「みらい」になった。
ぼくにみらいがありますように、みらいが来てくれますようにという、姉のまっすぐな祈りの中で生まれた僕は、いま8歳になる。
☞2
それで、とりあえず『生きて』うまれて来たぼくには、いくつか困った事があった。
それは、まず自分の力で呼吸をする事ができなかったこと、だから生まれて来て即、人工呼吸器という機械に助けてもらって息をした。
そして、もうひとつの問題は自分の力で体のあちこちをうまく動かす機能をちゃんと装備していなかったこと、本当に基本的なことをだ、食べるとか飲むとかそういうこと。
その他にもいろいろ、お腹の中を手術で直す必要があったし、何より「この子はどうして呼吸ができなくて、そしてうまく動く事ができないのか」という原因を突き止める事が出来なくて、それがわからないうちは絶対に家に帰せない、ということになった。
だから母が僕を産んで、病院に少しだけ入院して、退院する日が来ても、ぼくは母と一緒に家に帰る事ができなかった。
でも、それは仕方ない、そのころ僕は、人工呼吸器とか沢山の点滴とか、すごい数の線とか管につながれていてとても病院から動かせる状態になかった。もし無理にそんな赤ちゃんを普通の家に連れて帰ったりしたら父と母がすごく大変だし、なによりその機械はどれもけっこう大きくて、たとえ全部持ち帰れたとしても今度は家族が寝る場所がなくなってしまう。
もともと看護師をしていた母と今も医者をしている父は、それをよくわかっていて「わかりました、いつか家に連れて帰る事ができるように頑張ります」と僕の先生、こういう「子どものうまれつきの謎の病気」の専門家で小児専門の脳外科医のノハラ先生と一緒にいつかの退院を目指して頑張ることを決めたそうなんだけど。
姉が全然納得しなかったらしい。
「どうして?どうしてみらいは帰ってこないの?」
「大きな機械がいるから?そんなの私の部屋に全部いれたらいいじゃない!わたしは廊下で寝る!」
「お世話が大変ならわたしが寝ないでしてあげる!ねえお願い!」
姉は、なまえを「のゆり」というのだけど、そう、野の百合の「のゆり」。そのキレイでうんと優しいひびきの名前とはぜんぜん真逆の性格をしていて、なんていうか、どぎつい、言い出したら聞かない、次の瞬間何をしでかすかわからない、そういうかんじ。
そしてのゆりは楽しみにしていた赤ちゃんのぼくが全然家に帰ってこないし、それならと学校がお休みの日に父と一緒にお見舞いに行っても、こども病棟の中の病室には入院している子ども以外はそのきょうだいでも15歳以下の子どもは入れないきまりで、かといって僕は体につないでいる機械の数が多すぎて病室の外に出る事ができなかったから、ホンモノのぼくには全然会えなかった。
そんなことが何ヶ月も続いて、それにすっかりにフンガイしたのゆりは、ある日、学校に行くフリをして、いちど家にもどって背負っていたランドセルをガレージにぽいと放り込み、そして僕が入院をしている病院に勝手に来てしまった。
☞3
ぼくが0歳の時だ、正確には生後8ヶ月、そして、のゆりはその時9歳で小学3年生だった。
のゆりの学校からぼくのいた病院まで、車で40分、バスと電車を乗り継いで1時間くらいかかる、それを
「あの時は前の日にパパのお財布から2000円抜き取っておいたの、だって私お小遣いとか貰ってなかったし」
父の財布からハイシャクしたお金で堂々とバスと電車に乗り、のこりのお金で
「私、その時は、なーんにもわかってなかったから、みらいに赤ちゃんせんべい買って行ったんだよね、でも優しくない?」
僕へのお見舞いのお菓子まで買ったらしい、当然ぼくは今も昔もそんなものは食べられない、のゆりは勉強もできるし凄く頭のいい人なのだけれど、他人のいう事を聞かないというか、思い込みがすごく激しくていつも突拍子もない事ばかり考える。
それで、紺色の小学校の制服を着て、黄色い帽子をかぶり、片手にハダカの赤ちゃんせんべいを持った8歳ののゆりは、病院に到着して、こども病棟の場所を案内のひとに確認し、そして、こども病棟の中にはいるにはスタッフ用か面会用のIDカードか必要なんだけど、それを
「青い服は大体お医者さん、だから青い服の人のうしろにぴったりくっついていけばヨシ」
そうやってやすやすとそこを突破した、でも、最後の病室のある方のフロアに入る時に足止めを食った、だってそこには鉄壁の砦があったから。
「病室のあるフロアに入る為のガラスの自動扉の開閉ボタンが私の手の届く高さについていなかったのよ、罠!」
