【第2回〜その時の私〜】東京、トーキョー、TOKYO。2020以降も続く自身への問い
人間誰しも人からの見られ方は多様である。それと同じくらい、過去の自身の積み重ねが現在に与える影響は計り知れない。
そのような前提をもとに、過去の掲載していく。
そんなシリーズ第2回目の文章は2019年7月9日に書いた文章です。
書き上がっていない文章で、断片的ではあるが東京を故郷として、都市的生活様式を基軸にしながらも、村落的生活様式の要素もある暮らしらして来た。そのような立場からの葛藤が伺える。
過去の私が教えてくれることがあるかもしれない。
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東京、トーキョー、TOKYO。2020以降も続く自身への問い
東京生まれ東京育ち、4年間は名古屋にいたけれど、生まれてこのかた環七環八エリアで活動してた。
26年-4年=22年間住まい、学校、仕事場活動圏はすべてそのエリアなのだ。
山手でも下町でもないこのエリア。大きな商業地はない。
中心地もなければアイデンティティもない。
ぽっかり穴の空いた都心というドーナッツへ向かって毎日通学通勤する。
郊外であり住宅地である。
常に疑念と不安に足元をすくわれる。わたくしは東京人たり得るのだろうか。
両親の親(私から見れば両祖父母家)も杉並練馬と生粋のミドルトーキョー育ちのわたくしは"江戸っ子"でもなければ、"山手貴族"という責任を果たしうる立場でもない。
布団を敷く(しく)という時くらい
環七環八文化圏とでも言うのだろうか。
中心(ソトからの目)であり周縁(ウチからの目)であるこの土地でなにをみてなにを思いなにをするのか。
https://anond.hatelabo.jp/20200108175647
ここでいう東にも西にも入っていないエリア、それがミドルトーキョー
これはそう自身への問い。自ずから問う。
東京と東京ではないものそれになにか
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