再発見が自分を強くする
こんにちは。ユーザー体験について考えるのが楽しい木村です。
運営に関わっているデザイナーコミュニティ"InHouseDesigners"のアドベントカレンダー2019の自分担当日が今日であることに気がついたので、乱文乱筆ではありますが、またまた最近考えていたことをざっくりとまとめてみました。
いつものことですが、自分の思考を整理することを主目的に書くので、軽い気持ちで読んでいただき、各々が改めて考えて、議論するきっかけになれば嬉しいです。
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先人は隣人に
情報の民主化が進み、いろんな人が発信した気付きや発見や発明が流通し、すぐに手に入れられるようになりました。
TwitterやFacebookを眺めているだけでも「こんな面白いことを考える人がいるのか」とか「こんな賢い人がいるのね」などすごい人たちがすごいアイデアを発信しているのをよく見かけます。
私はデザイナーなので、毎日のようにデザインをするわけですが、その際もそういった先人や先達の考えやすばらしいデザインはとても参考になりますし、それによって助けられることも多々あります。
現代を生きる人だけではなく、過去に生きていた"偉人"と呼ばれる人たちの情報にもアクセスしやすくなり、その考えや発見をすぐに知ることができます。
インターネットなどの媒体の進化によって先人・先達と私達はぐっと近づき、いろんな恩恵を日々受けられるようになったのです。
ただ、その反面で問題も起きているように思います。
"あなたの考え"を教えて下さい
突然ですが、"コミュニケーション"とは何でしょうか?
実際に考えて言語化してみてください。
(せっかくなので10秒くらいは考えてみてください)
「交流のこと」「意思疎通のこと」などいろんな回答があると思います。
では、"交流"とは何でしょうか?"意思疎通"とは何でしょうか?
あなたが言語化したキーワードは一体何のことでしょうか?
もっと噛み砕いてみてください。
"考え"、"感情"、"伝達"、"人"などのワードができてましたか?
それらは何のことでしょう?どんなものでしょう?
例えば次のようなものはコミュニケーションでしょうか?
・友達同士の楽しい会話
・親に叱られる
・友達と同じ漫画を読む
・オンラインゲームをする
・握手をする
・貿易
・母の作ったご飯を食べる
・喧嘩
・嫌な上司との1on1
・お墓参り
・愛想笑い
・兄弟の真似をする
・部下や後輩に仕事を与える
それは本当に"コミュニケーション"ですか?・・・
そんなふうに考えていくと、誰もが一度は口にしたことがあるはずの"コミュニケーション"という言葉ですら、少し不安に感じるのではないでしょうか。
「自分の考えている"コミュニケーション"って正しいのか?」と。
もしかしたらすぐにWebで調べた人もいるかもしれません。
Webで調べた先には、どこかの先人や先達が考えた"コミュニケーション"について書かれているでしょう。
それを見て「なるほど!」とホッとし、思考停止するのです。
隣人は自分ではない
あらゆる領域の多くの先人・先達のすばらしい視点がすでに流通している今日では、それらの情報に溺れて、いつのまにか物事について自分の視点で深く思考する機会を失っているように感じます。
わからないことはまず"だれかの視点"を調べて、「正しい視点を手にいれた」と満足し、わかったつもりになってしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、自分の視点で深く考えることが少なくなり、その"誰かの視点"も真に理解できずに、カタチだけの知識を積み重ねてしまう。
そして物事の本質を探るような深い思考ではなく、「正しいか」「正しくないか」の思考ばかりになり、違う視点をただただ否定するようになっていってしまうのではないでしょうか。
先人や先達は近くで力を貸してくれる協力的な隣人になったのかもしれないですが、私(自分)が先人や先達になったわけではないのです。
考えるということ
私達が今まで読んだ本の内容やWebで調べた情報のほとんどを忘れてしまっていたり、覚えていても実際の行動に活かせないのは、自分の視点で深く思考し経験していないものがほとんどだからだと思います。
自分の頭を倉庫に例えると、先人や先達がつくったなんだかよくわからないタグだけで荷物(対象)を整理していて、自分はほとんどその荷物を探すことができない状態です。
それらの荷物を本当に使えるものにするには、誰かが考えたタグを盲目的にそのまま使うのではなく、さらに自分の経験をもとにした自分にしか発見できないタグをたくさん見つけることが大切だと思います。
そのように物事の本質に近づくような"自分で考えて(行動して)発見する"ことができるようになれば、やっと先人や先達の視点を真に理解することができるようになるはずです。
自分で考えて(行動して)発見するために
自分で考えて発見するために大事なことは、"疑問癖をつける"ことと"思考体力をつける"ことだと思っています。
文字通り、何かにすぐ疑問を持ってみて、諦めずに考え続ける体力をつけるということです。
1. 自分自身に発問する
それらを鍛えるためにやるべきことの1つ目は、"自分自身に発問する"ことです。
発問とは
固定概念を揺さぶり、予定調和を突き崩して、 相手(または自分)をイヤでも思考の沼のなかへ、 それもできるだけ深い沼のなかへ 引きずり込むような刺激的で、 根源的な問いかけ。
人を理解させたり、納得させるよりも、 むしろ、揺さぶったり、迷わせたり、 立ち止まらせたりする、 そうすることで 思考を広げ、深めるきっかけとなる。
参考:教え上手 - 有田 和正
先程の"コミュニケーション"の例も発問の一種だと考えてください。
(※ 良い発問のテクニックを知りたい方はぜひ本を読んでみてください)
ある対象のすでに存在する考えや捉え方に対して、自分自身で意識的にこの発問することで、次々と新たな疑問を生み、自分が見えていなかった新しい発見を得ることができるかもしれません。
おすすめとしては、まずは自分自身で発問をしてみて、これ以上はどうしても思考が深まらないと思ってから、先人や先達の考えを調べることです。
一気に思考が前進する感覚が得られると思います。
2. 対象を絞る
もう1つやるべきことは、"向き合って考える対象を絞る"ことです。
人は向き合えるものが多ければ多いほど、目移りして1つのことの思考を放棄しがちです。
例えば、中途半端に疑問癖がある人が自分があまり興味の持ててないことに向き合ったとき、「これはやる意味があるのか?」とだけ疑問を抱いて、別のことに目移りしていきます。
逆に、ある程度向き合う対象に制限があるときには、人は嫌でも向き合って考えを深めて、新たな"意味(=視点)"を見出そうとしたりするのです。
【向き合わなきゃいけない環境が視点を変える例】
・最初はダサいっと思っていた曲だけど、お小遣いで買ったのでしょうがなく聴いていくうちにだんだんかっこよい曲だと気づく
・嫌だった部活だけど、なんだかんだで続けたら得るものがあった
・いつも怒ってるイメージで嫌な人だったけど、合宿で一緒の部屋で深く話をしてみたら素敵な部分もあることに気がついた
自分の中で新しい発見をするためには、自分がいつも思考を放棄する以上のところまで考えを巡らせなければならないことがほとんどなので、飽きても発問し続け、考え続けることが大事になってきます。
自分で考え発見する経験こそが自分を強くする
これらのようなことを意識して実践していくことで、どこかの誰かによってつくられた視点ではなく、自分の経験を伴った深い視点で物事を捉えることができるようになると思います。
自分の思考を前進させ新しい発想を得るためには、どんな知識や考えをインストールしているかということではなく、どう自分の経験や価値観などを通して考えて発見ができるかが重要です。
それがもうすでに世の中にある"発見"の"再発見"であってもです。
答えを書き写すのではなく、自分で答えを導き出した"経験"にこそ、価値があると思うのです。
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