罠じゃない、アレはセキュリティ。
あのボタンが高い場所にあるのは入院中の子どもが勝手に病室のフロアの外に出て行かないための工夫だけど、その『罠』にひっかかり、ボタンを押すためにぴょんぴょん飛び跳ねているところを、僕の担当のノハラ先生に見つかってホカクされた。
「こらこら、ここには君は入れないぞ」
「アナタお医者さん?ここあけてくれない?弟がいるの、会いに来たの!」
「…君は、みらい君のお姉ちゃん?」
「みらいを知ってるの!?」
「知ってるよ、僕は、みらい君の主治医のノハラです。そうかぁ君がお姉ちゃんか、顔がそっくりだなあ、スグ分かったよ」
ここで「どうしてここにいるの」と「親はどうした」とか言わないところがノハラ先生だ、あの人ものゆりみたいなところがある、動じないというか、変り者というか。
☞4
そのころ、母は、学校から「のゆりちゃんが学校にきていません」という電話をもらって慌てて外を探したら、のゆりのランドセルがガレージの車の上にポツンとおいてあって、本人の姿はドコをさがしても見当たらないし、近所の人もそう言えば今朝は見てないねと言って大騒ぎになっていたらしい。
それで母から
「のゆりが誘拐されたかもしれない!」
という携帯の着信とノハラ先生からの
「おーい、君のとこのお姉ちゃんが、こども病棟に1人で来てるぞ」
という院内PHSの連絡をほぼ同時にもらった父は、そう、ウチの父はぼくの入院していた病院で麻酔科医をしているのだけれど、その時に仕事をしていた4階の手術室からこども病棟まで猛ダッシュでやって来てゆりを叱った、学校にも行かないでオマエは一体何を考えているんだって。
でもそういう時、のゆりは父にゼッタイ負けない、みらいにあえるまで帰らない、パパとママばっかりみらいに会えるなんてずるいじゃないと言って聞かなかったそうだ。
そうしたらその親子喧嘩を腕組みしてアハハと笑いながら見守っていたノハラ先生が
「いいじゃないか、僕が今からここの師長にお願いして、ええと君の名前…」
「のゆり!」
「のゆりちゃんか、うん、僕が頼んできてあげる、みらい君の顔を見せてあげるよ、ただしここの自動扉のガラス越しにね、みらい君は、今、わるいばい菌に感染したらひとたまりもない、まだ体が弱いんだ、そうなったらおうちに帰る日がまた伸びてしまう、それは、納得してくれるかな?」
「ウン、わかった!」
そう言ってとりなしてくれて、ぼくの担当の看護師さんとノハラ先生と父と、たまたまそこにいた全然関係ない小児循環器科の先生まで総動員してぼくに接続されている機械とか点滴全部、つまり僕をベッドごと廊下に出して、病室と病棟のロビーを分けているガラス扉の前まで運んでくれた。
そうして初めて写真でも動画でもない本物のぼくの顔をガラス越しでも目の前で見たのゆりは、ちょっと笑ってそして突然
ワンワン泣いた。
勿論ぼくはおぼえていない、赤ちゃんだったし。父が言うには、ぼくは、ぽかんとしてのゆりをみつめて、ほんの少し笑ったような気がしたそうだ、そしてのゆりは声を上げてひとしきり泣いてから
「みらい、はやく帰って来て、お姉ちゃん、待ってるからね!」
そう言って顔を鼻水と、涙でくしゃくしゃにして、慌てて家から迎えに来た母と帰って行ったという。
ハダカで持って来た赤ちゃんせんべいとガラス越しのぼくと写した泣き顔の写真と一緒に。
当時、赤ちゃんだったぼくがこの話をこんなにこまかく知っているのは、もちろん現場にいた父がそれをよく覚えていて、このことを何回もぼくに話してくれたということもあるけれど、ノハラ先生も、病棟の看護師さんも、まきぞえを食った気のどくな小児循環器の先生も、この事件のことをよく覚えていて、今、17歳になって、ぼくのつきそいとして病棟の病室に入室できるようになったのゆりを見ると「ああ、あの時の!」と言って昔話をはじめてしまうからだ。
のゆりはこの話をするといつも
「ああ、私の黒歴史!」
といって少し恥ずかしそうにする、そうかな、ぼくはこの話が結構好きだ、まわりは相当メイワクだったと思うけど、『のゆり』の全部がつまっている感じがして。
☞5
ただ、この『のゆりの黒歴史』はぼくにひとつ大きな転機を運んできた。
この、のゆりとぼくの初対面の現場に居合わせたノハラ先生は、のゆりの姿を見て、のゆりがワンワン泣いている声を聴いて、ぼくの瞳がいつになく、くるくると動いているのに気が付いたらしい。
