短編小説:霊感少女(短編集・詩を書く2)
変人と思われながら生きていく自転車ギヤは一番軽く
子どものころから僕は、姉の奏のことがとても好きだった。
僕がはっきりと奏のことを覚えているのは奏が高校生のころからだ。僕らは12歳差のやや年の離れた姉弟だった。その頃の奏は高校生と言っても紺色の制服を纏って黒い革のローファーを履いて毎朝学校に通う生活は送っていなかった。奏は普通の高校には通わず通信制の高校に通いながら家の近所でアルバイトをしていた。
それは別に僕の家が娘をひとり高校に上げてやれない程に困窮していたとかそういう訳ではなくて、奏本人が
「普通の高校に行って制服を着た普通の子の真似をしてすごすことを自分はしたくない」
と言ったからだった。
奏のアルバイト先も少し変わっていた。そこは八千代さんという目の悪いおばあさんが自宅で営んでいる古い鍼灸院で、近所のおじいさんやおばあさんの社交場のような場所だった、というよりもそれはほとんど高齢者むけのデイサービスセンターみたいな空間で、その静かでやや寝ぼけた色調の空間に、当時は金色での魔女のように真っ黒いワンピースで、耳には星の形をしたピアスをいくつもつけている奏は浮いているなんでものではなかったけれど奏は周囲の
(なんだその髪は耳は服装は)
という視線と、実際にそう言って服装や髪をもう少し目立たないものにしなさいと咎める両親のことばを全く気にせずほどんと毎日その鍼灸院に通い、そもそも奏のその奇抜な恰好がよく見えてない八千代さんの隣でタオルを畳んだり、会計をしたり、それから来院した人に健康茶を出したりしていた。治療はしない、雑用だけ。でも時折
「あの人、背中の左下の所がすごくイヤな感じ、できるだけ早く病院に行った方がいい」
そんな風に来院するひとから感じたことを八千代さんにそっと耳打ちする。そうすると八千代さんは、その奏の言葉を
「あんた腰のところがね…少し変ていうか、なんだか心配な感じなのよ、病院に行く時間てある?できれば早い内に、行って何もなければ、年寄りは心配性だなって私に文句言って頂戴」
相手が怖がらないように幾重もの薄布のような言葉に包んで奏の懸念をそっと伝えた。そうすると大体の場合は結構な病気が自覚症状もないうちに発見され、八千代さんはとても感謝されるのだけれど、奏はそれが自分の口から出た言葉だとは絶対に言わないでほしいと八千代さんに頼んでいたらしい。
奏はそういう人だった。小さな頃から異様なほど勘が鋭いのだ。例えば自宅から飛行機に乗らないと会いに行けない程遠くに住む親戚のおじさんのことを突然「おじちゃん死んだねえ」と言った瞬間にその人の訃報を知らせる電話がかかってきたり、母がダイヤモンドの指輪が無くなってしまったと困っていると「洗濯機の裏できらきらが泣いてる」と言い出しもしかしてと洗濯機をずらしてみるとそこに指輪が落ちている。それに驚いた大人が
「どうしてわかったの」
と聞いても
「みえたから」
と言い、それ以上のことは何も言わない。
それは年齢を追っていくごとにどんどん明瞭な予言となり、そうしているうちにだんだんと回りの大人は奏を気味の悪い子だと遠ざけるようになった。そして大人がそういう態度でいると子どもも同じような、いやそれ以上の態度をとるようになるものだ。奏には僕が覚えている限り友達というものがいなかった。奏を見ると皆、墓地で黒猫を見てしまった時のような顔をしてあからさまに避けて通るのだ。それでも低学年の頃はまだ皆、奏の不思議な力に対してやや半信半疑というか、寡黙で少し暗い同級生くらいに思っていた子もいたらしい。奏の孤立が決定的になったのは奏が小学4年生の頃、独身の担任教師が妊娠していると授業中に言い当てた事件のあとだ。
「先生のお腹に赤ちゃんがいる、お父さんは遠藤先生」
