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お盆の、発達検診の日の話。
昨日、娘②の定期の発達相談があった。
これは娘②が長期入院経験のある心臓疾患児で、過去は経管栄養で栄養を摂取していて、今は酸素ボンベを背負う医療的ケア児で、その為に
「お母さんがご心配であれば、定期的に受けていただけますよ」
そう地区担当の保健師さんから勧められた疾患児育成地域特典みたいなもので、1歳7ヶ月の頃から半年毎にお世話になって今回で3回目。
新版K式発達検査の形式で子どもの言語や手の巧緻性その他色々をテストした後、付き添いの親との簡単な面談になるこの検診は、割と毎回私の心臓を貫いてきた。
初回は、人見知りが過ぎた上に、その検査に出てくるような手遊び、これはあまり口外するものではないのでここでの記載は差し控えるけれど、その頃まだ人見知りも激しく、ついでに直前まで入院していて手足を拘束されまくっていた為にその手の事を全然やってこなかった娘②は
(このちと、なに…ちてるの?)
そんな感じで固まってしまい、結果結構な知的な遅れを指摘されるという結果を得て、だって今は退院して直ぐなんだし、とは思ってみても、この時私は3児の母として培った筈の育児の経験側と今後の伸びしろという言葉を忘れて少し泣いた。
2回目、2歳になってすぐの時の検診では、発語に単語とほんのり二語文が出てきているものの、当時は気位の高い王女の如く初見の他者に対して愛想が無いのが行き過ぎてもう高慢な態度だった娘②は、心理士さんとの言葉のやり取りを拒否、あらゆる手あそびや、道具を使ったテストの方法論を丸ごと無視して
(それ、かちなさいよ、そのうしろのもよ、ぜんぶぜんぶ!)
心理士の先生が持参したテスト用の道具類を、全部見せて頂戴、そしてそれ全部貸しなさいよとテストの8割方を拒否。娘②ちゃん、お座りして、どうしたの、いつもちゃんと座れるでしょう。そう言って隣でひたすら、大人しくしろ、先生の言う事を聞きなさいと説得する母の事を素無視したこの2歳児には各種発達に『半年かそれ以上の遅れ』という評価が下った。
ちなみに「いつもちゃんと座れるでしょう」という私の言葉は勿論、嘘だ。
◆
それで今回、3回目のこの時には、もう少し本人に積極的かつ協力的にこのテストに参加していただけないものだろうかと画策した私は
「娘②ちゃん、ママと午後から楽しいところ行かない?センセイにおもちゃで遊んでもらえるよ」
そう期待を持たせるような事を言った。思えばこれがいけなかったのかもしれない。
8月の迎え盆の日、暑い暑い真夏の日差しを避けながら、汗だくでたどり着いた保健センターで、最近新調した黄色い花柄のサンダルに、モンベルのチェックの帽子をかぶって、お気に入りのムーミンのワンピースを着た娘②は
超絶不機嫌だった。
そもそも診断に使うカードとか、積み木とか、その手のお遊びが全然好きじゃないんだ、この娘②は。
おもちゃは?お遊びは?アタシは洗面所の水を出しっぱなしにしてそこに浸かって水遊びしたり、にぃにのお机の引き出しからプリントとかノートとかを出し放題出してビリビリにしたり、それからねぇねの大切にしている髪留めとヘアゴムの箱をひっくり返すお遊びが最高に好きなんだけど、そういうのは?
そんな意味合いの
「ママ、オモチャハ?ネエネエ、オモチャハ?」
を繰り返し聞かれ、着席を促されても、お名前を聞かれても不思議そうに小首をかしげるばかりで答えられず、指示された手遊びやゲームを適当にもしくは全然指示通りやらずに、3分に1回は立ち上がって私の方に向き直した挙句
「ママ、コレヤッテェ!」
流石の3人目、隣の母親を使って大々的にカンニングし、何より
「ネェェ…センセイハァ…?」
地の底から湧き上がる如き恨みの発声でその生誕以来最高の仏頂面を向けてきた。
この娘②にとって、会いに行って嬉しいそして会えて楽しいセンセイというのは大好きな小児循環器医の主治医のセンセイであって、目の前にいる品の良いマダムという風情の優しい心理士のセンセイではなかったらしい。
そして、3時間位やってましたよねと思われる程難航した数十分のテストの終了後、心理士のセンセイからの講評の第一声は
「ちょっと多動の傾向にあるかもしれませんね」
だった。
知ってた。
◆
「苦しかったらまずしゃがみ込むし、動けるのは本人的にしんどくないから」
と小児循環器医の主治医から言われていても、この娘②の毎日の動きは本当に目まぐるしい。
心臓の疾患の所為で体内の酸素飽和度は酸素を吸入していても85%、使っていなかったら80~70%のこの娘②は走り回れば息が切れるし、階段を上り切るのも大儀だし、なんならスロープを上り下りする時だって息切れする癖に。
おはようからおやすみまでひたすら小走りで家じゅうを徘徊し、洗面台で水遊びをしだしたと思ったら、ベランダのレモンの鉢を穿り回し、その後パパのお弁当のおかずをテーブルに登って掴んで食べたかと思うと、突如、衣類をすべて脱ぎ捨てて
「オフロハイル!」
そう叫ぶその瞬間までが、朝の5時から大体7時の2時間の中で実施されているのだから、この娘②の動きの激しさ、悪戯のディティールの細かさ、そしてこのすべての動きを封じようとして抱きかかえようと試みれば、「キー!!!」という超高音の金切り声を上げてそっくり返り、挙句に手近のモノをすべて床に放り投げて大あばれするその横暴さ。
それは結構すさまじい。
お陰で毎日床のものを拾い放題拾う私の姿は24時間の3分の1位姿勢がミレーの落穂拾いだし、夕方にはそんな疲労が蓄積してもう動けなくなる。