「あんなに外の刺激に反応してるみらい君をみたのは初めてだったから、これは、少し無理をしてでも、早めに家族の元に返してあげるのが君の為なんじゃないかなと思ったんだよ」
ノハラ先生は僕の体がどうしてうまく機能しないのか、それを脳がおこしているバグだという事は突き止めたものの、じゃあ、この子のアタマはどこまで何をわかっているのか、それが全然わからなかったらしい、そうだよね、僕はそのころ全然動かなかったわけだし。
でものゆりが突然現れて、ぼくは目をきょろきょろ動かして反応した。
のゆりの事がわかっていたのかもしれないね。
それでノハラ先生は、ああ、この子にはこのお姉ちゃんとか家族とかが今必要なんだと思ったらしい、だから予定を少し前倒しして、1歳の直前に結構な大荷物で初めて家に帰った。病院の設備をほんの少し小さくして、あとはほどんどそのまま病院が家に来た、という感じ。
ぼくの両親が、母が看護師で、父が医者というのも、ノハラ先生の決断をあとおしした。
でもそのせいで母は、仕事をやめてしまって、ぼく専属の看護師になってしまった。
そして、もうひとり、ぼくの専属になろうとしたのがのゆりだ。
「あたし、学校辞める、毎日みらいのお世話をするから」
そう言って、勝手に小学校の退学宣言をして母はのゆりを説得するのに骨が折れたらしい「お姉ちゃんは本当に言い出したらきかない、親の顔がみたい」。
母は冷静な顔をしてたまに冗談を言う。
でもこののゆりの「あたしがお世話をする」は結構ぼくと母を助けてくれた、何より、声を出して話すことが難しいぼくが、まわりの人と会話できる方法をカクトクできたのはのゆりのおかげだ。
☞6
ぼくには、母と、父と、それから何とか学校には行くと約束させたけど、学校と学習塾とピアノの日以外は僕にべったりののゆりと、あとは
看護師さん
体を動かすためのリハビリの先生
ごはんを食べるためのリハビリの先生
機械の調整をしてくれる会社のひと
他にも色々なひとが入れ替わり立ち代わり家にやって来てぼくが自分の家で暮すことを助けてくれた、母は、父に言わせると
「パパが研修医の時にはママはもう『手術部の鬼』って言われている超優秀な看護師さんで、手術中にちょっとでも触っちゃいけないところに触れそうになったりしたら即、死ぬほど怒られたんだ『センセイ!不潔ですっ!』って」
相当な敏腕だったらしいけど、そんな元・手術部の鬼をしても、家でぼくの面倒をひとりだけで見るのは無理だ、だってぼくはゴハンを口から食べられないから「注入」っていって、お腹のボタンから栄養を入れないといけないし、のどがゴロゴロ言い出したら息が詰まるから吸い取ってもらわないといけないし、薬も時間ごとに沢山必要だし、あとは体に接続した機械が体から外れてピーピーとアラームが鳴る事もしょっちゅうある
それが24時間365日。
だから昼間は入れ替わり立ち代わりお手伝いの看護師さんやリハビリの先生が来てぼくのことを助けてくれて、少し慣れたら今度は、ぼくみたいに体をうまく動かせない子どもばかりが来る幼稚園みたいな場所に母と週に何回か一緒に行った。
そうやってぼくは大きくなった、その間しょっちゅう入院もしたけれど。そして、のゆりは、家にいる時はずっとリビングに置かれたぼくのベッドの隣にいつも座って、四六時中ぼくに話しかけて、あとは絵本を読んだり、一緒にタブレットでアニメを見たり、大声で歌を歌ったりしてくれた。
正直すごくうるさい日もあったけど、まあそれはいいや。
それでぼくが3歳くらいになったある日、のゆりは11歳になっても、絵本の『はらぺこあおむし』の歌が凄く好きでしょっちゅう歌ってくれていたんだけど、ふざけて歌詞をカイヘンして歌ったんだ、いやカイアクかな、もう滅茶苦茶に。
ぼくはきちょうめんな性格だから、そういうのが本当に気に入らなくて、のゆりにコウギした「ねえ、のゆり、歌うならちゃんと歌詞どおり歌ってよ、月曜に食べたのはリンゴでしょ」って。
もちろん声は出せない、だから、瞼をぱちぱちと瞬きしてサインを送った、あとはリハビリの成果で少し動かせるようになった指先、てのひらで。
そうしたら
「みらい、お姉ちゃんが歌の歌詞勝手にかえたって怒ってる?」
そうだよ、ちゃんと歌って。ぼくは瞼をもう一度ぱちぱちした。
「ねえ!お姉ちゃんが言ってる事わかるなら、もう1回ぱちぱちしてごらん!」
ぼくは、もう一度瞬きした、こんどはゆっくり2回。
「大変!みらいとお喋りできる!ママ!」