果たしてそれはまごうかたなき事実だったのだけれど、父親だと名指しされた学年主任の遠藤先生は同業者を妻に持つ既婚者だった。先生はその事実を知っていてどうするべきかずっと悩んで思いつめていたのだろう、まるで宇宙のように真っ黒な瞳で誰にも知られたくなかった秘密を言い当てた奏の顔を怯えた目で見てから教卓に教科書を叩きつけて
「なんなのよアンタ!」
そう叫んで教室を飛び出して学校からも逃げ出し、翌日自宅で縊死しているのが見つかった。そしてそれはテレビや雑誌で結構センセーショナルに報道され、当時ちょっとした騒ぎになったらしい。
父も母もそんな奏を持て余していた。うちは父が市役所に勤める公務員で母が自営というか自宅の1室でピアノ教室をやっている普通の家で、神社でも宗教団体でもヒーリングサロンでもない。そこに奏のような子どもが生まれたことは、毎日市役所でどこかの誰かの戸籍を間違えずに記録して管理するという現実的な仕事をする父と近所の子どもを相手に根気よくバイエルを教えることを愛する母、2人には少し荷が重かったのだのだと思う。
でも僕は、そんな奏の特殊な生態をあまり恐ろしいとも奇異だとも思っていなかった。そういうひともあるのだと思っていた。それに奏は弟の僕にはその他人からすると妙な『予言』をすることがほとんど無なくて、その代わり毎月の25日にはバイト代が出たからと言って、僕に駅前の本屋で漫画とか、鍼灸院の近くで昔からやっているケーキ屋でエクレアを買ってきてそれをそっと僕の机の上に置きにこりともせずに
「いらなかったら捨てて」
と言った。それはだいたい僕の欲しかったものばかりで、だから奏は奏なりに年の離れた弟である僕をかわいがってくれていたのだと思う。僕にはそれがちゃんと分かった。だから僕は毎週火曜と金曜の学習塾の帰りには必ず鍼灸院の前で奏を待っていて、仕事あがりの奏と家までの道のりを一緒に手を繋いで帰った。そうやって遠くの夕日を背にしながら自宅への細い路地を歩いていると、時折向こうから歩いて来た奏を知る誰かがあからさまに嫌な顔をして奏と僕を避けて歩くことがあった、そんな時いつも僕はぎゅっと強く奏の手を握った。
(たしかに奏は人とすこし違う人間なのかもしれないけど、そんなにあからさまに忌み嫌うことはないじゃないか)
僕の小さな正義感だったのだと思う。
僕らには普段あまり会話もないし、特に何かを一緒にすることもない、けれど互いを思い合う普通の、仲の良い姉弟だった。
だから僕が12歳の時、奏が家から出て行ったと聞かされた時はとても哀しかった。
12歳の冬、僕は小学校でちょっとした事故にあった。掃除の時間に友達と階段の踊り場でふざけてよろけてそのまま階段の下まで転がり落ち、後頭部を強く打って救急車で搬送された時はかなり危ない状態だったらしい。しかし僕は運よく一命をとりとめ、怪我の治療のためにおかしな形に髪の毛が刈り込まれてしまっているのを鏡で見て
「なんだよこれ!」
と泣き笑いをする程度に回復した頃、僕は毎日病室に着替えやタオルを持って来る母に
「奏はいつ来るの?」
と聞いた。普段の奏は僕がちょっと風邪をひいてもそれをひどく心配し、まるでこの世の終わりのような顔で僕の様子を何度も見にくるような人だった。そのころの奏は鍼灸師の専門学校を出てそれで正式に鍼灸師として働いていた。だからきっと僕が色々な管に繋がれて眠っている間も仕事の帰りに必ず病院に来てくれていたのだろうと思った。でも
「お姉ちゃんはね、家を出て1人暮らしすることになったから、もう家にはいないの」
母はそう言い、その後は
「響、ヤクルト飲む?お母さん下のコンビニで買ってきたの、ミカンのゼリーも」
