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良心の囚人、善悪について

ようやくここまで辿り着いた。


良心の囚人、という言葉を聞いたことがありますか?


良心の囚人(りょうしんのしゅうじん)とは、国際的民間人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルが提唱している概念で、非暴力であるが言論や思想、宗教、人種、性などを理由に不当に逮捕された人をいう。アムネスティー・インターナショナルの創設者ペーター・ベネンソンが評論『The Forgotten Prisoners』で初めて用いた用語である。
                         ———Wikipediaより

私がこの言葉を知ったのはSDGs関連のFacebookグループからです。



お察しの通り、良心の囚人には政府に都合の悪いことを言って逮捕された人たちなんかも含まれるでしょう。

支配構造に善悪をこじつけると、大変なことになります。

それがあるから三権分立という仕組みがあるんですね。


日本は言論の自由があるのでまだ良いですが、それもこの先どうなるか…。


人は人を裁きたい生き物なのかもしれない。

みんな正義の味方になりたいんだ。


悪になろうと思ってなる人はいないと聞いたことがある。

実はみんながやってることって自分にとっての正義なんだよね。


善悪なんてものは容易に反転しうるものだと思う。

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私が思う善悪のイメージを絵にしてみました。

(所用時間二分。絵が下手でごめん(笑))

The good(白)が善、The evil(黒)が悪です。

左下と右上は目のつもり。


善悪の境目ってそんなにはっきりしてるものでもないような。

個人同士ならまだしも、組織を作って対立構造で善悪を論じあう、ってのはやめた方がいいような気がする。

その善悪とは、「組織にとって都合の良い善悪」だから。


価値観も善悪も 多数決で決まるなら
もしかしたら 生まれる場所を間違えたのかもな

罪悪も合法も 多数決で決まるなら
もしかしたら百年後は もう全員罪人かもな

                 ———amazarashi『多数決』より引用

全歌詞はこちら。


amazarashiについて書いた私の記事はこちら。


わざわざ「対立」という言葉を書いたけど、世の中には対立を煽る人たちがいる。

本当にヤバイ人は実はこの人たちなんだ。

覚えておいて。


日本は前科者に非常に厳しい。

前科のあるなしはわかりやすいからだ。


ただ、それだけでは見えてこないものがあると思う。

前科こそないが悪どいことをやってる人なんて結構いるでしょう。

(どういう奴らとは言わないけど)


今の世の中、罪を犯すかどうかの瀬戸際で必死になってる人っていっぱいいると思う。

日本が生きづらいのって、やっぱり寛容さが足りないからじゃないのかなあ。


極論ですが生きてきて人に迷惑をかけることをしたことがないっていう人はいませんよね。


これ以上罪人が増えて欲しくない。

そういえば、キリスト教なんかでは自殺も罪とか言ってたような…。

だけどこのままだと…。


なんて、最近は人のために悩むことが多いなあ。

自分にはどうしようもできないことではあるんだけどね。


関連書籍(どれも積読中)。

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