母は最初、のゆりのこの主張を信じなかった。この子の今の状態でそれは難しいんじゃないの、のゆりは思い込みが激しい子だし、たまたまみらいが瞬きをしただけなんじゃないの。
でものゆりにはカクシンがあったそうだ
「絶対偶然じゃない」
それでのゆりは、毎日ぼくと、瞬きで会話する特訓を始めた。
「いい?みらい、おねえちゃんがいうことに『ハイ』なら瞬き1回、『イイエ』なら瞬き2回」
そういう感じ、ちょっとしたモールス信号だ、でもこれを毎日の食事とかお薬とかリハビリとかお風呂とかそういう事の合間にずうぅっとさせられてぼくは大変だった、のゆりは一度熱中しだしたらゴハンも着替えも宿題も忘れてしまうけど、ぼくはそうはいかないんだぞ。
☞7
のゆりとぼくのこの血のにじむような特訓の成果が実を結んだのは、ぼくの『瞬き通信』をのゆりがカクシンしてから3ヶ月くらいたったころだった。
という事は3ヶ月、ぼくはこの特訓に付き合った事になる。思えばけっこう大変だった。
のゆりは、この特訓の成果を、ぼくとのゆりが簡単なサインをつかって会話できるんだという事を証明したくて、ぼくの小児脳外科の定期健診の日
「あたし、今日のみらいの定期健診ついていく!みらいのこと、ノハラ先生に見てもらうの!止めても無駄!連れて行かないなら勝手に行く!」
そう言ったそうだ、母はあまり子どもを甘やかすタイプのひとではないけど、のゆりがこう言い出したら小学校の施錠されている門だってよじ登って出てきてしまうのをよく知っているので、しかたなく学校を休ませて一緒に連れて行った、母は大変だ、ぼくと言い、のゆりと言い。
それで、小児科の診察室にぼくと母と一緒に鼻息荒く乗り込んだのゆりは、診察室の扉を開くと同時にこう叫んだ。
「ノハラ先生!みらいと私はお話しができるようになったの!」
「何?本当かのゆりちゃん!それ今、ここで出来るか?」
ここで「ねえ君今日学校は?」とか「そういう可能性は薄いと思う」とか言わないところがノハラ先生だ、そしてこの2人はこのころ何故だかすごく仲良くなっていた、ふたりとも性格がよく似ているからかな。
それでのゆりは、自分が昔つかっていた「えあわせカード」を自分が背負ってきた赤いリュックサックの中から取り出して、野菜やくだものや乗り物の絵が描いてあって、裏にそれぞれの名前がひらがなで書いてあるやつをだ、それを僕の目の前に突き出して
「みらい、今からお姉ちゃんが、カードをめくっていくから、この中に車があったら、その時、瞬きを1回して」
そう言って、ゆっくりと一枚一枚カードをめくって、その「くるま」のカードが僕の視界に入った時、ぼくはのゆりの指示通りゆっくりと1回瞬きをした。
「じゃあ次!電車!」
「次!犬!」
「次!猫!」
ぼくはそのたびにのゆりの指示通り、そのカードが視界に入った瞬間1回瞬きをした。何回やっても正解を叩き出す僕とのゆりに、母も驚いていたし、何より、ノハラ先生が腕組みしながら前のめりにぼくとのゆりの姿をじぃっと見て何回も瞬きしていた、先生までぼくの真似をしなくてもいいのに。
「…いや、驚いた、これのゆりちゃんが1人で考えて、それでみらい君とのゆりちゃん2人で練習したのか」
「そう!みらいはなんでもわかっているの、みんながそれを知ろうとしないだけなのよ!」
「本当だね…先生はこの3年間、データと数値をずっと追っていて、みらい君にこんな事が起こせるなんあんまり思ってなかった、みらい君がのゆりちゃんの声に一番よく反応するのはわかっていたんだけど…これは、本当に凄いよ」
君は将来脳外科医になると良い、僕はもうこの時点で既に君に完敗だ、すごいぞのゆりちゃん、みらい君。そう言ってノハラ先生はのゆりに右手を差し出して2人は握手をした。
このときのノハラ先生の言葉はさすがに大げさだと思ったけど、こののゆりの考えた瞬き通信が、ぼくが「いったいこの子は何がどのくらいわかっているのか」それを周りの大人が知るための大きな突破口を開いた。
その後、病院でたくさんテストをしてみて
「みらい君にはふつうに年齢相当ことが理解できている、項目によっては年齢以上の理解度がある」
という事が判明して、のゆりは「そんなのあたりまえじゃない」と言ってトクイになった。のゆりは自分が昔使っていた算数の教材なんかをつかってぼくに足し算や引き算まで仕込んでいたんだ。そしてノハラ先生は混乱した「これは一体どういうことなんだ」って。