話をやや強引にはぐらかそうとした。僕はどうして突然奏がいなくなったのか、引っ越したってそれは一体どこなのか、あの八千代さんの鍼灸院に行けばまだそこで働いているんでしょう、そんな風にして色々と母に聞いたけれど母は『奏はもう家にはいない』ということ以外はのらりくらりとはぐらかして教えてくれなかった。そうして奏の行方を聞き出せないままの僕が退院して自宅に戻ると、確かに奏の部屋は奏の使っていた家具だけを残していつも着ていた黒い服も、靴も、沢山の書籍も、小さなピアスの類に至るまで、まるで最初からそこに無かったかのように何もかもが煙のように消えてもぬけの殻だった。そしてその日、僕が退院するからと少し早めに帰って来た父にも
「奏はどこに行ったの」
そう聞いたけれど、父も母と同じで何も教えてはくれなかった。だから僕は学校の帰りに奏の勤め先だった治療院に行き奏の行先を聞くことにした。夜のうちにやって来た寒気が霜柱を通学路に作る寒い冬の日の夕暮れ、僕が意を決して鍼灸院の建物の蔦の這う門扉に据え付けられた「ブー」という昔っぽい音のするベルを鳴らすと、薄暗い絨毯敷きの廊下の奥から「はいはい」と言いながらゆっくりと出てきてくれた八千代さんは僕が何も言わないのに
「響ちゃんだね、お姉ちゃんのこと、聞きにきたんだね」
と言った。僕はまだ自分はどこのだれか名乗りもしていないのに八千代さんが僕のことも、僕の訪ねて来た要件もぴたりと当てたことに驚いて、声も出さずに頭を上下に振って頷くばかりだったのだけれど、八千代さんはよく見えていないはずの目で僕のことをじいっと見つめ
「うん、これはそうだわねえ、わからない子だわ」
八千代さんの言う『これはわからない』が一体何のことなのかぜんぜん僕にはわからなかったのだけれど、八千代さんはうんうんと頷いて、僕に更にこう言った
「あのね、奏ちゃんには今ちょっと時間がいるの、あと…そうね10年くらい待ってあげて。大丈夫、奏ちゃんはあなたの事をとても好きよ、だから必ずまた会えるわ」
八千代さんはそう言って静かに微笑んだけれど、僕は八千代さんの言った10年という時間の長さに悲鳴を上げるみたいにしてこう言い返した。
「『ちょっと待って』が10年後だなんて長いよ、僕は大人になっちゃうし、奏もそのころにはもっと大人だ、僕は今、奏がいないと寂しいんです」
「そうかしら、私には22歳の君も34歳の奏ちゃんも、新芽のような子どもに思えるけれどもね、とにかく今は焦らずに待っていてあげて」
八千代さんはきっと奏の行先もどうして家から出ていってしまったのかもすべて知っていたのだろうけど、八千代さんの自宅の入り口にいくつも並んだ赤い花のシャコバサボテンのように控えめににこにこと笑うばかりでそれ以外のことを何も答えてはくれなかった。そうして僕がどれだけ待っても奏はそのままお正月にも夏休みにも一度ももどらず、そのまま僕は奏のいなくなった家でひとりっ子のようにして育った。
それで僕が家から少し遠い私立大学のいまどきあまり流行らない文学部を卒業して、粘り腰の就職活動の末に何とか小さな出版の会社に滑り込んだころ、僕は丁度あの日の八千代さんの言った約束の10年目が僕の人生に既に訪れているということをすっかり忘れていた。
もちろん奏のことを忘れたことはないし、母や父にも時折、機嫌のよい時とか、奏の誕生日なんかに
「ねえ、奏はいまどこでなにをしているのかな」
できるだけ自然に、お天気の話をするみたいにして聞いたりすることはあった。でも母も父も
「あの子は根無し草というのか、あちこち住まいを変えてしまうからわからない」
と言い、それなら連絡先を教えてくれないかと、それはスマホを買ってもらった高校生の頃に頼んでみたのだけれど
「あの子は携帯電話なんか持っていない」
そう言われた。奏の生態というのか性格をよく覚えている僕はそれがあながち嘘だとも思えず、そして僕の姉であり僕の両親にとってはたったひとりの娘である奏が何年もほぼ音信不通である不自然さというものは日常の中さらりと溶けていってしまい、奏が不在のままの月日は何となく、ややつくりもののような穏やかさの中に過ぎていってしまった。
