[miwa] この人生を終えてしまいたいと、そう思うときについての解説。
執筆者:miwa|総合案内人
とてもセンシティブな内容なので慎重に綴ります。
この人生を終えてしまいたいと、そう思うことがある方。
そこにはたくさんの、数え切れない理由や状況や背景があるはずです。
全ての方に当てはまるなんてあるはずないのは当然です。
ですが誰かが、この記事を読んでハッとすることができるかもしれません。
私がここで伝えたいのは、
あなたがもう終わりにしてしまいたいと思っているのは、
あなたのその肉体や人生ではなくて、
あなたの中のエゴの部分、そこだけなのかもしれないよということです。
先日、私は、
「私なんてもういらない」という言葉が脳内に湧いてきました。
私は私を追放したくなったんです。
ですが幸いなことに、それは意識内だけで起こり、肉体は何も終わりませんでした。
おそらく私は4年以上かけて、自分の思考と肉体は別物だという分離が進んでいたからだと思います。
そのあとでふと気づいたんです。
もし、
思考と肉体が一体化していて区別がついていない人が、私と同じ気持ちになった時どういう行動をするだろうと考えました。
こんな自分なんてもういらないんだよという気持ちが強くなるほど、
誤って肉体を終わらせる行動を取ろうとしてしまうんじゃないだろうかと。
ここで伝えたいのは、それは誤解かもしれませんということです。
あなたが消してしまいたいのは
いつも頑張ろうとしてしまう私。
こんな現実もう嫌なんだよと思う私。
ここにいちゃいけない気がするという私。
もっと良い未来があるはずだと探すことをやめられない私。
理想の未来を描く私。
覚悟や決心をしようとする私。
そのための行動を考えようとする私。
うまくいかなくて、どうしようもないのに、あきらめることをやめられない私。
私はいつも何かを思いつき、何かであろうとする。
こんなことを思いつく「私」そのものをもういらないと思ったんじゃないでしょうか?
この「私」の正体は、
頭の中で起こるすべての活動、movement、思考です。
私はこのmovoment自体が、もう全部しんどくなりました。
「私なんていらないんだよ」はっきりとそう言ったのは、
わーきゃーしているいつもの私ではなくて、私とは別のものすごく冷静な存在からの声を感じました。これが本質の部分なのかもしれません。
私なんてものはなくていい。だって私は私ではないのだから。
何かポエムっぽいなと思いつつも、この状態になりました。はい。
そんな時、知人からネドじゅんさんの動画を教えてもらい、視聴しました。
そこでは左脳という思考の底に棲みついている「三つ首の蛇」の話と、パパジさんという外国の男性の教えが紹介されていました。
「三つ首の蛇の思考」
左脳から繋がった状態で蛇が三匹いつもうごめいています。
①現状否定の蛇
こんな現状はダメだ。こんな現実はダメだ。今を否定する蛇。
②仮想現実の蛇
もっといい未来があるはずだ。今がダメだからもっと良い未来。
③自己否定の蛇
いい未来があるはずなのに、どうしてうまくやれないんだよ。
こんなんじゃダメだろ。こんなところで甘んじている自分は何なんだ。
私がもういらないと思ったのは、自分の中にある「三つ首の蛇の思考」のことだったのかもしれません。
この苦しみを抱えていたガンガジさんという女性の方が、パパジさんという指導者の方に相談に行ったそうです。
ガンガジさんは、「うまくいった。素晴らしい。」と「いや、こんなんじゃダメだ」を行ったり来たり、もう苦しくて仕方ない状態だったそうです。
パパジさんはこう言いました。
「わかった、君は間違いのないところに来たよ。
ここに来て私のやり方をやってみなさい。
座って、一切何もしないでいなさい。
何かから逃げることも。
何かを否定することも。
何かであろうとすることも。
一切やめて、ただ座っていなさい。」
ガンガジさんは一生懸命試みますが、「三つ首の蛇の思考」が、彼女も気づかないくらいの部分で邪魔をしていたそうです。
どうしてこの思考に苦しめられ続けるのか、それもネドじゅんさんが説明してくれていました。
それはきっと
「頑張るのをやめたらもっとひどくなる」と思っているから。
自分が「何かをしよう」と、「あきらめないんだ」というのを、
これをやめてしまったら、今よりも絶対ひどいことになる気がする。
この考えが最後の最後までへばりついて離れないからだそうです。
ガンガジさんはそれでもひたすら、「何もしない」「逃げることもしない」「否定もしない」をトライし続けました。
そして最後は「蓋が開いた。底が抜けた。」という表現をされたそうです。
今まで支えていたもの、落ちまい落ちまいとしていたものが
バッと開いて、落ちて、初めて
「今ここ」「ありのまま」に出会えたそうです。
「もう、何も頑張らなくていい」
「もう、何も探さなくていいんだ」
という安堵に包まれたと、ネドじゅんさん自身も体験談を語っていました。
これは、投げやりな考えとは少し違うと私は思います。
良い意味での徹底した降伏。
「これはこれなんだ。どうすることもできない。それが確かなことなんだ。」という現実に意識をしっかりと置いておけるか。
そのときに、否定もしない、悔しい辛い情けないと感じることもしない、逃げようともしない、何もせず、ただその状態で現実に意識を置くことができるか。
その時間を、長く保っていられるかどうか。
これが、自分を受け入れる、自己受容の最終段階なのかもしれません。
瞑想がうまくいかない人が、なぜいつも自分の本当の意識部分とうまく同調できないのかというと、その境目にこの「三つ首の蛇」がコンマ何秒の速さでシュッと邪魔をしてくるからだともネドじゅんさんは言っていました。
話のまとめ方が難しいのですが、
もし人生を終えた方が楽になると思っている方がいたのなら、
肉体を痛めつける前に、暴飲暴食や何かで紛らわそうとする他に、
自分の頭の中の「三つ首の蛇の思考」から抜け出すことを試してみてください。
この記事で話していることは全て頭の中での意識の向け方です。
頭の中で「何もしない」「全てやめる」を1秒でもいいから、その状態になってみてください。
心がグーッと苦しかったら、「苦しいって感じることをやめる」と、
肩に力が入っていたら、「力を入れることをやめる」と、
ひたすら全てをやめてみてください。まず1秒。
1秒でも構わない。大切なのは、あなたは自らの力で苦しむことを1秒やめられたということ。
その1秒間、あなたは思考を黙らせて支配したことになります。
1秒できたら、5秒できる日がくるでしょう。
その短い時間を積み上げた先に、いつしか本当の自分が思考を支配する、右脳優位の穏やかな状態になる日があります。
それは、肉体の生を終わらせなくともできるんだと知っておいてください。
自分の偉大さに気づいてください。
私にもまだ三つ首の蛇はいます。
確かに、この蛇のおかげでここまで生き延びて来られたのかもしれません。
でもこれからは、頭の中のおしゃべりはもう静かでいてほしい。
もう淡々と歩いていきたいから。
本来の使命を果たしていきたいから。
今世で味わいたいことがあるから。
楽しい未来を考えて、ワクワクを感じる、味わうという方法もあります。
世の中にはいろいろなアプローチ方法があります。
私は、まずは頭の中を静かに、ニュートラルになるような方法をここでお伝えしてみました。
どうか、今のあなたに合うやり方に出会えますように。
こちらも参考になれば幸いです。
5 space company のじゅんさんが先日書いた記事では、
「全てはどうでもいいという事なのだ」という一文がありました。
私はこの全てという定義を、「頭の中のエゴが思うこと」の全てという意味ではないかと解釈しました。皆さんはどう感じられるでしょうか。
miwa