それで、ぼくは、この頃リハビリの先生たちのおかげで体の末端、指先とか、手首とかそんな場所ならかなり動かせるようになっていたから、こんなに色々わかっているのなら、と指先だけで簡単に動かせるタブレットがぼくの暮らしに導入された、ぼくみたいに体の自由のきかない子どもの為に色々な機械や通信機器を作っている会社のひとが僕に特別なタブレットや、電気で動くバギーを作ってくれたんだ。
おかげでぼくは、近い場所なら家族と旅行にいったり、のゆりと通信できょうだい喧嘩なんかができるようになった。
それで、父と母は思ったらしい
「この子はいずれふつうの学校に入れてやる方がいいんじゃないだろうか」
って。
☞8
父と母のこの提案をぼくはとても嬉しいと思った。
ううん、体が不自由な子ばかりの学校がイヤな訳じゃないんだ、でもあそこには少し寂しい事があって、ぼくもそうだけど、みんな体が弱いししょっちゅう体のメンテナスをするのに入院したりする、そうすると
「じゃあ、またあした」
という約束ができないし、あと、子どもの人数が少ない。
ぼくはにぎやかな学校にあこがれがあった、あと同い年の友達を作る事。
だからのゆりが行ってたみたいな学校がいいな、そうぼくはタブレットを使ってのゆりに伝えてみたけど、のゆりは「校則できまっているのよ」と言って毎日細かく編み込んでいるみつあみの髪をくるくるいじりながらこう言った。
「そう?学校なんてたいしていいとこじゃないと思うけど」
のゆりはぼくが4歳になる年に受験をしてすごく勉強ができる女の子ばかりがいる中学校にやすやすと入ったけど、あいかわらず学校と塾とピアノの日以外はずうっとぼくと一緒にいた、このころぼくは初めて気が付いたのだけど、のゆりにはあまり友達がいないみたいだった。
でも、そんなぼくの「ふつうの小学校」入学の希望は結構早い段階であんしょうに乗り上げてしまった、入学を希望した地域のふつうの小学校には、ぼくを受け入れるヨユウ、のゆりが言うにはキャパシティが無かったんだ。
それはぼくが、家や病院以外の場所で過ごすなら、医療機器の操作とか、お薬とか食事とか、のどの詰まりを取るとか、そういういろいろなお世話をする専属の人が必要な子どもだからだ。
その手のお世話は家族以外だと特別な資格をもっているひとしかできない、たとえば看護師さんとか。そういう専属の人を学校が用意できないから、もし入学を希望される場合はご家族が1日付き添ってくださいと、そう言われたという。
困ったなあぼくは小学校に入学できたら、その時はのゆりも高校生だし、そうしたら母に、「3度の飯より重症者のケアユニットが好き」「手術部の鬼」と父をして言わせたその母にまた仕事をしてほしかったんだ、母もよくぼくにこう言っていたから「手術室のあのヒヤッとした空気が懐かしい」って。
そしてこういう「不可能です」という課題にいつもムキになって抗うひとをぼくは1人知っている。
のゆりだ。
「無理って何?みらいがそうしたいって言ってるんでしょう、それはみらいの権利よ!」
「そんなポンコツな学校にわざわざ行かなくてもお姉ちゃんがみらいの希望がカンペキに叶う学校を見つけてきてあげる!」
それで、のゆりは3日3晩、家じゅうのパソコンとスマホとタブレットを独り占めして、寝るのも、ゴハンを食べるのも忘れて『みらいが楽しく通える学校』を探した。
ぼくが、のゆりそこまでしなくていいよ、ぼくは行く場所があるだけで十分なんだ、と言ってものゆりがこうなったら誰も止められない。母も父も「お姉ちゃんがああなったら、しばらく放っておかないとダメだ」と、夕ご飯の時間に何度呼んでも食卓にきてくれないのゆりの横におにぎりなんかを置いてあげて、あと「お風呂には入りなさいよ」とだけ言った。
そして3日目の朝、ぼくにこう言ったんだ。
「みらい、今週末、学校の面接を受けるよ!」
みらいは本気で、ぼくの受け入れをしてくれる小学校を見つけてきた、それはまだホームページも無い新しい学校で、そこの校長先生とメールのやり取りの末、ぼくさえ入学をリョウショウするのなら母の付き添い無しで入学を許可しますと確約を取ったのだと言う。
「学校にちゃあんと看護師さんもお医者さんもいるんだよ!」
「あと、面接の日は私が一緒に行くから!」
不思議なことに、その学校の『校長先生』はぼくの入学のための面接の同席者に、父と母ではなく
姉であるのゆりを指名したと言う。
☞9
面接の日の当日、のゆりは「面接なんだから」「アナタは保護者のかわりなんでしょ」と母に押し切られて学校の制服の紺色のセーラー服を着て、いつもみたいに髪をみつあみにした。
