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タイガースじいちゃん

あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!

というのは『ジョジョの奇妙な冒険・第3部』のポルナレフさんの台詞だそうですね、引用したけれど実のところ未履修なんですよ、ジョジョを読まないままに大人になった私であるもので。

で、ありのままに今起こったことを。

うちの5歳、職業幼稚園児、学年年長さんは毎朝私の送迎で幼稚園に通っている。

雨の日も風の日もときに雪の日も。雪の日に自転車というのは嘘でも偽りでも誇張でもなく、雪深い北陸の山村に育った私は都会の降雪程度では自転車を降りない、No bicycle No Life 、平たくいうと車の免許を持ってない。

幼稚園バスもあるにはあるし、そのバスの停まる最寄りのバス停は家から徒歩5分。それに乗れたらどんなにいいでしょうと夢見ながらPanasonicの電動自転車の後ろの座席に5歳を乗せ、毎日坂を上り坂を下って早3年。

その幼稚園バスにどうして5歳を乗せていないのかと言えば、5歳は24時間、医療用酸素を装着して(病床で鼻に透明の管をつけている人があるでしょう、あれです)自宅では小型冷蔵庫くらいの大きさの酸素の機械に、屋外では一見小さなプロパンガスのように見える黒い携帯用酸素ボンベに繋がれているという案配のちょっと扱いが難しい子だということで、入園の時に乗車を遠慮したまま、今はもう年長の2学期のおわり頃。

お陰様で、毎朝毎朝

「えーと、ほぼ遅刻なのですが?」

という時間帯に5歳と5歳の荷物を乗せて街中をそこそこの速さで駆け抜けているのが私であって、今5歳とその家族全員が暮らしているのが、緑の山々に向ってまっすぐな一本道の続くのどかでなだらかな田舎とはいかない関西の私鉄沿線中規模都市、それなりの都会であるもので幼稚園に辿り着くまでは4つ、信号待ちをすることになる。

それで今日もまた、さあ幼稚園に行くよという出がけになって

「ピアノの練習しなあかんねんけどぉ」

とか

「かみのけ可愛くして?」

とか

「うちのカービィちゃん知らん?」

とか、ねえねえそれいま絶対せんならんこと?カービィちゃんのぬいぐるみは帰ってから探そう?というやり取りをせんならん5歳に翻弄され、やっぱりほぼ遅刻風味の時間に家を飛び出した私と5歳は、家から3つ目の信号までをすべて青でスムーズに通過してあとひとつ、一番大きな交差点で赤、信号に引っかかった。

(まあでも、そこそこいいタイム)

そう思って、自転車にまたがったまま信号が青になるのを待っていた私の隣には「今から現場いかなあかんねんけど、めんど」という風情のつなぎに黒いダウンのお兄さん、そのまた隣に阪神タイガースのキャップを被ったおじいちゃん、そして背後には若いお嬢さんが3人程、同じように信号が青になるのを待っていた。

今朝は陽が昇った後も随分と気温が低くて、5歳はモンベルのフリースを着こみ、更にノースフェイスのダウンケープにぐるぐる巻きにされ(寒さに弱い心疾患児に山の装備は最適解)、他の信号待ちの人達も、ちょっと首をすぼめるようにして背中を丸めていた。

そうしたら隣の、黒ダウンにつなぎのお兄さんが、もしかしたらこれから気の張るところにいかんならんとか、ちょっと嫌な仕事があるとか、何か気の塞ぐことがあったのでしょう「ひとつもおもんない」という顔をしてポケットから煙草の包みをひとつ取り出して1本咥えると、ライターをとても自然に取り出したのだった。

いやまって。

さてここで、5歳は冒頭『医療用酸素を常時携帯、装着している』とあったことを記憶していると思うのですけれど、酸素というのは支燃性、火の傍にあったらその炎を強く燃焼させるという性質をもつもので、小学校の頃の理科の燃焼実験のご記憶がある方もいらっしゃるかなと思うのだけれど、とにかく、よく燃したいのやったらええけれども、基本的に酸素なんか火に近づけんなやという性質のもの。そして5歳と医療用酸素は1歳半で受けた心臓手術直後からの長いお付き合いであって、その件については