そして約束の10年目の僕が22歳の春の今、僕は長く付き合っていた恋人に突然捨てられて心身が使い古された汚い麻袋のようになっていた。
それはある日突然、いつものように週末に僕が1人暮らしをしている小さな賃貸アパートに泊まりに来ていた恋人にコーヒーを淹れて、それをイタリア製の大きなマグカップに注いで手渡した時
「結婚するからもう君とは会えない」
と言われて、まるでそれがもう何年も前に約束されていたことのように一方的に終焉を迎えたもので、22歳の僕にはその『結婚』と言う言葉があまりにも非現実的な、なにか遠くの国の難解な言語のように思えてつい
「あ、そうなんだ、そっか…」
そんな曖昧な返事をしてそのまま恋人をじゃあねと軽く手を振って、しかも笑顔すら作ってアパートのドアの外に見送ってしまった。人間は突然想定外の出来事が起こると思考が停止して普段通りの行動しかできなくなるのだなあと、この瞬間の僕は自分に妙に感心していた。でも思えばその時にちゃんと
「それは一体どういうこと、君は僕と付き合っていたのじゃないの」
そう言って話し合うとか、その場で泣いて暴れるとか、きちんと説明を求めるとか、とにかく何かするべきだったのだ。でも僕はそれができなかった。そのまま僕の恋人は僕の電話もメールもすべて着信拒否にした。それでも相手の自宅の住所と勤め先も知っていたのだからそこに突撃するとかすればよかったのもかもしれない。でもこの時僕は、恋人に捨てられたことで自分の中から消えてしまったものがあまりに多く、それで体の中に均衡というものを失っていて相手と納得がいくまで話し合うとか裏切り者と罵倒するとか、その手のことを実行する気力も体力も自分の中にはもう1gも残っていなかった。
大学1年生の頃に生まれて初めて好きになって付き合った人だった。10歳年上だった恋人は高校を卒業したばかりの僕には随分大人に見えたし、聞けば皆が「へえ」と少し感心するような立派な仕事をしていた。僕はその時だれか人に教えても「ふーん」と言われない程度の大学の学生で、見た目も、これは今もだけれどすれ違う人が振り返ったりはしない凡庸で地味な人間だった。だからいつも恋人の傍らにいる時はやや気後れしていて
「ねえ、僕は君には不釣り合いだよね」
そんなことを言たった、でもそういう時はいつも
「そうかな、君はそのままで十分魅力的だし可愛いと思うけれど」
そう言って僕の頬を指の腹で優しく撫でてくれる恋人のことを僕はとても、それこそ気が狂うほど好きだった。だからその人がまるで「引っ越しをして光回線の手続きが終わった」くらいの事務的で抑揚のない口調で
「結婚するので君とは別れなくてはいけなくなった今後一切連絡しないでほしい」
と言い捨てて僕の前から消えてしまった後しばらく、本来は新人が率先して取らなくてはいけない会社の固定電話も音が遠くで鳴っているような感じがしてよく聞えないし、辛うじてそれを受けても声もまるで陸に上がった魚のようにパクパクと口は動くのに言葉が出てこないし、メールは個人宛のものを㏄Allで送信してお前はバカかと怒られるし、それから何を食べても味がしないというのか、砂場で転んで口を切ってしまった時の味がするようになった。
それで挙動不審で著しく痩せてしまった僕のことを、会社の人達がとても心配して
「ねえ、大丈夫?どこか具合が悪いんじゃないの」
そう言って口当たりのよさそうなゼリーやプリンをそっと差し入れてくれたり、一度病院に行った方がいいのじゃないかと言って総合診療科のある病院を教えてくれたりしたのだけれど、僕は