「休みの日にコレを着るなんてホントはいやなんだけど」
みらいの為なんだからありがたく思ってよ、と制服の白いネクタイを引っ張りながら恩着せがましくのゆりは言って、ぼくのおでこを小突いた、そんなこと言われたってさ。
ぼくはぼくで、「面接って試験のことでしょう、正装よねやっぱり」と生真面目な母が用意してくれた、真っ白いシャツと、胸元に『M』と刺繍のしてある紺色のカーディガンを着せられて、電動のバギーと、そこに外出用の医療機器をいつものように満載にして車に乗った。
そうやって到着した小学校は、まだ少し建設途中で、なるほど、これならまだホームページもつくれないよねと思いながら玄関の、もう完成していたスロープを上って、まだ天井がむき出しのエントランスから建物の中に入った。ああでも、段差は無いし、手すりもスロープもあちこちについているし、それにドアも全部ゆっくりと開く引き戸だ、ぼくみたいな子が過ごしすいようにできているんだね。
そして、通された『校長室』。ぼくとのゆりはいっしょに、というかのゆりがぼくのバギーを押して入室したんだけれど、そこにはちょっと変わった人が立っていた。
白髪まじりのアタマに、銀色のフチの眼鏡、穏やかそうな顔、そこまでは病院のお医者さんによくいる感じの男の人なんだけれど、着ているものがイワトビペンギン柄のシャツ、その上に何故だか白衣、そしてなんだか恐竜のぬいぐるみとか、色々な形の変な椅子とかに囲まれてニコニコしていて、ぼくは何だろうこの人、とすごく不思議に思った。
「こんにちは。みらい君、のゆりさん。僕がこの学校の校長です」
へえ、このおじさんが校長先生なのか、なんか思っていたのと違うな、そう思いながらその校長先生を凝視したけれど、先生はぼくの少しけげんな視線をとくに気にしないで、のゆりに、まあすわりましょうかと椅子をすすめてあげて、そして
「みらい君は、これで直接先生とやりとりしようか」
ぼくのタブレットと、先生のもっていたパソコンの通信アプリを起動して接続した、これで面接しようという事らしい。
そして、セットアップ完了、さあ何を聞かれるのかなあと思ってぼくが少し緊張したその時、校長先生はのゆりのほうを真っ直ぐに見て、のゆりにひとことこう言ったんだ。
「まず、のゆりさん、君は、杖を手放せるだろうか」
ぼくは、はじめ、この校長先生が何を言っているのか分からなかった。校長先生、のゆりはぼくと違って健康で健常な女の子なんだけど、普通に歩けるし、怪我もしていない。
突然そんなことを言われたのゆりも少しびっくりしていた、でも校長先生は気にせずこう続けた。
「僕はね、君からみらい君の入学の件でメールを貰った時、と言うよりはメールに添付された、凄い量のみらい君に関する記録を読んだ時にね、本当に驚いたんだ、文字数にして3万字超、各種画像データ、エクセルにまとめられている数値データ、それが大人の僕が舌を巻く程正確で精巧で、これをたった15歳の女の子が1人でレポートしてきたという事に本当に驚いたんだ」
そんなこと3日寝ないでやっていたのかのゆり、ぼくは驚いて、そしてのゆりの顔がぱあっと輝いた。
「そうでしょ。わたしは、みらいの事はなんでも分かってるの」
「それでね、ぼくは思ったんだ、君の能力、知能かな、これはふつうじゃないよ、それを君は小さい頃からわかっていたんじゃないのかな、そしてね、そんな力を持ちながらふつうの学校に行ってふつうに暮らすのは本当はとても力が居るんだ、胆力というか。だって君と周りの世界とは流れている時間とか感覚とかが全然違うんだから、君のまわりに真空地帯が出来てしまうというのかな、君はあたまが良いから、そういう事を過敏に感じ取って何とか周りに自分を合わせて調整しようとするけど、周りの子は感覚的に何か変だなと思ってちょっと君に意地悪したり、そうじゃなければ遠巻きにしようとしたりする、君はそういうの、すぐわかってしまう、それがまた苦しい、そういう感じ、なかったかな」
のゆりの表情が少し曇った、そうなのかな、のゆり。
「そんな時、君にはみらい君が生まれた。君とみらい君は本当に相性がいいんだね、とても仲の良いきょうだいだ、みらい君は君の助けがなければ、言葉とか理解とかいろいろな能力をここまで伸ばすことなんかできなかっただろうね、ぼくからすると本当に奇跡みたいだ。そして君はみらい君に夢中になった、みらい君には自分が必要で、自分が居なければ、自分がみらい君の伴走をずうっとしてあげなければいけない、それが自分の仕事で存在意義だって」