「家に煙草とか吸ってる人、おらへんやんな?」

と退院前のカンファレンスで看護師さんから確認されたものだし、さらには退院後、誕生日の直前に主治医からも

「こういう小さい子は煙草とか、ガスコンロなんかよりアレや、お誕生日ケーキが危ないからな、気をつけて」

と言われたものだった。お誕生日ケーキのろうそくを吹き消す際にうっかり酸素を装着したままろうそくの灯に顔を近づけてそれがぶわりと燃え、顔を火傷したなんて事故がわりにあるのだそう。

実際、何年か前に医療用酸素を使っていた子が火の事故で亡くなっているのも知っているし、私はこの件についてとても慎重だった。5歳もそれだけはしっかりと躾けられていて、火を使っている時のキッチンには絶対に入らないし、お誕生日のケーキのろうそくを吹き消す時は、自分で勝手に酸素の機械の電源を切る。我が家の卓上コンロは電熱のものだし、炭火でのバーベキューはやらないと決めているし、焼き肉屋さんにも行かない。5歳がうっかり火傷なんかしないよう、いつもとにかく気を付けていた。

のだけれど隣のライターは不可抗力ですよあなた。

その時そこから咄嗟に離れようにも、私は電動自転車にまたがっていて、それをお使いの方にはお分かりいただけると思うのだけれど、電動自転車ってそもそも子乗せであることが多いので作りががっしりしっかりしていて本体自体が異様に重たいし、その上子どもを乗せているとその子の分重たいし、スポーツサイクルのようなものに比べて断然小回りが利かない。しかもこの時の私は左右前後を人に囲まれていて、ちょっと身動きがとれるような状態になかった。

これはあかん、隣のお兄さんはちょっと強面ではあるけれど「ここで火を使わないでくれませんか」とか言わないと、そう思ったその時

「オイ兄ちゃん、となりのお嬢ちゃんが酸素使うとるやろが、ここで煙草なんか吸うたら危ないわ、アカンがな!」

などと結構な大声で叫んだのがそのまた隣のタイガースじいちゃんで、私は度肝を抜かれたし5歳は驚いて多分固まっていたと思う、背後でビクッとした後しばらくぴくりとも動かなかった。

そして、怒鳴りつけられるような格好になった強面つなぎのお兄さんは、虚をつかれたというかとにかく驚いたらしい。それで「なんやねん」とか「やんのかコラ」などと言い合うこともなく、互いに胸倉掴んで大立ち回りということも勿論なく

「…ッス」

と言って会釈するように軽く頭を下げるとすぐに煙草とライターをポケットにしまってくれた。そしてちょっとそこに居づらくなったのか、横断歩道を避けて駅の方にむかって歩いて行ったのだった。もしかしたら、本人も無意識にやってしまったことだったのかもしれない、ぼんやりしていたし、習い性というのかな。

タイガースじいちゃんに私は御礼を言ったけれど、じいちゃんは

「ええねん、ええねん、火ィついてたら危ないもんなァ?」

なんてブンブンと両手を振って、ちょっと照れくさそうな、大変にいい笑顔を私と5歳に見せてくださった。

じいちゃんが5歳の医療用酸素に気が付いたのは、じいちゃんの妻である人が肺の病気で、5歳と同じ医療用酸素を使っていたからなんだとか。

タイガースじいちゃんは5歳の顔をしげしげと見て「こんなに小さい子どもやのに不便なモンつけて可哀想やなァ」と言い、しかしさらに続けて

「まあでもこんだけ可愛いんや、そのうちなんなとようなる、きっと長生きするわ!」

という医学的エビデンス要素ゼロの励ましと、さらなる笑顔を5歳に贈ってくれた。そうしてタイガースじいちゃんは信号が青に変わった瞬間、ほしたらな!と手を上げて颯爽と横断歩道を渡り、開店直後のスーパーに吸い込まれて行ったのだった。

このように、時に街中には医療用酸素を装着した状態で自転車に乗っている子どもがいたり、それを小さなカートでがらごろと運搬しながら歩いている大人もいたりするので、出来たらその人の近くでは火を使わないでくださいねというお話しでした。

そしてタイガースじいちゃんの愛妻(多分、きっとね)は、もう亡くなられているのだそう。それがあっての「この子は長生きするで」という言葉であって、それはきっと「長生きするのやで」という祈りと同義だなと私は思ったのでした。

その人がなんだかとても優しい、いい人であったよという今朝のできごと。

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