「ちょっと個人的なことで気が塞ぐことがあったので少し落ち込んでいるのだけれど特に重篤な病気ではないんです、すみませんご迷惑おかけして」
としか言えなかった。でもその中で僕の教育係である皆川さんが
「あのさ、私、去年『女性の健康』についてのムック本を出した時にそういう落ち込みとか?未病っていうの?なんか病気じゃないけど調子が悪いって時に効く東洋医学みたいなものの編集を担当したの、そういうの平気なら近くだし行ってみる?ひどく気落ちしてる時ってさ、絶対に体の調子も悪くなるもんだよ」
心と体は連動しているんだから。そう言って、キレイなカラーイラストが表紙の雑誌を開いて僕に差し出してくれた時、僕の目はもうすでに高校生になる息子さんがいるという皆川さんの母親っぽい心遣いとか、えくぼのできる柔らかな手の甲の形とかよりもなによりも、その特集記事の中でインタビューに答えている30歳くらいの年ごろの、青灰色の髪の女性の顔にひきつけられてそこから視線が動かなくなった
奏だ。
「あの、あのあの、皆川さん、ここの『スピカ鍼灸院』の田所奏って人、まだここにいます?」
僕は立ち上がりそれを叫ぶようにして聞くと、皆川さんは突然の僕の大声に驚いていたけれど
「え、ああ多分ね。つい1か月前に私も行ったし、彼女ここの院長だし」
そう答えてくれた、つい最近、どうにも右肩がこわばって治らないのは心霊現象かそれでなければ四十肩だと思いそこに行った時に奏に会っていると。
「院長?」
「そうよ、この人がここの経営者なんだもの。不愛想だけどいい人よ、この田所さんがどうしたの、アレでも田所君も田所だね」
「姉です、この人、僕の実の姉なんです。10年前に突然家からいなくなったんです」
そう言うと皆川さんは驚いて、立ち入ったことを聞くけれどと前置きしてから
「それは色々込み入ったご家庭の事情がある話?お姉さんが激しくグレてたとか?駆け落ちとか?宗教とかマルチがらみとか?」
と僕に聞いた、それについて僕はまだ子どもだったからよくわからないのだと言い、でも姉である奏に自分はずっと会いたいと思っていたのだと言った。そうしたら皆川さんも他の同僚たちも、何せ皆雑誌編集というものが生業であるので好奇心がとても旺盛で、僕のことを一斉に囲み、そうであるのならオンライン予約をしてから客という形で一度会いに行くのはどうかと提案をしてくれた。
「名前と生年月日を見れば、実の弟が会いに来たんだって直ぐにわかるでしょ、嫌なら予約を断るなり、本人が応対せずに他のスタッフを寄越すだろうし、会いたいと思っているのなら本人がでてくるのじゃないかな」
同僚のひとりがそう言い、仕事の早い皆川さんは会社のパソコンでその治療院の予約を取りそして僕のカバンを手に取ると
「田所君、いいから早退しなさい、最近の絶不調に加えて生き別れのお姉さんがすぐ近くにいるかもしれないなんて、今日はもう仕事になりゃしないでしょう」
そう言い、僕は会社のあるビルから半ば追い出されるようにしてぽいと外に出された。この時の僕は、つい先日恋人に捨てられたことなんかすっかり忘れて、同僚のひとりがプリントアウトしてくれた地図を片手に奏がいるらしい治療院の建物を目指して、生真面目な小学生のようにわき目も降らずにずんずん歩いていた。驚いたことに奏が院長であるというその施設は僕の勤める出版社のあるビルのすぐ近くに存在していた。
奏はそういうのをあの不思議な力で全てわかって知っているのだろうか。
そんなことを考えながら背の高いビルの立ち並ぶ本通りから3度角を曲がって歩いてその裏手、そこだけ時間に取り残されたように古い住宅街に入ってすぐの場所、そこに奏の治療院はあった。二階建ての青い屋根に、蔦の絡まる門扉とその中に植えられて用手入れされている植木、道路にはみ出す勢いのアロエの生い茂り方、昔の八千代さんの鍼灸院によく似た建物のスロープのある玄関に奏は黒っぽいワンピースに長い髪を束ねて立っていた。
