やや不調。
生物学上女の体を生きていると、一生の中で何度か身体の大幅なメタモルフォーゼを経験することがある。
既に経験したものでいうと、思春期と妊娠期。
前者は大体の女の人が経験するもので、後者は妊娠をすることを、確固とした意志を持って臨んだ場合と、偶発的に発生した場合があるのだけれど、とにかくそれが起きて継続することを選択した場合とにかく体調が悪くなる。入院してしまう人もあるくらいに。
身体が成長し成熟してゆくことは、生物としては正しいことだし。繁殖も生物としてはまっとうな、そして本来的な営みであるのだけれどこれ、大体の場合はひどく落ち込んだり、えらいこと眠たかったり、酷くふさぎ込んだり、頭痛がしたり、顔面に妙な湿疹ができたりと、思えばホルモンバラスが乱高下する思春期と妊娠期はよく似ているのだなあと、これを書いていてふと思ったりなど、したのでした。
ともかくも「で、それが人体に起きたとして、いったいそのひとに何の得があるねん」と突っ込み必須の身体の劇的変化における体調不良不具合を乗り越えたはずの現在四〇代半ばの私は、今年のあの暑い暑い夏の終わりごろからとにかくしょんぼりして、なんかもう元気が出ないというか、世界に嫌われている気がするというか、あああたしにはもう友達なんかいないんだわ、誰もあたしのことなんか愛してくれないんだわというよく分からない思春期メンタルがずーっと続いていた。その上朝起きて
「だる…」
という血圧の低い若いお嬢さんのようなことを呟くようにもなった。元来わたしは、血圧がやや高めであるがゆえに、起床時の起動が爆速であることがウリの人間であったのに、これはどういうことかしらんとちょっと不思議に思っていたら、最近買い物で立ち寄ったドラストにそれの答えが落ちていた。
「更年期とは四十六歳ごろから約十年程の間に女性の体に起こる体の変化のことです」
体調不良にはいのちのナントカという文言を覚えていたわたしはふとあの「女性のッ!お薬ですッ!」をパッケージのベビーピンクで強く主張するお薬の箱を手に取った。真ん中の娘がバス遠足で、小さい頃から車酔いがひどいその子のために、トラベルミンを買いに来たついでの出来事だった。
「これは…自分のことでは」
生来物凄く健康で入院した経験は三度のお産の時のみ、そして身体頑健であるが故に自分の不調の原因をあまり追及するという習慣のなかったわたしは、自分の不調を「元気でないな…酒でも飲むか!」というお医者さんが聞いたら背後から打腱器で殴られそうな解決方法を取っていた。
そして気分が塞ぐのは、そもそもが『明るく朗らか』という気性とは逆方向の人間なので「そういうものかな」とも思っていた。実際、普段からあまり盛り上がると言うことが無い。フラッシュモブをされたら恥ずかしくて死ぬかもしれないし、夢の国であるところのディズニーランドは「かわいいし、楽しそうやな」とは思うけれど「疲れそうやな…」がまず先に立ってちょっと手が出せないし、フジロックに行ったら腕組みして直立不動でステージを見上げているタイプ。
慢性的な感情の低空飛行。感受性が常態的に家出中。
そういう人間なもので、自身の体調不良や気落ちをあまり内省というか反芻する習慣が無かったのだけれど、体調不良だとか疲れやすさ、気分のふさぎ込み方、何より年齢を鑑みると、これが更年期障害というヤツなのでは。
わたしにもとうとうやって来たのか、人生二度目の思春期が。
ぜんぜん嬉しくないぞ。
加齢が嫌だとかいまさらなことは言わないというか言うつもりはないけれど(にんげん、誰しも年はとるものだし)今、体調が悪くて気分が塞いで普段から明るくも朗らかでもないのにさらに低調子になるのが困るのだ。
だって今我が家には人生最初の思春期の一三歳の娘と(些細な事ですぐ怒る)、慢性的に反抗期で口八丁の一五歳児と(絶対部屋を片付けない)、最近「今日は学校に行きたくないの」と言って玄関前に座り込むようになった六歳児(すぐ泣く)がいるのもので、そこでいちいち
「あ、今日はママは具合が悪いので寝て過ごします」
なんてことができない、できないのだよ。今日も「ママが学校にいないので寂しいということに気が付いてしまった」という今更な気付きを得た六歳が玄関ドアにしがみ付いて「断固登校しません」というので血圧は上がるは気分は下がるわ。それで仕方なく二時間目から付き添いで登校させ、その後五時間目にいつものように彼女を迎えに行ったらフツーにお友達と談笑していた、なんなんだ。
思えば昔々の産後すぐの頃
「産後に無理をしてはいけません、更年期の不調が重くなります」
という文言を、保健所のどこかで見かけたなあと思う今日このごろ。
そしてわたし個人が「産後に無理をしたかどうか」という件については心当たりがありすぎる。特に最後のお産の時、先天疾患持ちの子どもが出生直後即NICU入りして暫く出てこられなかったので、母であるわたしのみがひとり退院し、退院したその日から母乳を絞って冷凍したものを保冷バッグに入れてせっせと病院に運んだのだ。あの時は産後すぐの体で自転車に乗ると、おしもがたいへんに痛いのに加えて貧血で倒れるという知見を得た。いらんかったのにそんな知見。
それだからできたら今、疾患児ちゃんや低体重児ちゃんを産んで毎日一生懸命母乳を絞ってはNICUに運んでいるママ達にはくれぐれも無理はしてもらいたくないなあと思う吉宗であった。じゃなくてわたしであった。疾患児障害児業界は我が子の新生児期超人的な働きを、すなわちとんでもなく無理をして婦人科系の、あるいは免疫系の病気になったというママのとにかく多い場所なのだ。それを持ち前の頑健さで免れたはずのわたしをしても四〇半ばを過ぎた今「今日はとっても元気!」という日が殆どないのだから。
あんなに一生懸命我が子を生かして生きて欲しいと頑張ってきたのに今、この仕打ち。神様、なぜなのですか。
むしろ逆に「四〇過ぎたらスターマリオ状態になれますよ!」くらいの特典があってもいいのになあと思いながらそれでも日々は、まだまだ続く。
さて、こうして愚痴みたいなことばかり言いながら「まあひとつ読んでやるか」という人があるからこうして書いている訳なのであって、これを読んでくださっている皆様には本当にありがとうございます。そしてこのテンションの低さにはたまにいい事があって、わたしはこうして文章を書いては時折賞というか、公募というものに自分の文章を出して、それで本当にごくたまに小さな賞をいただくこととか、どこかの雑誌に載せていただくということがあるのですけれど、ついこの前、児童向けの雑誌で『佳作』をいただいた短編小説の選評で、わたしの文章を「大げさでないこと、丁寧であること、そう、文章が落ち着いているのだ」という言葉を頂いて、それがなんだかたいへんに嬉しかったりしたのでした。ばんざい。