それでいいのか、それでいいのだ。~自民党幕府時代に生きる我々の選択~
衆議院議員総選挙が4年ぶりに実施され、マスメディア各社の予想に反して、自民党の安定多数確保=勝利に終わった。
私は、元来政権交代可能な2~3党による国会運営が相応しいと考えている。
参政権を得てからそのような理想に基づき投票行動を実施してきた。
しかし、今回もそのようなこと起らず選挙前と変わらぬ国会及び政権運営が行われる。
欧州の価値観を取り入れてからはや150年以上が経った。
日本国には、法の下の平等、三権分立、議会制民主主義が確かにあると教科書では習う。主権者は国民であり、国民による国家運営がなされているということだ。
毎回の国政選挙で国民は決められた区割りのもと、代表を選出し、その代表が徒党を組み政策を可決したり、首班指名を行ったりする。
理由は諸要因あるが、事実として戦後3回の政権交代起こった。(自民党に戻るときも含めて)これを少ないと取るか多いと取るかは自由だが、戦後は自民党による政権運営≒国家運営が行われてきたことには異論はあるまい。
国の権威から形式的に任命されるという点も、なんとも征夷大将軍に似通っているのもおかしみがあるが、そんな自民党幕府時代とも言えるこの時代に自身の理想を体現する道は何があるのだろうか。
①選挙で勝ち与党になる
②政権に圧力をかけられる勢力を形成する
③革命し政権を打倒する。
以上3点、そんなところではないだろうか。
そんな中ここで注目したいのが、①と②を絶妙に実現している現実の存在だ。
それは、他ならぬ創価学会を強力な支持母体とする公明党だ。
もちろん支持母体の高齢化など問題は出ているものの、現実として政権与党のとしてあり続けており、第一党としてもなくてはならない存在としての地位にあることは否定できまい。
もちろん政権の中枢を担えているわけでなかろうが、閣僚に最低一人送り込み、政策としても実現可能な射程をとるのだ。
自民幕府に真っ向勝負を挑まずに一定の立ち位置を手に入れているこの巧みさには敬意を評したい。大きな物語、思想対立、国家観闘争がなき今、対抗ではなく浸透を。
そのような示唆を与えてくれるのは、皮肉にもかの党の存在なのだ。
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