ハードモード

『人生はハードモードの方が面白い』。

あくまで精神的な部分では、と話を区切ればになるが、いろんな人と話をしてみて、わたしの基本方針はやっぱりこれだな、と決着がついた。そういう気持ちになっているのが今。

でもお金的なことを考えると、ハードモードは死ぬほどしんどい。

いくら自分がそっちの方が「生きている」と思えても、生きるためにはお金が要るので、金にならなきゃどうしようもない。だったら金を稼ぐために、自分の意志とか「生きている」と思える実感とか、そういう腹の足しにならないものはひとまず放置しておくべきなのでは?

その葛藤に板挟みになって、どっちに舵を切ればいいかわからなくなっている。誰に聞いても答えは出ないし、最後には自己責任でやっていくしかないのだけど。

今、わたしは進路の分岐点にいる。

大学生をしている間ずっと、働いてみたい、と思う場所があった。でもそこは、社員もすべてアルバイト登用でしか取らないところだった。住んでいる場所的に、在学しながらアルバイトすることも不可能。だけど卒業すれば場所は自由になる。採用される保証はないけど、そもそも物理的に無理なので応募できない、という今までの状況ではなくなるので、可能性が出てくる。

また、ここ半年くらいで働いてみたい、と思う場所がもう一つできた。でもそこは、自分がそうだと気が付いたのが遅かったので、もうそのときにはそこの新卒採用枠はなかった。だから、ここも働きたいならアルバイトになる。幸いアルバイトできる場所は近所にあった。ただその時は修論が佳境でアルバイトとかいう話ではない状況にいた。だったらもう学校を卒業してからになるじゃないか、と思った。

働いてみたい、と思えるこの二つの場所は、働くならこういうことで貢献したいとか、こんな世の中になったら素敵だね、みたいな、そういうものが割と見えるし、いくらでも考えつく。

そして、もう一つの選択肢は、この卒業間際になんとなく応募した会社にいただいた内定。承諾するかどうかを決めるにあたり、働くならこんな感じだよ、と採用担当の人から話を聞いたり、ホームページの先輩社員の声などを読んだりして、働く姿を想像した。どうしても自分の中では、上記の選択肢の方が魅力的に見えてしまって、微妙にピンときて微妙にピンとこない、という感じ。


自分が当事者ではなかったら、絶対三番目の選択肢を取れ、という気がする。だって、一度別のところで働いてからでも遅くはないし、生活はしなくちゃいけないし。

それに、社会的事情を鑑みても、三番目以外の選択肢はハイリスクすぎる。新卒切符を手放す人間はだいたいろくでもないって言われるこの世の中で、どう頑張っても無理だった、ではなく、まだギリギリそこに滑り込める可能性のある状態にあるやつが、わざわざ道を踏み外すのはどうなのか。(多方面に失礼だからこんな言い方をしたくはないのだけど、今回はあえてこう書きます)

でも、いざ自分が当事者になると、社会的なあれとか合理性とか、そういうのを全部ひっくるめて考えているはずなのに、三番目の選択肢を迷いなく取れるかと言ったら、取れないのだ。

どうして取れないんだろう。正解はそこにある。誰が見ても正解は三番目。

そこで思い至った。わたしはハードモードを生きる方が楽しいと思うのだと。

それこそ、この三年間付き合ってきた研究テーマだってそうだった。

指導教官も自分も完全にその分野は素人だし、論文検索をしていても先例どころか、ほんのちょっとでも自分がテーマにしていることに触れているような既往研究もほとんどなかった。

それでもわたしは楽しかった。不毛なことしてるな、って思っていたし、実際にそう言われたことだってあるけど、だからと言って「これはもう無理だろ」って思うことや、テーマを変えたいと思うことはなかった。(途中でモチベーション消えて病んだ時期もあるにはありましたけれども笑)

研究室の後輩のひとりが配属直後にテーマを決めるとき、こんなことを言っていた。

「すでにある程度軌道に乗っているテーマを先輩から引き継ぐ方が安心」

その後輩は学部卒希望だったから、一年である程度まで行けると分かっているものの方が卒論も書きやすいだろうし、就活で研究について聞かれても答えやすいので、合理的に考えたらそうなるだろう、とわたしは理解した。

大学だって結局はただの通過点だし、そう考える人がいてもおかしくないし、その考え方は理解できる。

理解できるけど、わたしはそうしたくないな、と思った。ちょっとだけ胸がざらついた。

だって、自分で切り開く方が楽しいじゃん。

たしかになにも確証のないところからのスタートだから、もちろんこける可能性はある。でも少なくとも研究テーマの冒険なので、最悪先生に責任を半分くらい投げることだってできる。その身分にあるのに冒険しないのは損じゃない?