君はそう思ったんじゃないだろうか、でもそれは違うんだ。そう言って校長先生はのゆりの顔を覗き込んだ。
「のゆりさん、君はこれまでみらい君の事を本当によく助けてきた、でもそれと気づかずに沢山我慢もしてきた筈だ、だからもう君はみらい君から少し手を放した方が良い。みらい君は学校に行って友達を作って、色々なことを勉強して、将来、家族と離れても生きて行けるようになる、必ずそうなる。僕はそういう事をするための土台を作るための学校を今、ここに作ってる」
ぼくは、校長先生の話しを聞いていて、その話の中身の半分くらいはよくわからなかったけど、でも、頭の中でパチパチとパズルのピースがひとつずつはまって、今まで不思議だなあ、どうしてだろうと思っていた事を、ほんの少し理解できたんだ。
のゆりにどうして全然友達がいないのかとか、家ではぼくと遊んであとはピアノばかりひいていたのに難関中学の受験にあっさりパスしたこととか、それなのに学校なんか全然楽しくいないよと僕にこっそり言っていた事とか。
のゆりは、今にも泣きそうな顔をして、そしてそれから小さな声で
「わかった」
と言った。
そしてぼくはその日、入学する小学校をそこに決めた。
☞10
あの日、みらいとみらいの学校の面接に行った日、私はちょっとムカついて。
そして安心した。
あの校長先生の言葉はすべて真実で、私が内心もやもやして言語化できないままよく理解していなかったことまであの先生は勝手に言い当てた。
私がふつうじゃない事
友達がひとりもいなくて何なら少しいじめられていた事
いつも周りと合わせられなくて苦しかった事
それをパパやママに言ったらきっと2人が困るだろうと思って黙っていた事
そしてみらいに依存して生きていた事
でもそのみらいのせいで沢山我慢もしてきた事
だって、8歳のあのころの私には世界があまりにも鋭利で馴染めなくて、そんな時みらいが無事に産まれて来てくれて、それがうれしくてうれしくて生後8ヶ月のみらいに殆ど無理やり会いに行った時、あんまり真っ直ぐ私の事をみてくれたからその時、私は思ってしまったんだ、私はこれからこの子の為に生きようって。
みらいさえいてくれたら私は。
みらいさえいてくれたら私は。
みらいは私を否定しないし、おかしいとかきもちわるいとか言わない、みらいは私が頑張ろうねと言った事をいつも一緒に一生懸命やってくれて、みらいはいつも家にいてくれて、みらいは生まれてからあの日まで私の杖だった。
でもあの日からやめた。
それでついでに学校もやめた。
ママもパパ最初、オマエは急になにを言い出すんだと言って怒ったけど、私が言い出したら聞かないのを2人ともよく知っているし、なぜかこの時はみらいが私の味方になってくれた
【のゆりのすきにさせてあげてほしい、ぼくのいっしょうのおねがいです】
あの穏やかなみらいがそこまで言ったら、パパもママもそれ以上もう何も言えなくなってしまって、それで、私は付属の高校には進学しないで、通信制の高校に行きながら好きな事を好きなように毎日勉強している。
このことを、みらいの定期健診にくっついて行ってノハラ先生に報告した時、ノハラ先生は「そうかあ」と言って少しも驚かずに私にこう言った。
「僕があの時に君に『脳外科医になれ』なんて言ったから、僕は責任を感じていたんだ、君はすこし難しい子だからね、好き勝手しているように見えて周りの期待に一生懸命応えようとする、あの、みらい君と君がたった2人で意思疎通の方法を考えて僕に披露してくれた日にさ、僕は本当にうれしくてねえ、ついあんな事言ってしまったんだ」
でも君はアイツに会ったんだろう、そしてアイツに何か言われた。
『アイツ』というのは、あの校長先生の事らしい、ああやっぱり先生たちは知り合いだったのね、私はあの面接の日の後、人の事を何もかも見透かすみたいにずけずけ言ったあのひとが一体何者なのか気になってしまって即調べたけど、あのひとの名前を検索したらいくつも学術論文がヒットして、そこに書かれていた肩書は
【小児脳外科医・医学博士】
「みらいにべったりなのはやめたけど、私、脳外科の先生になるのはやめないよ、ノハラ先生も、あの校長先生もみんな面白いし、みんなかなり変人だし、私にはあってそう」
「そうか、じゃあ先生はまだまだ引退できないなあ、まってるよ」
ノハラ先生は嬉しそうだった。
となりで、みらいもすこし笑ったような気がした。
☞11