「もう来る頃かと思って」
10年ぶりの僕らの再会に奏はいつも通りの抑揚のない声で、10年前と髪の色以外は然程変わらない姿で、にこりともせずに待っていたと言った。
「そういうの、わかるの?やっぱり」
「だってネット予約しただろう。丁度予約時間ぴったりだから前に出て待っていた。あんたのことはわからないんだ、昔からそう。他の人のことは、例えばその人が無くした大事なものとか、体の悪いところとか、誰にも言いたくない隠しごととか、ちゃんと見えるのだけれど」
「えっ?」
「あんただけ分からないんだ。だからあの時、学校の階段から落ちて怪我をするかもしれないから注意しなさいって言ってやれなかった。それであんたに怪我をさせてしまったことがとても辛かった。10年離れてみて今、改めて大人になったあんたを見ているけれどやっぱりわからない、でも少しだけ…今すごく辛い出来事に囚われているんだってことはわかる」
奏は、ものごころついた頃から自分の近くにいる人が強く想っていることや不安に感じていることやあとは、病気や怪我をするかもしれないとかそんなことを、電波みたいな形で無意識に自分の中に捉えて『見て』しまっていたのだと言う。
「それって何、airdropみたいな感じ?脳内画像共有みたいな?」
「まあそんな感じ、それが人によってとても鮮明な動画で見えたり、少し荒い画像で見えたりする。体の悪い場所は黒いもやがかかったみたいにして見える。でもそれもはっきりと目視できる場合と、ふっと煙が横切った程度にしか見えない場合があって、それは多分相手との波長の問題なのだと思う」
昔の八千代さんの自宅に中の造りもそっくりな治療院の中の大きな1枚板のテーブルとそこに置かれた手作りっぽいまちまちな形の椅子に腰かけ、僕と奏は温かい番茶を飲みながら10年ぶりの会話をした。どうしてあの時僕の前から姿を消してしまったのか、なぜずっと連絡をしてくれなかったのか、この10年一体どこで何をしていたのか、僕には聞きたいことが山ほどあった。でも奏はそれにはあまり答えてくれずにただ
「あの時は助けてあげられなくてすまん」
奏らしい、武士みたいな口調で僕に頭を下げてばかりいた。
「何がそんなに『すまん』なんだよ、未来のことなんか誰にも分らなくて当然だろ。そんなことよりも僕は奏がよく晴れた日の雲みたいに突然キレイさっぱり消えて、お父さんもお母さんも奏のことを「はじめからいない子」みたいに扱うし、とにかくこの10年凄く寂しかったよ、どうしていなくなったりしたんだ、僕は奏のことをお化けみたいだなんて言ったことは一回もないだろ、僕には奏はたったひとりしかいない姉なんだから」
「響がいつも私を『普通の姉』だと思って接してくれたのでそれがとても嬉しかったし自分には何よりの力になった。だからちゃんとこの10年この妙な力と向き合えた、ありがとう」
「奏はどうしてちゃんとまともに僕の質問を回答で返してくれないのかなあ、そうじゃなくて僕は…僕はもうあんな形で僕の前から消えて欲しくないって言っているんだ、奏はもう僕の前から消えていなくなったりしないだろ」
「うん、私はもう大丈夫、だからここに自分の家を作った。響がそうやって私のことをずっと待っていてくれるってちゃんとわかっていたよ、私はあんたに恩がある。だから今、その恩に報いたい」
「そんなの…いいよ、もう僕の前から突然いなくなるってことはしないよって約束してくれるならそれで。僕とはこれからこうやっていつでも会って話をしたりできるんだろ。そうだ、八千代さんにも会いに行こうよ、すっかりおばあちゃんになったけどまだ元気だよ、僕たまにあの近くのケーキ屋さんのエクレアを持って会いに行ってるんだ」
「いや、それよりまずやることがあるだろう、行こう」
どこに?
