無駄の削減と効率化、でもミニマリストにはなりたくない。
意識を変えるのっていうのはなかなか難しい事で
今までダラダラと生きてきたのにさっと新しい人間になれたりっていうのは無いわけです。
自分はもちろん(?)ダラダラと生きてきた人間なので
なんとかしないとなあという思いを毎年元日になると思い、抱負にし、今年こそはと思いながら、気がついたら大晦日になってたりします
なので数年前から俺みたいなぐーたら人間は少しづつ変えていけばいいんだと思い、今年はこれをちょっと変えようくらいの心意気で日々の生活の改善を図っています
タイトルにある通り、最近は如何に無駄を減らして効率的に動くかということをなるべく考えて動くようにしています。
自分は趣味も多くあるので、日々やらなきゃいけないことややりたいことから逸れて、あんまやってないけど好きなことに時間やお金を取られてしまうことが多くありました。
なのでまず趣味を捨ててしまおうと思い立ったわけです
趣味を捨てるって全然簡単なことじゃないんですけどね、要はどこに注力するかちゃんと決めようということです
人間同時にできることって大してないので
どの趣味を大事にするか、どれをやらないとする
やらないことで得た余裕を如何にやると決めたことに回すか
書き出してみると書いてあることは当たり前の事なんですが、意外と人って出来ないです
悲しいことに流されちゃうんで
なので結局は小さなことを積み重ねて、変わっていくしかないんですよね
ああ、そうだ、自分が言いたいほんとに大事なことを言い忘れるとこでした
こういうミニマリスト的な考えの人って、全ての無駄を削減したり
究極の効率化を実行しちゃいがちなんですよ
必要最低限のもので生きるのが美徳みたいなね?
そういうことをする人って人間としても必要最低限になってしまうと思うんです
もっと余裕が欲しい、余分なことを考えたくないと思っていたら
余裕を持つことと余分なことを考えないことが目的になってしまって
なんで余裕が欲しかったのかとか、余分なことを考えないのが何のためだったかっていうこと忘れてしまうんでしょうね。
なのでそうならないように効率化や最適化を図る時には
・何を一番大事にするべきなのかをまず決めて、それを忘れないこと
・大事にするものは自分の感情が込められるものにすること
の2点は必ず守るようにしたほうがいいですね。
自分の感情が良い方向に揺さぶられる物や、心から愛するものは
無駄や効率などの理由で手放してはダメです。
なぜなら人生の豊かさや、生きる意味というものはそういったところにもあるからです。
さてさて部屋の掃除でもしようかな。
それではまた