のゆりが突然、フゾクの高校には進学しない、私の好きにやらせてほしいと言い出した日から1年とすこしたって、のゆりは通信制の高校に通い、ぼくは2年生になり、そして学校で面白い友達ができた。
ハルタというその子は、ぼくとちがって、自分で動けるし、食事も普通にとることができて、おしゃべりもできるし、とても元気だ、あと計算がものすごく早い、でもおちつきがなさ過ぎて前いた学校は途中でやめちゃったんだって。
そのハルタに初めて会った時、たいていの『ふつうのひと』はぼくのすがたを見ると、すこし眉間にシワをよせたあと、すっと視線をはずすんだけど「あんまりみちゃいけないみたいなものを見た」という感じ、でもハルタはぼくを見た時、目を全然そらさずにぼくのところまでまっすぐにツカツカと歩いてきて、まず、こう言った
「おはよう!おれハルタ!」
それでぼくは発声ができないから、タブレットの音声で挨拶しようと思って指をゆっくりうごかしていたら、そういうのを全然待ってくれなくて、次にこう言った
「おまえしゃべれないの?」
すごいストレートだ、そのときぼくは思った、この子、のゆりに似ているなって。
ぼくらはすぐに仲良くなった。ハルタが面白いのは、ぼくが電動バギーに乗っていて医療的なケアが必要ないわゆるしょうがいのある子だという事をスグに忘れてしまう事、あるときなんか
「みらいはえらいな、おとなしくできて」
と言われて僕は脳内で大爆笑した、ハルタ、ぼくは大人しいんじゃない、動けないだけなんだ。
おかげで、ぼくの2年生の生活はすごくカラフルで楽しいものになったんだけど、ここにきてまた少し体の具合が悪くなってしまって、今は入院中。
昔々直した筈のお腹の中のキズが、小児外科の先生に言わせると
「当時、相当細かく切って繋げたからなあ、今癒着がひどいんだ、一ぺん開いて盛大にはがしてスッキリきれいにしよう」
お腹の中でキズとキズ同士がくっついてしまっているらしくて、ぼくは人生通算、もう数えるのを忘れてしまったけど何回目かの手術をした。
それでもう2週間くらい学校を休んで病棟のベッドでひとり天井ばかり見ていた時に、ぼくの着替えなんかを届けに来てくれたのゆりが、大笑いしながら僕の病室に飛び込んできた。
「みらい!私!私みたいな子が来てる!」
そう言って即、ナースコールで看護師さんを呼んで
「あの、この子、みらいを病室の外に出していいですか?主治医のノハラ先生に聞いてみてください!」
そう頼んでいたら、次はノハラ先生がにゅっと僕のベッドのカーテンの隙間から顔を出した。
「みらい君、おっ!のゆりちゃん、見たか?昔の君そっくりな子が病棟の廊下にいるぞ」
病棟のロビーなら少しくらい出てもいいよ、よし先生がバギーに乗せ換えてやる、そう言ってノハラ先生はぼくをベッドから起こして移動用のバギーに乗せて病室の外にだしてくれた、そうしたら病棟のロビーと病室のフロアを隔てるガラスの自動扉の前にハルタが居た、ハルタどうしたんだ、なんでここにいるんだ。
「みらい!」
「おーい、ここに昔ののゆりちゃんみたいに、開閉ボタンに飛びついてる子がいたんやで!」
小児循環器医の先生だ。のゆりが勝手に僕に会いに来てしまったあの事件の時、まきぞえをくったその先生が今度はハルタを止めていた。
ハルタは、ぼくがあんまり学校に来ないから、心配になってバスと電車を乗り継いでここまで来てしまったんだって、もちろん勝手にだ。
ぼくはびっくりしたけど、なんだかうれしくなって、のゆりの方を見た、のゆり、今のぼくにはちゃあんと、ぼくの事を心配して病院にまできてくれる友達がいるんだ、まあ、やりかたはすこし間違っている気がするけど。
【ハルタ、ぼくはもうだいぶげんきなんだ】
「ほんと?」
【あと1しゅうかんくらいかな、またがっこうにいくよ】
「うん、おれまってるから」
ぼくらはちょっと話をしてから、ハルタはこれ、といってぼくに掌にしっかり握っていた飴をくれた、だから、ぼくは何も食べられないんだってば。
そうして、ハルタは
「私が送って行ってあげる!」
というのゆりに襟首掴まれて帰って行った、なんか恐ろしい組み合わせだけど、のゆりはもう17歳なんだし大丈夫だろう、多分。
ねえ、のゆり、ぼくらはなかの良いきょうだいだ、そしておたがいいろんなことがふつうじゃない、でもきっと大丈夫だ。
ぼくはぼくのじんせいをいきる。
のゆりはのゆりのじんせいをいきろ。
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