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何をやるか、ではなくどうやるかだ。
まずはこれをみてほしい。
甲本ヒロトは、自身の音楽について、これならできる!これなら簡単じゃん!と思ったことをやっているだけ。だから簡単だったと言っていた。
そして、ボーカルをやっていることはたまたまで、最初はベースをやりたかったと語っていた。
そこで気づいたことがある、と続ける。何をやりたいかじゃなくて、どんな風にやりたいかが大事なんだ。だから、僕は歌を歌う時はこんな風に歌おう、どんな風に、が大事なんだときづいて、何でもいいやと思った。
たぶん、好きなことを仕事にする、というのはそういう自信でもなく、経験でもなく直感的な出会いから生まれるものなのかもしれない、と感じた。映画が好きな人が映画監督になるわけではない。牛丼が好きな人が牛丼屋になるわけではない。もちろん、映画監督になった人は映画が好きだったのだろう、でも他にもいろいろ好きなものはある中で、映画だけは、自分ならこんなもの作れるんじゃね?と根拠なく思ったことから映画監督になったのかもしれない。この出会いを手にすることは本当に難しいことだけど、その出会いに、何も臆することなく自分から掴みに行った人、それが好きなことを仕事にしている人なのだろう。
ここまでだけだと、こう思うかもしれない。
「じゃあ、その出会いがなかった、あるいは出会いを逃した自分はもう好きなことを仕事にすることはできないのだ。」
でも、そういうことではないのかもしれない、というのが後半だ。
「何でもいいや、どんな風にやりたいかが大事なんだ。」というところだ。
ヒロトは、好きなことを仕事にすることができた。それは本来やりたかったベースじゃなかった。もし彼がそのことをずっと不満を持っていたら、たぶんいろんな歌を作ることはなかっただろうし、長く音楽の仕事をしていなかったかもしれない。ヒロトは「どんなふうに」に自分の思いを詰め込むことで、「あ、何をやるかが大事じゃないんだ」というところに行き着いたのだと思う。
これは、もしかしたらぼくたちが仕事をしていく上で、また、生きていく上でとってもとっても大事なことなんじゃないだろうか。もし、トヨタの車が好きで、希望通りトヨタの会社に入社ができたとしても、仮にその人が思った部署に配属されず、不満ばかりだと、その人は全然満たされないだろう。もしかしたら、入社試験で蹴落とした中小企業に入社したあいつが、すごい開発をしてみんなから称賛されているかもしれないのだ。そう、たぶん、前者のトヨタに入社したエリートは「どんなふうに」を蔑ろにしていて、一方で、中小企業で新進気鋭の開発を連発する後者は「どんなふうに」を追い求めていたと言えるのではないか。
そう考えれば、ぼくたちが考えることは、どんなふうに生きていきたいか、どんな風な仕事をしたいか、ということに帰着するのではないか。それは何をしたいかよりももっと根源的な問いなのだろう。ヒロトの話にもどれば、人を勇気づけたい、と思ったのかもしれないし、とにかくみんなと楽しい音楽を続けたいと考えたのかもしれない。とにかく、自身が叶えたい「こんなふうに」に向かって進み続けてきたのだと思う。だから、自分に満足ができるし、充実して生きることができているのだろう。
もし、今の仕事に不満がある、という人は、もしかしたらヒロトみたいに視点をwhatからhowに変えると解決する問題かもしれない。もし、そうでない場合は転職することは有力な一手であると言える。けれど、この視点の切り替えを試して解決する場合に転職をしてしまうと、転職先でも同じ不満を持ち続けることになるのではないだろうか。
ぼくの場合はどうだろうか。「どんなふうに」を追求する努力をしたか?その上で解決しきれない不満があるか?追求する努力をせずに不満を溜め込んでいないか?少し立ち止まって考えてみたいと思う。
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