という僕の言葉を遮るようにして奏は立ち上がり、僕をその家の裏の勝手口の外、自転車の置いてあるガレージのような場所に連れて行って、とにかく黙ってそれに乗れと赤い自転車を指さして言った。そして自分はその後ろに乗るので今から言う場所に連れて行けと言いながらビニール袋に入った『家庭用水性塗料・白』の缶を自転車の前かごに放り込んだ。
「どこに行くんだよ、奏は昔からそうだけど、いつも行動に脈絡が無さ過ぎだよ」
「桜町の堤下会計事務所に行こう。ここから比較的近い、堤下悟という男の職場だ」
僕は奏の言葉を聞いて自転車から転げ落ちそうになり、左足を踏ん張って辛うじて堪えた。どうして奏の口からその人の名前が出るんだろう、僕は首の後ろからかっと高温の血液が頭頂部に登って顔が急激に赤くなったのが分かって、顔の熱さとは対照的にこめかみのあたりから冷たい汗が噴き出した。
『堤下悟』というのは僕と4年付き合って挙句、別れ話の代わりに「俺は結婚するから君二度と連絡をしてくるな」と言って僕の前から逃げて消えた僕の恋人だ、僕らは同性同士の恋人だった。そしてそれは少数派というのかそこまで一般的なことじゃないし悟には仕事上の立場もあるらしいし、だから僕らは周囲には自分たちの関係を一切言わずにずっと付き合っていた。
「ねえちょっと待って、さっき『アンタのことだけはわからない』って言ってたよね、それってウソじゃん、筒抜けじゃないか、ひどいぞ、プライバシーの侵害だよ」
「アンタのことは分からないけど、アンタの周囲にふわふわと残って漂っているその堤下とかいう男の思念のようなものは分かるんだ。卑怯な男だ、弟をそんな風に傷つけるなんて許さない、結婚式に乗り込んでやってもいいが、それだと皆があんたのことを知ることになってあんたも傷つくだろう。だから今行って高そうなスーツを白く塗りつぶしてやるくらいにしておく、丁度これをガレージの内壁を塗るのに余分に買ってあったんだ、役に立った」
僕の跨った自転車の後ろの座席にいざ座ろうとしている奏は大まじめだった。僕がそんなことをして相手が警察に訴えたりしたらどうするんだと言ったら
「そうしたら、向こうも詳しい事情を警察に話すことになる。そんなことを己の保身のために結婚するからと言って恋人を使い古しの雑巾みたいに捨てる男がするとは思えない。もし社会的立場から結婚しなくてはならないと、何かそういう致し方ない事情があったとしてもそれならそれであんたに誠実に謝罪するべきだ、私は姉として断固抗議する、行こう」
そう言うと僕の背中を軽く叩いた。
(困ったなあ、せめてその家庭用水性塗料とかいうのをブチまけるのだけはやめてくれないかな)
奏を見つけて、早退してからどれくらい奏の治療院で話し込んでいたのか、時計はもう17時すぎを指していた、日の傾く時間だ。そう思って空を見上げるとそこは桃色と茜色を混ぜた絵の具のような鮮やかに懐かしい色に染まっていた。それで僕は昔々、奏と一緒に帰りたくて八千代さんの鍼灸院の前でシロツメクサを蹴りながら奏をずっと待っていた頃のことを思い出し、その時に鍼灸院から出て来た奏の嬉しいのだかそうでもないのか分からない表情を思い出して、なんだか少しだけ楽しくなった。
10年の歳月を経ても、奏は奏だ。
「なんかさ、奏って、その不思議な力がなくてもやっぱりちょっと変わってるよね」
「そうだとも。変人は変人らしく生きるしかないのだって、この10年で私は悟ったんだ、行こう」
僕は10年ぶりに再会した姉と自転車にのって茜色を背中にいくつもビルのある街の方向に向かって走り出した。僕には奏のような不思議な力はないけれど、奏が今とても嬉しい気持ちで僕の背中に掴まっているのだけは、奏の掌から伝わる体温ではっきりと、そして確実に分かっていた。
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