そしてその朦朧とした意識下で私は最近よくこんなことを考えていた。
「この動きの目まぐるしさ、癇癪の激しさ、お兄ちゃんが2歳の頃にそっくりや…」
お兄ちゃんは診断済みのADHD児、現在11歳の小学6年生。
◆
だから、心理士のセンセイに「多動の傾向あり」の所見を聞いた時には
「そうですよね…そうでしょうね…」
という気持ちにしかならなかった、だってこのみちはいつか来た道だから。
ああもう少し大きくなったらお兄ちゃんの時みたいにWISCを受けさせてその結果次第では主治医から大学病院の小児神経科の医師の診断に回して貰って、そうしたらまた診療科が増えるのか…何診療科も回るの大変だなあ…。
そういうあと数年後の予想と予測を割と冷静に考えながら聞いた
「焦る事はないんですが、やっぱり手先の動きなんかには遅れがありますね、半年分位かな」
これは所見で正式で正確な診断結果ではないんですがと言いつつ出された心理士のセンセイからの講評はなかなかに辛辣だった。でも、特殊な環境で育って来た疾患児としてはきっとかなり優秀な方、何より手術と手術の間に何のアクシデントも合併症も起こさず前回の手術から1年超、自宅で家族と共に育って来た娘②は疾患児の生育状況としては、本当に幸運な、幸せな子なのだ。
でも、私はがっかりしてしまった。
「この子はもう来年には普通に幼稚園に入れるのだから普通の子の発達に追い付いているんじゃないのかなあ」
「むしろひとつ位は普通より抜きん出て優秀な事があるかもしれない」
と暗に期待していたから。
そういう所が、私はさもしい。
◆
「這えば立て、立てば歩めの親心」
という、これはことわざなのか、故事なのか、親たるもの、今があれば次、次があれば更に次と求めて子を育てていくものだというこの文言を自分は、疾患児を持った時にどこかにポイと捨ててきたものだとばかり思っていた。
生きてくれていたら、生きてさえくれていたらいい。
と思って「重度の心臓疾患です」と新生児科医に宣言されてからこの方、2歳8ヶ月まで娘②を育てて来たしこれからもそれでいいじゃないのと思っていたのに、この娘②の身体条件に反した横暴…いや成長ぶりはここのところ主治医も舌を巻く程で、私はだんだん『普通の子ども』への期待をこの娘②に託すようになっていたらしい。
子どもの可能性を伸ばしてやること自体は愛、なのかもしれない。
でもそこにエゴが混じってしまうとどうだろう。
例えば、ウチの息子は、手前味噌だけれどとても頭がいい部分がある。
「部分がある」というのは、バランスが非常に悪いから、それこそ数字に関する事とどうでもいい事への記憶力は突出しているくせに、相手の心情に即した発言文言文章作成がほぼ出来ない、将来大丈夫か息子と思う位。
それでも、この息子の問題行動が少なくて、まだ「賢い子だね」と言われていた低学年の頃私は少し得意だった。
だって私の息子が賢いんだから。
私が産んで、私が育てている息子が。
私には私の評価すべてを息子が背負っているように思う時期が一時あった。
そして、それは中学年以降、発達特性故の問題行動が頻発するようになってから打ち砕かれたというか、私が踏んで壊して土に埋めた。
息子が賢くてスゴイのは息子が持って生まれた才能だという事を忘れてはいけない、それを忘れて息子を自分の評価指標にしていたらいつかこの思うに任せないを通り越して、次に何をしでかすか皆目わからない男の子の一生を私が「どうしてできないの」「何でアンタはそうなの」「本当に駄目だね」とかいう酷い雑言で支配することになってしまう。
まあ割と今も日常で「何でアンタはそうなの..」位は言う、かもしれないけど。
私には子の成長を願い助長する親の愛みたいなものと、子を自分の期待と理想に沿った人間にしなければならないというエゴみたいなものの線引きが、親というものになって11年を経た今でももうひとつよくわかっていない。
でも、今回、発達検診を受けて、夏の一番暑い時間、日に照らされて灼けたアスファルトの上をとぼとぼ歩いていた時に感じたあの「がっかり」の底にあるものはエゴだと思う。
だから私は自分をさもしいと思った。
ただ、そんな時、私はひとつ回復の呪文を持っている。
それは私の人生の中の「育てにくい子」の先人である息子が、最初に発達障害の診断を受けて、そしてその後も診察を担当している小児神経科医の先生が息子を評して
「まあ、障害というか何と言うか、この状態がさ、息子君の在りようだからね!」
こんな風にこともなげに言ったこの言葉。
もうこれは誰が悪いとか、何が良くなかったとか、病気とか治るとか治らないとかそう言う事じゃないんだよね、というこの言葉を私はずっとずっと覚えていて、こういう時、何度も脳内で復唱する、呪文の如く。
娘②の今の在りようはどんなだろうか、ちょっと普通より落ち着きが無くて、それなのに心臓の機能が普通より良くなくて、超絶ワガママで気が強くて、酸素ボンベ付きで、来年は手術が待っていて、各種発達が周回遅れ。
それは娘②の在りよう。
それが娘②の在りよう。
そう思いながら午後3時前の誰も歩いていない歩道を日陰を探しながら歩いていたら
「ママ、カキゴオリ、チュクロウネエ」
帽子の中を汗でびっしょりにしながらひょこひょこと元気に私の前を歩く娘②がそう言った。
『おうちに帰ったら一緒にイチゴのかき氷を作ろうね』と留守番役の息子と娘①と皆で約束していたんだった。
そうだね
かき氷、
かき氷。
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