自由

今日は羽田空港の落雷の影響に巻き込まれた。ギリギリのところで飛行機は飛んでくれなんとか終電で帰宅、現在お風呂に沈んでいる。
羽田で扉を閉めて1時間飛べるかわかないと待機するしかなく本当に欠航寸前だった。実際に私達の便以降の欠航が先に決まり、客室乗務員さんもどうなるかわからないと申し訳なさそうな顔をされていた。周りの人が家族に連絡しなきゃと言っていた時、私はすごく自由を感じた。
私がその時考えていたことは「欠航になったら宿どうしよう、お金ないなあ」ということである。別に親に連絡することもない、翌日の予定がオンラインの為コワーキングスペースを借りれば解決する。特に報告する他者もいない、ただでかい声でSNSを動かし友人と喋るだけである。なんの気兼ねもない非常に『自由』なのだ。
このようなトラブルに巻き込まれる度に思うことは一つ、
『今ここで僕が死んだら周りの人達は大変だろうなぁ』ということである。お酒が好きになっていることや今関わっているプロジェクトの事を何も親は知らない。Twitterのことは大学の友達には誰にも言ってないし多分言わない。なんでいま某プロジェクトに関わっているのかを話した事は誰にもない。けど方プロジェクトは親(今気付いたけど僕って家族って表現全く使わないんだね笑)も全面バックアップだと思っている。だから間違って事故にでも巻き込まれたら大変だなと愉快な気持ちになる。
本題へ。小さい頃から親は色々なことをさせてあげようとしてくれた。けど僕自身身体が弱かったということ、親の目標はいい大学に進学していい職について独り立ちさせることだった。だから親がさせてくれた色々なことの影には上記の目標がチラついていた。運動神経が悪く芸術の才能もない、容量も悪く不器用な私がかろうじて人並みに出来るのは勉強だったので親は見る目があったのだろう。(実際には親自体がそれ以外の道を知らないだけであろうが)なので感謝していることは感謝しているが正直息苦しさもあった(今もある)。今も息苦しさや呪縛から逃れられていないが自由にやれていると思う。日々勉強。
 自由には責任がついてくる。僕が今背負っている1番大きな責任は親に対して。自分が取り組んでいることについて何も言ってないところから責任を果たしていないというのは目をつぶって欲しい。多分ううん絶対理解してもらえない。特にいます1番楽しいことを父親には。「そんなことしてなんの役にたつんや」って言われる。そしてやることのデメリットどころやらない方がいいということを説教されるのだ。説明する機会無いくせにとか言わないでください、これも親の呪縛なんだと思うんですよ。
話を戻します。自由には責任がある。親から今得ているのはお金。学費や家賃など、親にお金を出してもらっている立場。自由は勝手に作っているもの得ているものではない。自由にお金はかかっていないよね、、 けど責任にはお金が絡む...
なんでだ?わからなくなってきた......
(1時間ほど考えてきた。お風呂は冷たくなり身体はふやけてきた。)
責任にお金が絡んでいるわけではない。ただ責任の取りようがお金以外にないからお金で解決しようとしているのだと思う。
 ここで思ったこと。
親子関係は1番お金で解決できない問題だと思う。じゃあさ、親に対してどうやって責任取ればいいの?

ps.今回のテーマは責任と呪縛かもね。

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