そう感じた。

わたしは完全に冒険する研究テーマを選んだやつだ。

なんでかって、ただそれを解明出来たら「楽しそう」だったからだ。

その分最初の基礎知識の勉強は大変だった。日本語で書かれた基礎的な本を何冊か読んでようやく理解度一割くらいのところからスタートした。その時すでに同期たちは最新の研究論文を読んでいるような状態で、これが競争なら周回遅れもいいところ。

この研究には先例がないので、そもそも仮定を検証するための実験をどうするか、から自分で組み立てる必要があった。それを組み立てれば組み立てるほど「これ実は検証するの無理なのでは??」と思わされる壁に出会った。ひとつ具体的にこの壁を言うと、そもそも仮定が既存の理論を丸無視したことを言っている、ということがある。修論発表で絶対に刺されると知っていたのはその部分だ。(0207冒頭)


その間にも、同期たちの研究は順調に進んでいく。進捗の定期報告で、自分の出せる進捗があまりに少なくて「わたし何しているんだろう」と思うことも少なくなかった。

それでもわたしは「でもこれを検証したい」と思っていたから、どうにかこうにか理屈を並べて、これなら! と思えるものを作っていった。指導教官だって素人だから、これが本当に正しいか検証できる場は、研究室を出て発表するときだった。既存の理論を無視した仮定を立てているので、まあまあの確率で「こんなことしても意味ないよ」と言われた。でも、まあまあの確率で「ここについてはもっと検証しなきゃだけど、ここについては面白いね」と言われた。そんなことを繰り返して、三年間を走り切った。

たぶんこのテーマは、やる人次第では、三年間走り切ることは不可能だと思う。指導を仰げる距離に専門家はいないし、外に出たら出たで専門家に刺される穴は塞ぎようがなくあるので、無理な人にはほんとうに無理だろうし、腐ってしまうと思う。

でもわたしはそれを非常に楽しくやれてしまった。

この三年間を「単なる偶然で、レアケース、だから本当は切り開くの向いてないよ」と言うには少し期間が長すぎる気がする。

そして、自分で答えを探しにいくこと、理想に近づくこと(ここでは理想=仮定を検証し正しいらしいと確証を得ることとします)をしている自分は、失敗もたくさんして凹んだ日があっても、次の日には立ち直ってまあがんばるぞ~と思える程度にはそれを楽しんでいたし、その時の自分が精神的にすごく自由で、晴れ晴れとしていた。

それに、楽しいことの前にはたくさん苦しいことがあるのは、この研究生活だけでなく、趣味としている創作活動の経験からすでに知っていた。

わたしはある時、まったく創作として文字が書けなくなった。何を書いても違うと思って、「作品」を作れなくなった。

今でもあんまり作れてないけど、今は「こんなの書きたいな~」のネタ自体はある。あのときはアイデアすら浮かばないひどい状態だった。

(早くアイデアとして持っているものを形にしようねお前さんはね)

でも、「苦しいんだから、これを機に創作やめようよ、どうせ誰にも読んでもらえないし作る時間も無駄になるだけなんだから」と自分に問いかけると、最後には「いやだ」と思う心だけが残った。結局、そのあとも細々とやっていて、その結果noteに登録するって今があるのだけど。ここには創作文は載せていないけど、あのとき完全に筆を折ったなら「なんでもいいから文字を書いてどこかに置いておきたい!」なんて欲求も生まれなかったと思うので。

つまり、ハードモードに適性が、それなりにある、と思うのだ。

先日、実家に帰って、この選択について両親とバトルをしに行った。

わたしは、どうしても三番目以外を取りたい気持ちを殺せないと。

それはもうボロ泣きしながら。

父は「ほんとうにそれがいいと思っていて、責任を取れるなら好きにしていい、あと数年なら支えられるから」と言ってくれた。

母は、真正面から否定することはなかった。でも、懐疑的。母が望むのは三番目だというのが、態度から、言葉から、いやというほど伝わってきている。

大学院まで出た子どもがこれまでやってきた専攻と全く関係ない場所で、この不安定なご時世でバイトがしたい、なんて、親としては心配だろうし、止めたいのも客観的な視点で見れば嫌というほど分かる。

なので、多分ここで三番目以外を取ったら、実質縁を切るくらいの話になりそうだな、とわたしは思っている。少なくとも、わたし側でほぼ絶縁くらいに思っていないと、わたしの精神が先に壊れる。それこそもう進路どころの話じゃない。

わたしは諸事情あって、進路関係など、自分の意思が重要な場面においては、母のことを信用できなくなった。それ以来、「話せばわかる」みたいなことを望まないことが自分を守る唯一の方法になった。もちろん、この先どうしたいなんて話を一番したくない相手だから、ずっと希望は隠してきた。

だって嫌いたくはなかったもん。好きだったから、育ててくれた人だから。

どうしたらいいか、わからない。

追記:本当にやりたいんなら、具体的な計画を立てろとか諦めずに済むように先に動いておけとか、せめてもう少し早く言えとか、そんなことも言われました。それは正論なので受け入れます。なんならそういうところで行動力がない自分のことは自分がいちばん嫌いだし。

でも、自分を守るための言い訳を置くことを許してください。

わたしがこれをあなたに話すのにどれだけ怖かったか、どうせわかろうともしてくれないのに、後から言うのやめてくれない?

わたしはそんなにいろいろ同時にできる器用な人間じゃないって自分で知っていたから修論を書くことを優先したんだけど、もしかして修論未完成で卒業決まらない方がよかったんですかね?

研究のモチベーションがなくなって学校に通う意味がわからなくなったとき、休学してそのバイトしてみれば? とわたしが信頼する先生に勧められたと話したら、詳細も聞かずに「卒業まであとちょっとなんだから我慢して学校通って」って言ってきたじゃん。だから「とりあえず卒業はしないと何も聞いてはくれないんだな」と思って、卒業すること、修論を書き上げることを最優先事項に置いたんですけども。

あとアルバイト募集って、企業的にはすぐ人がほしいから募集してるだろうに、1年後に入りたいです! って許されるものなんですかね?(これは単純に単なる疑問)

スキを押すと何かが出ます。サポートを押しても何かが出ます。あとわたしが大変喜びます。